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キルギスのカルチャーショック-1

キルギス七不思議

キルギス七不思議

1,998年8月に初めてキルギスに来てから、不思議だと思った事項です。  1999年10月

 

1.日本にもいるぞ、という顔がたくさん、でも日本語を話さない。

日本人と似ている、どう見ても日本人、という顔がたくさんいるけれど、キルギス語やロシア語で話している。不思議です。

中国や韓国の人より日本人に似ているのは、どうしたことでしょうか。

 

2.日本にもあるぞ、という物がたくさん。

うどんに似た「ラグマン」、餃子に似た「マンティ」、肉まんに似た「サムス」、おこしに似た「チュクチュク」、炊き込みご飯に似た「プロフ」などがある。楽器のコムスは、三味線と同じ三弦楽器である。

米では、オシュに近いウズゲンで作っている「ウズゲン米」は小豆色で、赤飯の色である。この米を見たとき、「赤飯だ」と叫んでしまった。日本人が赤飯にしているのは、これが原型ではないかと思う。

中国系ドゥンガン人の踊りは、盆踊りの手の形にそっくりだ。夏に食べる「アシランフー」は、冷そーめんという感じがする。ドゥンガン人の作るメンは、手で引き伸ばしていく。ラグマンにはこのメンがよく合う。

似ているものがたくさんあって、日本人のルーツを感じてしまう。

 

3.風が吹くと天気が変わる。気温の変化が大きい。

風は、いつもはあまり吹いていない。そよ風程度しか吹かないけれど、木の枝をゆするほど吹くときがあって、その後に天気が変わる。雨や雪になることが多い。

風が吹くと桶屋がもうかる、ではなくて、天気が変わるビシケクである。

気温は、昼間でも日が隠れると、10度以上気温が下がってしまう。夏では、昨日は40度、今日は20度で肌寒いことがよくある。

 

4.車道をどこからでも横断する。信号の間隔は短い。

交通量が多くないとはいえ、信号にはお構いなし、途中からでもどんどん渡る。

日本と違って、人間優先だからなのか、また、車はゼイゼイ言いながら走っていて、スピードが出せないし、という条件があるからなのかわからない。

母子が手をつないで、道路の途中から渡っていくのを見ると、親子心中かと思ってしまうのは、私だけでしょうか。

信号は、「青」から「青」の間隔が10秒ちょっとくらいしかない。「青」が点滅してから「黄色」に、そして、すぐ「赤」に変わる。

人は「青」が点滅すると渡り始める。車は点滅すると停止する。間隔が短いので、このタイミングでないと反対側まで渡ることができない。途中で信号が変わってしまっても、道の中央で待っていれば、車は避けてくれるし、すぐ次の信号になる。

渡りはじめのタイミングに慣れるのが大変で、最初は地元の人がいるときにしか渡らなかった。

 

5.食料品は安い。

大体、日本の10分の1から20分の1くらいの値段である。

野菜など、きれいにして売ってはいないし、米はごみやシイナが混じっているが、じゃがいも、にんじん1k10円、トマト1k5~10円、米は1k75~100円くらいで売っている。乾めん1k40円、紅茶100g50円。

カフェで、二人で昼食を食べて300円くらいだろうか。ラグマン50円、ペリメニ70円、ナンと紅茶で10円、皿に肉とご飯で120円くらい。レストランは少し高い。

食料品以外は、相対的に高くなる。それでも電気製品は、日本より安いものがトルコ、韓国、中国からたくさん入っている。

 

6.バザールは大小たくさん、キオスクはそこらじゅうにある。

市場(バザール)では、朝市のような形式で食料、日用品、電気製品などを売っている。大きなバザールはルイノックと呼ばれていて、市内に四つある。小さなバザールは、あちこちにある。

新聞、飲み物、パンなどは専門のキオスクがあり、交差点やバス停などにたくさん立っている。

 

7.ホテルの庭で、羊が草を食べている。

首都の大通り、日本でいえば新宿辺りを馬に乗った人が渡ったり、大通り脇の歩道で羊が草を食べている。田舎の雰囲気をたくさん残している。

「イシククリホテル」の庭で、牛が草を食べていた。大学近くの歩道で、よく羊や牛が草を食べている。人が歩いているのに、街路樹をリスが行ったり来たりしている。

こういう感じは、非常に好ましいと思う。アルマーティでは車や人が多くて、羊がのんびり草を食べるどころではない。

 

8.道路に穴が開いている。下を向いて歩こう

歩道の真中にあるマンホールのふたがなくなっていて、ぽっかり穴が開いている。それから、橋の踏み板が落ちていたりする。夜は明かりもなく暗いので、落ちる人もいるだろう。

夜は特に、昼間でも下を向いて歩かないと危険。

 

9.町は、ひまわりの種で埋まっている。

歩きながら、ぽりぽりと食べている。最初は、何を食べているのかわからなかった。セミチカという、ひまわりの種を炒ったものを、歯で殻を割って食べる。

上手に食べるが、殻をそこらじゅうに捨てていくのが困る。町が埋め尽くされるのでは、と思うほどだ。

 

 

 

 

キルギス七不思議      紀要原稿

 

1.日本にもいるぞ、という顔がたくさん、でも日本語を話さない。

日本人と似ている、どう見ても日本人、という顔がたくさんいるけれど、キルギス語やロシア語で話している。

 

2.日本にもあるぞ、という物がたくさん。

うどんと「ラグマン」、餃子と「マンティ」、肉まんと「サムス」、おこしと「チュクチュク」、炊き込みご飯と「プロフ」など似ている食べ物がある。南西部のウズゲンで作っている「ウズゲン米」は、小豆色で赤飯の色である。楽器では、三味線と同じ三弦楽器の「コムス」がある。

 

3.風が吹くと天気が変わる。気温の変化が大きい。

風は、いつもはあまり吹いていない。木の枝をゆするほど吹くと雨や雪に天気が変わる。

気温は、昼間でもすぐに10度以上下がってしまう。昨日は40度、今日は20度で肌寒いことがよくある。

 

4.車道をどこからでも横断する。信号の間隔は短い。

交通量が多くないとはいえ、信号にはお構いなし、途中からでもどんどん渡る。

信号は、「青」から「青」の間隔が15秒くらいしかない。人は「青」が点滅すると渡り始める。これでないと反対側まで渡ることができない。タイミングに慣れるのが大変だ。

 

5.バザールは大小たくさん、キオスクはそこらじゅうにある。

市場(バザール)では、朝市のような形式で食料、日用品、電気製品などを売っている。人々のエネルギーを感じる場所だ。

 

6.ホテルの庭で、羊が草を食べている。

首都の大通り、日本の新宿辺りを馬に乗った人が渡ったりする。田舎の雰囲気をたくさん残している。大学近くの歩道で、よく羊や牛が草を食べている。人がいるのに、街路樹をリスが行ったり来たりしている。こういう環境は、好ましいと思う。

 

7.町は、ひまわりの種で埋まっていく。

歩きながら、ぽりぽりと食べている。最初は、何を食べているのかわからなかった。

上手に食べるが、殻をそこらじゅうに捨てていく。町が埋め尽くされるのでは、と思うほどだ。

 

 

HE DAHO (あなたとわかち合えない)        歌 HI-FI

  • あなたとわたしは 分かり合えない

なぜ、風は喜んで吹いているのか

なぜ、子供たちは人の良さで残酷になるのか

なぜ、人に知らせるために、誰かが死ななければならいのか

なぜ、神はこの世に たくさんの「なぜ」を残したのか

(コーラス)

# 今日という日は もう返らない 自分の道を 急がないで行ってくれ(2回くりかえし)

それほど用心深くなく 歩みを進めてくれ

やさしく教えてくれ  やさしく教えてくれ  どうか やめるように

# どうか すぐにやめるように

2.それでも太陽が光をくれる  そして夜は静けさで満たされる

たくさんの心配事は  次の日をすぐに来させる

頭を振っただけで わたしとあなたは知っている  なにしろこの世界、この光すべて

風が歌を口ずさんだので 愛なしの うだる暑さが少しあるのさ   (意味不明 翻訳不可)

(コーラス)   #~#くりかえし

 

  • Нам не дано c тобой понять

Чему так радуется ветер

И почему от доброты бывают так жестоки дети

Зачем кому-то умирать

Чтобы он нами был замечен так

Много разных почему Оставил бог на этом свете

(コーラス)

# День уходящий не вернуть

Не торопись пройти свой путь

Не осторожный сделав шаг,

Просто скажи,  просто скажи, да будет так

# Просто да будет так

 

2.Но все же солнце дарит свет

А ночь покоем укрывает

Заботы тянут новый день

И только головой качает

Ведь этот мир и этот свет

Все то, что ветер напевает

Немного зноя без любви

И ты, и я об этом знаем

(コーラス)

# День уходящий не вернуть

Не торопись пройти свой путь

Не осторожный сделав шаг

Просто скажи,  просто скажи, да будет так

# Просто да будет так

 

 

 

 

            КҮзгү нѲшѲр (秋の雨は どしゃ降り)   歌 ベイシェケーエフ

1. 黄色い落ち葉が 積もっていくと

思い出たちが 私を連れにくる

窓に近づき 外を見ると

木々は静かに かわいそうな私を見つめている

(#)私の心は こんなに恋しがっているのに

あなたはどんな男に 心を渡してしまったのか

秋のどしゃ降りは 止まずに続く

あなたの涙で 降っているのか

それは涙で 涙で降っているのか

(#) 涙で 涙で降っているのか

2.景色を見ても そんなに気分は良くならない

木々も私には目に入らない

あなたとの思い出のものも 私には見えない

私がみているのは あなただけ

(#)~(#)  くりかえし

3.いつまでも わたしといると あなたは言った

雨の空も 暗く曇っている

あなたを見なくとも 名前を聞いただけで

心の中に花が咲き、幸せになります

(#)~(#)  くりかえし

 

КҮзгү нѲшѲр

  • Сапырылган сары жалбырак

Санааларга мени азгырат

Терезеге келип тигилсем(ай)

Чнсүз дарак тиктейт жалдырап

(#) Жаш жүрѲгүм мынча кайгырдыҢ

КѲҢүл күшүн кимге алдырдыҢ

Күзгү нѲшѲр тынбай тѲгүлѲт(ай)

КѲздѲрүҢдѲн жааган жамгырбы?

КѲздѲрүҢдѲн жааган КѲздѲрүҢдѲн жааган

(#) КѲздѲрүҢдѲн жааган жамгырбы?

 

  • Теребел да мынча КѲҢчлсүз

Теректер да ойдон бѲлүндүл

Тегерете курчап буюидар(ай)

Термелишип тиктейт ѲзүҢсүз

(#)~(#)くりかえし

 

  • Болом дедиҢ ѲзүҢ түбѲлүк

Асман дагы бүркѲ түнѲрүп

ѲзүҢ тургай атыҢ уккандаҢ(ай)

ЖүрѲгүмдѲ түрчу гул Ѳнүп

(#)~(#)くりかえし

 

 

 

カルチャーショック 第 1部 1

キルギスのカルチャーショックⅠ           2013年5月

キルギスに来たばかりの頃、七不思議として様々な驚きを書きました。十数年経って慣れて驚きが薄れてきたので、今までの驚きを思い出しながら改訂、加筆し、続編を書きました。生活や習慣は住んでいないと知り得ません。そんな内容を書いてみました。

 

1.時間を守らない

キルギス人と待ち合わせを約束して待っていてもその時間に相手は来ない。来ても1時間くらい遅れてくる。今ではだいぶ良くなってきたように感じますが何千年も半日単位で生活してきたキルギス人だからまだ変わりそうにないでしょう。反面、日本は時間に細かすぎるとは思いますが。

 

2.キルギス料理は5つだけ

キルギスの家庭料理は、ベッシ・バルマック、オロモ、マンティ、ラグマン、プロフ、ショルポ(肉スープ)の六つ。ベッシ・バルマックはお祝いなど特別な時だけなので、いつもは五つ。メニューを考える必要がない。キルギス人の家に1日いれば同じ料理が出てきます。

2-1.キルギス人の食生活は

キルギス人が定住化したのはスターリン時代の1930年代。今はたまたま家に住んでいるだけで生活は遊牧時代と同じ。外で使う大鍋(カザン)を使ってガスで料理を作ります。鍋の底が丸いためガスの火が回りを伝って不経済この上ない。それには全く気がついていないようです。ガスは炎を大きくしてヤカンや鍋からはみ出すほど大きくして使っています。これも野外で薪を使った料理の使い方と思います。

調理器具は少なく、包丁には食事用ナイフを使い、フォークも色々に使っている。まな板は小さく、キャンプに持っていくミニサイズ。調味料はほとんど塩だけ。まれに塩漬け唐辛子を使うだけで、コショウもほとんど使わない。日本はキャンプでもこんなに少なくはないでしょう。

ゴミ箱も鍋も一緒扱いで、普段の料理に使っている鍋に野菜クズや紙などのごみを入れている。他国の文化などを入れようとしないので、いつまで経ってもこのままではないでしょうか。

 

2-2.野菜を食べない

キルギス人が食べる野菜は、ジャガイモ、にんじん、玉ねぎだけといっても過言ではないです。知り合いにキャベツを食べるように言ったら、食べたらお腹がおかしいとかで続きません。あとトマトは食べます。野菜以外に食べるのは羊肉。骨付きで売っているのでそれを長く茹でて柔らかくします。

ロシア人は、きのこ、野菜をたくさん食べますがキルギス人はきのこ類も怖がって食べません。

 

3.先生、答えを教えて

大学で教え始めた頃、テストの時に学生が「この答えは何ですか」と聞いた。どういうことなんだ、これには驚きました。それと答えがわからない学生に教え合う、それにカンニングはするわ。小学校時代からわからない人には教えなさい、と言われているらしいのでこうなってしまう。それにしてもテストの時に教えなさい、はないでしょ。

 

4.紅茶、コーヒーに砂糖を4,5杯

学生が来たりお客に行ったりしてびっくり。みんな紅茶などに砂糖をたくさん入れます。体を悪くするのではと心配するほどでした。これには訳があって、料理に砂糖を使わないので、その分を飲み物で摂るようです。

 

5.気温の差が大きい

大陸なので前線が通過すると雨や雪になり気温が15度、20度下がる。反対に晴れると急に上がる。フライパンの上で生活しているようだと常々感じています。熱すればすぐ暑くなり、冷めればすぐ寒くなる。

キルギスは天山山脈の盆地にあるので、通常、風はないです。しかし前線の端が来ると突風が吹き、その後天気が変わります。風が吹けば桶屋が、という落語がありますけど、風が吹けば天気が、はキルギスです。

 

5-1.風呂から出ると寒い

これは湿度が高い日本ではわからない感覚です。出るとき体を拭いていると寒くなります。温度が低いのではなく、乾燥しているので水分がすぐに蒸発して気化熱を奪うので寒くなるのです。体はさっぱりしていいですが、風邪などに注意しないといけません。日本では出ても汗だくになり、もう一度入りたくなります。

 

6.警察官はゆすり、たかり屋

来たばかりの頃、自分が外国人だという自覚を忘れて繁華街(といっても当時は静かなもの)を散歩しました。すると警察官にパスポートは、と聞かれ、大学にあるので持っていないと答えた。そうしたら近くの詰所に連れて行かれ所持品を調べられた。

私は教師でパスポートは大学だと言っても承知せず、開放してやるからと言って財布の中にあった金を要求された。なぜ金をと言うと本当ならもっと多く必要だと、多分そう言ったと思います。大学にパスポートを預ける時、コピーを取るように言ってくれれば良かったがもう遅かった。

金を払って?開放されたがいろいろな意味でショック。金を払えば何でも許されると知ったのは後のこと。

 

7.交通警察も賄賂要求

道路に警察官らしき人が立って車を停止して調べています。車内に定められた書類や器具などがあるかを調べて、ないと金を要求します。これはロシアやカザフでも同じ事で、日銭が入るから希望者が多いとか。

賄賂は以前20ソム、次に30ソムになり、今はいくら?

 

7-1.電気、ガスメーターの改ざんは当たり前

アパートの電気、ガスメーターはなぜか部屋の中にあり、毎月の使用量はドアの前に書いて貼り出します。水道、熱水は頭割りの請求なので書きません。このメーターを該当会社の検針員や技術者が賄賂をもらって逆回しさせるのです。アパートでは少ないようですが、一戸建てでたくさん使う家ほど悪事をします。これを毎月やっているので会社に入る料金は少なく、経営が悪化します。

 

7-2.私腹を肥やしたバキエフ前大統領

2010年4月のクーデターで国外逃亡したバキエフの政権時代、ダムの貯水量が少なく発電量が足りなくなったと言って計画停電をしました。曜日、時刻で停電になり、豆腐、納豆の製造であたふたでした。しかし、これは関係者が賄賂をもらいウズベキスタンに電気を売ったために生じたことだったのです。

政権末期に電気料金を2倍以上にするとしていました。アパート代は電気料込みだったので大家は値上げすると言いました。その直後クーデターがあり政権が代わり、電気料金は値上がりせず却って安くなりました。バキエフは何らかの私腹を肥やすつもりだったのでしょう。追放して良かった。

 

7-3.就職にも賄賂

就職は、試験があるわけでなく知人がそこにいるか紹介する人がいないとだめです。そして、いざ就職となったら上司に賄賂を払います。これは日本や外国系の会社、組織では関係ありませんが。

収入が多い仕事は賄賂も当然高くなります。警察や官公庁も同じで、ホワイトハウスの就職は6000ドルとか聞きました。

8.期限を過ぎても返さず雲隠れ

大学にいた頃から金額の多少はあるものの金貸しを頼まれました。学生や卒業生の顔見知りからですが、心配なので借用書を書かせました。しかし返さないのが多い。個人的な借用書は全く気にしないようで、請求されれば、今はない、と平気な顔です。

三井先生から何百ドルか借りていたスルガク(人文大)は、先生が帰国する直前に呼び出して請求したらアパートの電話を切りどこかへ雲隠れ。何年か経って町でひょっこり顔を合わせましたが、三井先生のことはもう終わったと言う訳かすっかり忘れていました。

日本人はいつか帰国するから、それまで引き伸ばしていれば返済しなくていい、という意識なのです。そんなことですから、金を貸す時はくれるつもりで、返ればもうけものと思うのがいいでしょう。

日本人に顔が似ていて日本語を話していると、私もそうですが、どうしても日本的な感覚を持っていると思ってしまいます。歴史や生活環境が違う別の人種と理解するのは時間がかかります。

 

9.信号のない道路を渡るな

来たばかりの頃、車は年式が古く量は少ないし、道路はでこぼこで早く走る車は少なかったです。そうはいっても、道路を所構わず渡るのは危ない。母親が子供の手を引いて渡るのを見ると、どういう感覚をしているのか、それとも心中かと思ったものです。

慣れとは怖いもので、今では私も横断するようになってしまいました。運転手は人が横断するのを承知しているので事故は少ないようです。上手に渡らないとクラクションを鳴らされますけど。赤信号、皆で渡れば・・ですが日本ではすぐ病院行きです。

9-1.信号はどう渡る

最近は赤信号の間隔が伸びたものの、以前は道が広い割には信号の間隔が短く10秒くらいしかなかったです。信号が黄色になった時に渡り始めないと向こう側に着かないため青でも構わず渡るので、最初は渡るタイミングがわかりませんでした。仕方がないので他の人と一緒に渡るのですが、青なのに渡っていて車が来たりするので何も参考にならなかったです。

車は右、人は左の逆転思考に適応するにも時間がかかりました。日本が特別なのですけど、最初に左を次に右を見る習慣は難しい。今は日本でつい逆を見てしまい慌てます。

ところで、市内モスクワ通りは、車は一方通行でもトロリーバスが交互通行になっています。あるとき車に気を取られ道を渡ったら、反対方向からトロリーバスが来て私の前で急停止。女性運転手が大きく手を広げ叫んでいました。トロリーバスを2回も止めてしまいました。モスクワ通りは道路計画の間違い、一つ北側は反対方向の一方通行なのでこちらをトロリーバスが通るはずだったのでしょう。

 

9-2.バスの運転は運転手の都合で

市内の公共交通機関は、トロリーバス、大型バス、マイクロバスです。トロリーバスはバスに架線が付いたもので線路は無し。マイクロバスは路線が決められている乗合いワンボックスカーです。

困るのはバス、マイクロバスの運転手が運転中にタバコを吸う、バスを停め途中で自分の飲み物など買い物をする、携帯電話で話すことです。それとマイクロバスで乗車客が少なくなると近くに来ている同じ系統のバスに移らされます。休憩か食事をするのでしょう。こういうのはお互い様になっているようで別運賃は取られません。労働者はソ連時代の慣行で自分の都合優先で仕事するのでこうなります。

反面、便利なところもあります。マイクロバスは停留所以外でもどこでも止まりますが、トロリーバス、バスでも信号で止まっている時に運転手に「降りてもいいか」と言えばドアを開けてくれます。日本はバス停だけですからね。

10.間違い電話が毎日

最近は減ったものの以前は毎日。原因は番号の押し間違いか電話局の接続ミスらしい。最初はロシア語で「もしもし」と出ていたものの、相手が早く話すので意味がわからず、日本語で「もしもし」と言うことにしました。

知らない、変な言葉が聞こえれば相手が切るだろうとの計算。「電話番号が違います」という言葉が最初に覚えたロシア語です。しかし、同じ人からすぐにまた間違い電話がかかって来るのはどうしてでしょうか。

 

11.歌手は口パク

来て少し経ってからテレビで歌手の口と言葉が合わないことに気がつきました。口は「あ」なのに「う」と声が出たり、口を開けていないのに声が出たりしている。おかしいなと思っていたらロシア、カザフの番組もそうでした。

しばらくして、昔は録音テープ、今はCDで曲を流しているからと判明。いつからこんなことになっているのかは不明です。独立後、ヨーロッパから入ってきたと言う話を聞きましたが。

 

12.生徒はウルトラマン

学校で生徒が手を挙げる格好は、ウルトラマンがスペシューム光線を出す時にそっくり(例が古いですが)。挙げる反対の手は机につけ、挙げる手の肘を机から離さず手先を左右に動かしている。はい、はい、と上に挙げる日本とは、随分違う。

 

13.車を止める時は手を横に

バスやタクシーを止める合図は、手の甲を上にして自分の横か車に向かって手を伸ばします。最初はどうも違和感があって、つい上に挙げたくなりましたが、今は慣れて普通になりました。

 

14.お金のジェスチャーは

お金の話をする時は、親指と人差し指をこすり合わせて数える仕草をする。ロシア人も同じ動作をするのでロシア式かも。

自分のほほに人差し指を当てて下に動かすのは「恥ずかしい」意味。日本では「悪い奴」ですが。

首の横に手を持っていき水平に動かすのは「もう満杯で要らない」ということ。首切りの動作ですね。

手の甲を上にして相手の方に向けて伸ばし、親指以外の指で握る動作を繰り返すのは「さようなら」。どうしても「こっちに来て」と間違えます。

所変わればジェスチャー変わる。

 

15.お元気ですか、を何回も

これはショックではありませんが。大学にいた頃、同じ学生が何回も「お元気ですか」と声をかけてきます。さっき会っただろうと思いつつ返事をしていました。これはキルギス語、ロシア語も「お元気ですか」に相当する言葉は同じ人に何回でも使っていいからです。

母語に訳しただけで使っているとこうなってしまいます。日本では1回だけだぞ、と注意してもなかなか直りませんでした。

それと祝日のお祝いに「おめでとう」を言います。「ノールズ(春分の日)おめでとうございます。」といった調子です。これもロシア式、キルギス式です。日本は言わないといってもなかなか直りません。

 

16.道につばを吐くな

キルギス人、ロシア人とも外でよくつばを吐きます。誰かを待っている人の周りには、つばの池ができそうです。つばを飲み込めないのでしょうか。私と話していて、人の顔を見ながらつばを吐かれた時は、「俺に何か文句あるのか」と言いたくなりました。相手はいつもやっているので何も感じていませんが、日本人からは「おいおい!」と閉口します。

 

17.ガスが、電気が止まる

最近はなくなりましたが、以前はガスが年に1,2回、2週間ほど止まりました。輸入先のカザフ、ウズベクに輸入代金を払えないと元を止められて、払えば復活。電気はカザフ、ウズベクに売っているので、使用量を減らすため村では夜中の停電が今でも続いています。

最初に住んでいたアパートでは、前の道路で熱水管の敷設工事を半年ほどやっていました。当然お湯は出ず、そのうちガスが止まり、さらに地区で何日か停電になった三重苦のときがありました。料理ができないのでサラダとパンを買って暗くなる前に食べて、あとは何もできないのですぐ寝ました。

 

17-1.熱水も止まる

市内のアパートは集中暖房を兼ねた集中給湯式になっています。これが毎年5月に1ヶ月間止まります。経費節約なのか会社の休暇なのかわかりませんが、モスクワも止まるとかでソ連時代からの行事です。

もう暑くなっている時期なので不便です。仕方なく鍋やヤカンでお湯を沸かして行水します。

18.海産物がない

日本では毎日刺身など食べていたのにキルギスでは何も手に入らない。キルギスに来て何ヶ月かして体中の海産物エキスがなくなりストレスが溜まりました。ニシンの塩漬けを塩抜きすると刺身風になると教えられ作ってみたら、刺身に飢えていたのでこれでも結構満足。冷凍シシャモを3枚に下ろして酢漬けで食べたり、いろいろやってみました。

7,8年前、韓国の店でマグロのブロックや蛸、鯖を見つけたときは感激しました。高すぎて手が出ませんでしたが今では昆布、わかめなど韓国店で手に入ります。まだカツオだしは売っていないもののいい生活環境になりました。

 

19.野菜、果物、乳・肉製品は美味しい

海産物は高価ですが乳・肉製品は日本よりずっと安くて美味しいです。それに野菜・果物が豊富で甘い。

牛や豚、馬、鴨の燻製ハムはバザールでキロ600~1000円くらいです。随分高くなりましたが日本のとは段違いに美味しい。これは伝統技術の違いでしょう。日本の製品は化学薬品の味です。他に自家製チーズ、プレーンヨーグルトも売っていて美味しいです。

蛇足ですが、日本で牛乳を飲むといつも腹を下したのに、こちらの牛乳は問題ないです。何が違うのかわかりません。

野菜・果物は気候が乾燥していて土がいいので甘くて美味しいです。日本の子供たちが食べればピーマン、にんじん嫌いが直ります。ピーマン、にんじんはこんなに甘かったの?と。

出回っている野菜・果物は、国内産だけではありません。きゅうり、トマトなど中国、ウズベク、パキスタンなど、オレンジは中国、イラン、モロッコから、その他陸続きの国から入ります。

スイカ、メロンも甘くて美味しい。キルギスには果物が豊富な夏に来るのがいいでしょう。

20. 町は暗闇の中

以前は街灯があっても切れているか故障していて、店も営業しているかわからないほど明かりを小さくしているので夜になると町は真っ暗に。夜出歩くときはよほど注意しないと水溜りなどに入ります。マンホールの蓋がない所が多いのも困りものです。外出には勇気が必要で、下を向いて歩こう、でした。

 

(カルチャーショックⅡに続く) 大滝

 

カルチャーショック 第 1部 2

キルギスのカルチャーショックⅡ     2013年5月

カルチャーショックとして書き始めたらたくさん出てきました。本当に驚いたというものから日本にはないちょっと面白いものまで、いろいろ書きました。

書くきっかけは日本語の授業で学生に「キルギスのカルチャーショックは何でしたか」と聞かれたことです。いろいろあるけど、と思いながらなかなか出てきませんでした。生活に慣れてしまったのでしょう。これではいけないと書き始めました。(Ⅲを執筆中)

 

1.日本は特殊な国

日本との習慣や考え方が大きく違うので、来たばかりの頃はショックでした。どうしてこんなに違うのか、と悩んだりしました。そのうち、日本が特殊な国でキルギスなど中央アジアは世界的には一般的な国だ、と考え始めたのです。

日本人は親切、嘘を言わない、時間を守るなどいい所がたくさんあります。しかし、世界からみるとこれは一般的ではない。どうしても日本の感覚で考えてしまうので、相手の国を疑問視している。これは見方が逆なのです。

逆転の発想まで何年かかかりましたが、「あーそうか」と眼から鱗でした。

この発想が最大のカルチャーショックだったかもしれません。

 

2.クーデターが2回も

2005年と2010年に大統領追放クーデターがあったことは、ショックとしてもっと早く書かなければいけませんでした。2005年は初代大統領アカーエフをバキエフが追放。2010年はバキエフをアタンバエフ(現大統領)が追放。アカーエフは、政治について何もしない私腹を肥やす無能な大統領で、2代目は初代のように私腹を肥やしたいと出てきました。2005年は無血で終了したのに、2010年は大統領側がいきなり発砲、狙撃手が20人近くいて群集を狙い撃ちし、500人以上の死傷者が出ました。

2005年のクーデターを知っている人は、まさか発砲するとは思わず大統領府の近くにいました。デモ隊ではなく単なる通行人も撃ったのです。大統領一族は国家財産を盗み海外に逃亡。逃亡までの時間稼ぎに地元で民族紛争に見せかけた騒ぎを起こしました。

2回ともクーデターの夜に市内で略奪、放火がありました。高価な商品を略奪、中国人経営の商店などは放火されました。

 

3.大家は泥棒だった

これもショックでした。2軒目のアパートでは大家(ロシア人女性)が泥棒に入ったのです。疑うことなく大家とドアの鍵を共有していたのが間違いでした。大学に行って帰ってきたらドアが開いています。大家が来ているのかと入ったら誰もいなくて、バッグなど荷物が散らばっています。

それからが大変でした。ちょうど学生が来たので警察を呼んでもらいました。警察にはどういう人間が部屋に出入りしていたかと聞かれ、大家と他に2人ほどあげると、室内の指紋を取ってから主な3人を警察に同行し取調べが始まりました。

翌朝、調べられていたキルギス語の先生から電話があり警察に来てくれといいます。昨日からまだ調べていたとは思いませんでした。

警察に行ってみると担当者が(なんかニヤニヤして)「誰かを犯人にしなければならないが、誰を告発するのか」と聞きます。その時はもう誰をという気にはならず、わからないと答えました。担当者はまたニヤニヤしながら、相手がいなければなくなった金は自分で使ったという書類を書いてくれと言います。自分では書けないので一緒にいた学生に書いてもらいました。これで取調べ中の3人が解放されたわけです。

後で考えてみると、大家は何回か理由をつけては部屋に来ていました。その時に金がどこにあるのか目星を着けていたのでしょう。部屋の鍵は壊されていたわけではなく、犯人は決まっていますが告発することは止めました。

これも後でわかったのですが、大家が犯人だと警察はわかったが大家は賄賂を払ったので、警察は告発されないよう私に書類を書かせたのです。

キルギス語の先生と学生には、苦労をかけたお詫びに慰労金を渡しました。その後すぐ引っ越したのは言うまでもありません。このこと以来、引っ越したらドアの鍵を交換しています。

 

4.女性は皆ジーンズ、パンツルック

女性はジーンズ姿ばかり、スカートは全然見ませんでした。何年かしてからもスカートはたまに見る程度。今は多くなったとはいうものの、ほとんどがジーンズなどで日本に比べればはるかに少ないです。

ただし、以上のことは若い女性で、中年(というより30過ぎ)になると急に太るのでスカートになります。

5.小学生からピアス、マニキュア

女の子は幼稚園くらいで耳にピアスを付けます。全員が幼稚園からではありませんが、耳に開けるのはイスラムの風習のようです。それにマニキュアをして、学校に行くので先生に怒られます。指輪や手首にする飾りも学校にしていきます。

化粧はもちろん、付けまつげやマスカラなどもしている子供がいます。私の日本語の生徒(小学生)はマスカラをしてました。日本では小学生でマニキュアなどしない、祭りの時くらいだというと驚かれます。

 

6.花嫁は誘拐して

花嫁は盗む、これが忌まわしい伝統です。全く相手の同意なしに車などを使って複数の人間で誘拐します。その後、花婿の家に連れて行き初めて対面。逃げ出すことはできず、そのまま生活することになります。オシュ方面では村の女性以外でも誘拐するとか。地方の村だけではなく都会のビシケクでも行われます。しかし、その後共同生活が続くかというとそうではなく、別れて別の人という話はよく聞きます

これは立派な犯罪です。しかし、キルギスだけでなく中央アジア遊牧民の風習のようです。このような略奪婚がどう始まったのか、まだ調べたことはありません。

 

7.生徒が突然消えてしまう

アパートで日本語を教えていますが、生徒が突然来なくなるのにはびっくりしました。勉強が嫌で来なくなったのではなく、学校や仕事が忙しくなったなどの理由。「次は何日に来ます」と言って帰ったのに待っていても現れない。今日は都合が悪くなったのだろう、と次の予定日に待っていても来ない。電話番号を教えてあるのに連絡が無く辞めてしまいます。そうかと思うと半年くらい経って電話が来て、「また勉強したいです」という。

休む時は電話しろ、と言ってあるのに、小学生から社会人までどの生徒も皆同じ。伝統的に親が子供に教育していないのでしょう。

 

8.肉はキロ単位

来たばかりの頃、バザールに行って肉を買いました。そんなには要らないので、300グラムと言ったら変な顔をされました。その時はわからなかったのですが、肉はキロ単位で買うのが普通でした。骨付きで売っているので、実質は半分くらいになります。それと骨付き肉を切るのも一苦労、日本では親切に細切れですから切ったことなどありません。

馬肉の新しいのを薄く切って馬刺しで食べたこともあります。しかしこれは、血抜きや病気の関係で危険でした。肉は黒くなるくらいよく焼く、時間をかけてよく煮るのが原則です。

 

9.焼き肉は石炭焼き

カフェやレストランの串焼き肉(シャシリク)は石炭で焼いています。低温で燃える石炭があるので、木炭ではなく石炭焼きです。店の外で足の付いた細長い箱に鉄串を並べて焼いているのがそうです。

 

10.バックします

向かいの店に肉か何か納入に来た車から「バックします」という声がします。車体に「~肉屋」と書いてある日本からの中古輸入車からです。突然の日本語で、ここは日本かと一瞬錯覚します。しかし、車からの声は誰も理解できませんね。「いつも出るけど何の音か」と思っていることでしょう。

パキスタン人が日本からたくさん輸入販売しているので、車体に「~神社」「~販売」などと貼ってある車が目に付きます。

 

11.電気もガスも強力

電気の電圧は220V、ガスは天然ガスなので日本よりずっと強力です。電気ポットの湯はすぐ沸くし、ガスにかけた水もすぐ熱湯になります。とはいってもガスの自動点火がないのは不便です。マッチか電池式の火花を出す点火器かチャッカマンを使うしかないです。しかし中国製チャッカマンはすぐ壊れます。早いのは2日、2週間以上もったのはありません。

デパートやバザールで探しても自動点火式のガス台は売っていません。ソ連時代は宇宙ロケットを打ち上げても自動点火は考えなかった?

 

12.挨拶は、ほっぺにチュ

来て大学で教え初めた頃、女子学生同士がほっぺにキスし合っているのを一日何回も見ました。こちらの習慣を知らないので、二人はレズじゃないか、と他の学生に言ったりしました。それにしては多い。

お互いにほほをすり合わせて軽くキス。相手に向かって左側または右側にキス。観察していると左側が多いようです。ダブルで左と右に、さらにはトリプルの場合、よほど親しいか懐かしい相手でしょう。

この挨拶はロシア人もキルギス人も同様で、年齢に関係なく女同士や男と女でもします。しかし、男同士は握手してから相手の背中を叩きあいます。

そういえば、最初のアパートの大家(男)からほっぺたの挨拶をされた時は、慣れていないので身構えて体が硬くなりました。

 

13.信号手前でグッズ販売

幹線道路の信号少し手前で道路中央に人が立っていて、停止した車から小銭を無心します。大体、身障者やフーテンぽい人が立ってます。事故にならないのが不思議。もう見慣れてしまったので風景の一つになりました。最近は何か小物を売ってる人がいます。

 

14.中央アジアはバザール経済

日本にはない販売様式バザールの、ごちゃごちゃした雰囲気が好きです。大きいバザールが市内に3つ、郊外に1つ、小さいバザールはたくさんあります。売り場がごったなので、慣れないとどこに何が売っているかわかりません。

だいぶ前、中心部にあったバザールや幹線道路から見えるバザールが撤去されて公園などになりました。モスクワ通りとソビエト通り角にあった深夜営業のバザールが撤去されたのは10年位前でしょうか。景観の問題からなのか、わかりません。

それと最近は、幹線道路近くにあるプレハブの店「キオスク」も撤去されています。アパート近くにあったキオスクがかなり減りました。何日か行かないと「あれ!」なくなっています。

 

15.トロリーバス、マイクロバス

大型バスに架線を付けたようなトロリーバスは日本にはありません。タイヤで走るので線路なしです。架線は昆虫の角のように長く伸びて電線と接触しているので、時々外れて運転手が屋根に上って戻しています。

市内を網の目のように多くの路線で走っている乗り合いマイクロバス。これも日本にはありません。系統番号は100番から始まって市内は300番未満、近くの市町やイシククリ方面へも出ている長距離は300番以上の番号です。

面白いのは料金を乗車するとき払いますが、乗車してから人伝いに渡して払う方法があるのです。お釣りは逆方向で渡ります。最初の頃、金を渡されたとき何かわからずとまどいました。面白いことにバス停以外でも止まる場所を言えば停まります。

車内のマナーは良く、老人や妊婦など弱者にはすぐ席を譲ります。これは日本で見習って欲しい。反面、つり革に両手でつかまり通路をふさぐキルギス人、まだ降りないのに出口に陣取る人には閉口します。村から出てきたばかりの人間かなと思われます。

 

16.タバコは外で吸え

タバコを吸わない人にとって近くで吸われるのは困ります。その点、ソ連時代は建物の外で吸ういい習慣を徹底していたようです。ただし、大型バス、マイクロバスの運転手が運転中に吸っているのはどういうことなのでしょうか。携帯で話をするし、ラジオの音楽を大きくかけたりして、聞きたければ客がいないときにしてほしい。

 

17.成績が悪ければ賄賂

成績が悪く留年になりそうな場合、教師や学部長に賄賂を払えば解決できます。大学で教えていた時、留年の成績を付けた学生がそのまま進級していたのは、学部長に払ったからでしょう。卒業も同様で、こんな調子で人材を育てていたらキルギスはどうなる。

 

18.キルギス伝説

キルギスに昔二人の兄弟がいて、魚が好きな方は日本へ行き、肉が好きな方がキルギスに住んだ、という伝説があります。伝説なのか比較的新しい話なのか不明ですが、日本に親近感を持っている訳です。相手が日本人だと聞くとこの話をよくします。

 

19.バカ、はキルギス語で

キルギス語に「バカー」と言うのがあって、「カエル」のことです。「タシバカー」は、「タシ」が「石」で「カメ」のことです。「カイダン」は「どこから」という質問です。

20.テレビ放送が半日休み

ロシアのテレビ局では何ヶ月かに一度、放送を半日休みます。放送局の維持管理のためですが、日本もやったらどうでしょう。それと番組と番組のつなぎ時間が空くと画面に時計が出てきて5~10秒くらい待ちます。これはキルギスの放送局もやってます。日本も見習ったらいいのでは。でもコマーシャル単価が高いからだめでしょう。

 

21.近くにあります

日本からお客さんが来て、学生の案内で旅行した時です。目的の場所は近いから歩いて行きましょう、と言うので出かけたら、30分歩いてもまだ着かない。まだか遠いな、というともう近いです、という返事。結局1時間近く歩きました。キルギスの広い草原や畑を見ていると30分くらいなら歩いても近くだ、ということになるのでしょう。

 

 

 

(カルチャーショックⅢに続く)

カルチャーショック 第 1部 3

キルギスのカルチャーショックⅢ     2013年5月

ショックな話と住んでいないとわからない興味深い話を併せて書きました。

 

1.お札で商品をパタパタ

朝早くバザールで買い物をしたとき、渡したお札で売り手が他の商品の上をパタパタ叩きました。「ん!」と思って聞いたら、最初の売上金でこうして、あとでたくさん売れるようにとの縁起かつぎでした。

商売の縁起かつぎでは、最初の売上金にプップッ、とつばを吐く真似をする動作があります。中近東からロシアで見られるそうで、韓国で見たとインターネットサイトにありました。

 

2.「パトーム」と「ザーフトラ」

「パトーム(後で)」・・・買い物をして手持ち金が足りないと言うと、店の人が言います。後で持って来ればいい、と思ったのですが、どうも言い方が違います。足りない分は要らない、負けるから買ってくれ、という意味でした。日本でも「あとでいいよ」と言いますが、やはり持ってくるのが前提でしょう。辞書だけではわかりません。

「ザーフトラ(明日)」・・・何かするべきことがあってもできない時、わからない時に言います。店に欲しいものがなくて「いつあるか」と聞くと「ザーフトラ」。「明日に」ですが、明日になってもあるかわかりません。明日の明日は、その明日は、となっていつになるかわからない、ということで、「いつかわからない」ということになります。

貸した金を請求すると「ザーフトラ」と返事します。明日また請求すると「ザーフトラ」、これで1ヶ月、1年、やがて相手は諦めます。

学生はこれを日本語に訳して「明日、明日」と言うのですが、意味はまったく違いますね。

 

3.酒は密造酒が横行

店で売っているウオッカは、蒸留酒ではなく工業用アルコールをブレンドしたものがほとんどです。しかも同じラベルでビンに入っていても、質の悪いアルコールで作った自家製密造酒が横行しています。公認印紙を貼ってあるのですが、収入印紙は本物をバザールで売っているそうで中身は粗悪品。普通の店で正常なウオッカと一緒に売っているので、飲んでみるまでわかりません。

サマゴンという名前の砂糖から作る蒸留酒があります。個人で作るのはいいのですが売るのは違法です。ソ連時代、身障者に収入を与えるため特例で製造販売を許可していました。2年ほど前までは街頭で売っていましたが、突然街頭から消えました。吟醸酒の味がしておいしいのでよく買っていたのに。販売禁止になったのでしょう、あちこち探してもありません。ロシア人は自家用に作るので、個人的に分けてもらうしかないです。

 

4.電球爆弾

アパートに帰ってきて電気のスイッチを押したら、ボンと音がして何か下に落ちました。電球のねじ込む部分の線がショートし、ガラスが割れて落ちたのです。これは何回かありました。最近は中国製蛍光電球(らせん状に丸い型)を使っているので爆発はありません。

 

5.おからの保冷剤

豆腐のおからを冷凍して保冷剤にしたら、なかなか優れ物です。夏の配達に保冷剤が欲しいとあちこち探しましたがありません。ふと、何年か前にお客さんがおからを冷凍しておくと話していたのを思い出しました。それで、冷凍して保冷剤にしました。

水と違って溶けてもぐちゃっとならないし、形を色々変えられて便利です。買う必要なし、古くなれば交換、廃物利用になって一石三丁。

 

6.中国のゴミ箱か

中国にある外国企業の工場や自国会社の電化製品などが陸路を通って大量に流れてきます。しかし、製品の質は良くありません。年式落ち、在庫、検査落ちなどが持ち込まれています。中央アジアは在庫処分地かゴミ箱扱いです。キルギスには工業製品の会社がないので不良品でも買うしかありません。

チャッカマンは2日で壊れ、電気ポットは分解してしまう、と言った調子でした。最近はだんだん良くなり、ゴム手は長持ち、液晶テレビ、DVDデッキは使えます。

 

6-2.拡大する郊外大型バザール

市の北部郊外にドルドイと言う大型バザールがあります。衣料品から家庭用品、電気製品など多品種の商品を安価で売っているので、安いものを求めて1時間くらいバスに乗って買いに行きます。

しばらく行かないと新しい販売区域ができています。どこも貨車のコンテナーを利用した店舗で売っていて、売り場番号をメモしていないと同じ場所には戻れません。それほど広いのです。中央アジアで一番大きい規模とかで、中国から大型トラックで大量に商品が運ばれています。

 

7.授業は生徒が移動

第一学校では授業毎に生徒が移動します。日本語教室で待っていると生徒がやってくるわけです。しかし、授業と授業の間が5分なので、生徒は移動に忙しいです。授業以外で生徒はどこにいるかというと、学年の教室があってそこにいます。

生徒の成績は5段階評価、学期ごとに生徒の手帳に記入します。授業後、生徒が書いている学科のノートにその日の評価を記入したりします。1クラスで生徒の数が5,6人なのでいいですが、それでも面倒です。

大学で学生が教室を移動するのは日本も同じですね。大学では毎月月例テストがあり、成績は学期ごと手帳に記入するのは生徒と同じ。卒業証書は、見開きになった厚い表紙の冊子で成績が記入してあります。

 

8.「はい」は1回だけにしろ

大学にいた頃、学生が「はい、はい、はい」と続けて返事をします。日本でも言いますが、単なる同意の「はい」と意味が違ってきます。これはロシア語の影響でした。ロシア語は同意・承諾の意味でも「ダー(はい)」を3,4回繰り返してもいいのです。

 

9.パンが美味しい

日本のパンは小麦粉を漂白しているので、小麦粉の味がしません。それでジャムやクリームなどを入れないと美味しくないのです。こちらのパンは薄い茶色、焼いた小麦粉の色です。外国人が日本のパンを見たら驚くでしょう。どうして白いんだ、と。

こちらのパンは、小麦粉の味がして美味しいのでよく食べています。丸いパン、四角いパン、もちろんリンゴやイチゴなどのジャムパンもあります。パンを始め、野菜、果物、ハムなど美味しい物を食べに来て欲しいです。

 

9-2.笑顔がない売り手

店やカフェなどどこでも売り手は笑顔なし、無表情です。最初は売りたくないのかと思いました。買っても無表情、おつりは手渡しではなくカウンターに置くだけ。日本のマニュアルを読ませてあげたい。レストランではハイアットホテルのウエイトレスだけ笑顔を見せます。

 

10.傘がない、帽子がない

雨が降っても傘をささないで歩いている人が多いです。日本と違ってあまり降らないし、降っても小雨で長くは降らない、というので持ち歩かないのでしょう。買う余裕が無いのもあるでしょうけど。それで、たまに強く降った時は、ずぶ濡れになりながら歩いています。

傘をしまう時には干さないで、たたんだままです。それで布がくっついて

すぐ悪くなります。

それと、夏の強い日差しでも帽子をかぶりません。日本人なら、病気になるぞ、と注意されるところです。「カルパック」という民族帽子があるのに、かぶらないのは何故でしょうか。来たばかりの頃、普通の帽子が売っていなくて探すのに苦労しました。

 

11.キルギスは夫婦別姓

キルギスでは、結婚しても夫の姓になるかは選択できる夫婦別姓の制度です。夫の姓になる人がほとんどのようですが、最近は別姓の人も多いとか。別姓でも子供の姓は父親の姓になります。

 

11-1.結婚式は交通事故の元

アメリカ式、ロシア式でしょう、結婚して登録署名を済ますと新郎新婦を乗せた車が町へ繰り出します。飾りを付けた仲間の車が隋送してクラクションを鳴らしながら走ります。しかしスピード違反や信号無視をするので、一般の車と事故を起こした現場をよく見ます。車が少なかった昔と違い、今では危ない行為です。

新郎新婦用の車は、アメリカ製の長ロングボディーの車が使われています。

 

11-2.蒙古班

実際に見たことは無いですが、キルギス人の乳児にも蒙古班があるそうです。モンゴル系の遺伝子があるわけで、チンギスハン以後モンゴル人がウズベキスタンやロシア方面に進行していますから、その辺の関係でしょうか。

 

12.子守は男の仕事?

キルギス人でもロシア人でも若い男性が一人で乳母車を引いて散歩しているのをよく見かけます。夫婦の場合も男が引いています。日本では見ないでしょう。

そうかと思うと、小さい子が赤ちゃんをお守しているのもよく見ます。自分と同じ大きさくらいの赤ちゃんを抱っこしたりしています。感心しますが危なくないの?

 

13.ドルが消えた

10年以上前ですが、アパートからドルが消えてしまいました。消えたと言う表現がぴったりします。誰もいなかった、何も異常は無かったのに、1回に何千ドルが消えたのです。当時、銀行は毎年倒産するところがあって危なかったので、現金でアパートに置いてありました。寝る前に確認して、朝にはなくなっている、ということが何回かあって、合計一万ドル以上が消えました。それも子供の誕生日に、です。

全く訳がわからずショックでしたが最近になって思うに、あれは運命の神様が一時預かりしてくれたのではないか、ということ。金を持っていれば使ってしまう私の性格を知っていて預かった。そして、近年になって豆腐、納豆などの注文が増え、預かり金を還元しているのです。

神様の配慮は有難いことだ、そう考えているこの頃です。

 

14.静岡のビニール袋が

だいぶ前ですが、バザールで買い物をしたらビニール袋をくれました。ふと見ると「生活倉庫」と書いてあります。静岡センター近くにあったデパートのもので、はるばるキルギスまで運ばれて来たのです。

これに限らず、時々日本の袋を見かけます。ひらがな、カタカナはどの国の文字か誰もわからなないでしょう。

 

15.引越しは10回近く

これはショックではないものの、少し関係します。

  • 最初のアパートで何千ドルか消えたので引っ越しました。
  • 引越し先で大家が泥棒をしてまた引越し。
  • 次のアパートは大家夫妻が離婚してアパートを売ることになり、2ヶ月でまた引越しに。泥棒大家と離婚大家のアパートは、ダミーラに探してもらった場所です。また頼むと良くないことになりそうなので止めました。

次は、④ちょうど三井先生が一時帰国するというので留守番を兼ねて同居しました。次のアパートを探していたら、

  • たまたま人文大学の先生から紹介があり引越し。そこは半年の約束だったので⑥次はアスカルの母親が持っているアパートに行きました。2年位してアスカルの両親が離婚、母親と娘たちが住むことになり突然の引越しになりました。当時、民間日本語学校で教えていたので、
  • 学校で探してもらい市の東端地区のアパートに引越し。1年位して、日本へアルバイトに行くためアパートを引き払い、荷物を彼女の家に頼みました。

⑧帰ってきて人文大学の教師用アパートに引越し。そこは氏原氏が入居していることになっていたのですが、大学に又貸しがばれ、移転を余儀なくされました。

次を探しているところで、

⑨たまたま今のアパートが空いていたのです。日本人教師が住んでいたのですが、一時帰国中に発病して国外には出られなくなりました。在住日本人からの情報で滑り込みセーフ、いい所が見つかりました。神様が用意してくれた気がします。

交通や生活に便利な場所なので、もう4年住んでいます。これは今までで居住の最長記録です。

 

16.逮捕者や裁判風景を放送

逮捕された人物を取調べる様子や裁判が行われている様子をテレビニュースでよく放送しています。手錠をかけての写真撮影やインタビュー、調書作成風景などです。ソ連時代からの慣習なのでしょうが、日本ではあり得ません。

 

16-1.変に長く映す

テレビニュースの記者会見では変な撮り方をしています。会見している人より取材に来ている関係者をよく撮っているのです。美人系の取材者が多く、たまに撮影している他局のカメラマンを撮ったりします。しかも時間が変に長い。

ロシアのニュースもそうなので、ソ連時代に教えられてそうなったのでしょう。時間が余ったからと思ってしまいます。ニュースの違和感は未だに消えません。

 

17.キルギスにあって日本にないもの

日本にあってキルギスにないものはたくさんありますが、キルギスにあって日本にないものは。

1.トロリーバス(バスの天井に架線を付けた型式の電車)

2.マルシルートカ(乗合の路線マイクロバス)。バス停以外でも停車

3.バザール         4.ボズイ(移動式テント)

5.プレハブのキオスク

6.カイマック(ロシア語はスメタナ)、(サワークリーム)

7.セミチカ(ひまわりの種を炒った物。ペットではなく人が食べます。)

8.密造酒(ウオッカ等)、密造薬    9.氷河を抱く高山

10.東西180kmの湖や標高3000mにある湖

11.交通警察(賄賂徴収)

12.市内のアパートに熱水を送る熱供給センター

13.路上でタバコ一本、ガム1個売り

14.路上で木樽に入れた飲料水のコップ売り(ショロ社)

15.料金メーターがない個人タクシー

16.石炭で焼いて売る串焼き肉

17.美味しい生ハム、乳製品、釜焼き丸パン

18.通常湿度50%前後の気候

19.10カ国以上の人種が居住する町(キルギス、ロシア、カザフ、ウズベク、

トルコ、中国、韓国、ドゥンガン、ウイグル、タジク、パキスタン等)

20.国内ニュースでも2カ国語(キルギス語版、ロシア語)のニュース。

21.いつも口パクで歌う歌手

22.冷たいのを飲んでも腹を下さない牛乳

23.音程がずれている国立オーケストラ

(2015年2月、12~追加)

 

18.アパートは北向きが良か

ビシケク市は130年ほど前、帝政ロシア時代に都市計画決定されました。公共施設、アパートなど実際の建設は1950年代になってからです。設計は白夜の都市モスクワで行ったので、何千キロも離れた暑い国の様子はわからなかったのでしょう。アパートの向きは東向き、西向きなど様々。北向きもあります。土地は十分にあるのに、南向きではなくわざわざ西向きにして西日が当たるようにしてあるのは何とも不便です。今でも新しく建設するアパートを西向きにしているのを見かけますが理解できません。

19.頭上注意

これはショックな出来事です。大きな交差点で人を待っていた時、広い道をトロリーバスが通り天井の架線が外れて止まりました。その振動が道の向こうから電線に伝わり私が立っている方にやってきて、頭上の街路灯がギシギシと揺れました。何となく危険を感じて数歩移動した途端、つい数秒前に私が立っていた場所に街路灯の大きなランプとカバーがドスンと落ちました。あの場所に立っていたらどうなったことか。

他に人がいなかったのは幸いでした。帰りにカフェでウオッカを飲んで厄払いしました。

 

20.新築アパートは自分で内装を

最近まで日本語の勉強に来ていた生徒(主婦)がアパートを買いました。それで毎日修理に行っていると言います。新築なのになぜ、と思ったら、内装は自分たちで行うというのです。設備のあるアパートは高いので、内装も何もないアパートを買って、電気、ガス、水道も自分たちで設置すると聞いてびっくり。これが一般的な売買のようで、今まで知りませんでした。

生徒が買ったのは12階のアパート、しかもまだエレベーターが動かず毎日階段を上がっているそうです。

 

21.豆腐、納豆作りは「石の上にも4年半」

私の豆腐、納豆作りについて書きます。

キルギスに来た当初から日本の食べ物が欲しくなって何かを作ろうと考えました。今のように日本のカフェはなかったですから。それで豆腐、納豆がいい、と決めました。

まず、作る方法と材料、道具探しから始めてバザールをあちこちしました。当時働いていた人文大学の春休み、夏休みなど長期の休みだけに作ったので、豆腐が固まるまで、納豆が糸を引くまで4年以上かかってしまい、途中何度もやめようと思いました。

できなかった最大の原因は大豆です。バザールで一般的に大豆として売っているのは大豆と何かの掛け合わせなので大豆成分が少なく、韓国大豆という種類でないとだめだったのです。

失敗の原因は他にもいろいろあって、豆腐では大豆の粉砕が弱かったり、納豆では大豆が乾燥しすぎたりでした。豆腐が固まった時と納豆が糸を引いた時は本当に喜びました。

その後、これは売れるかな、と思い、知り合いに声をかけ売り始めてからもう10年です。初期の製品はあまり良いものではなかったものの、珍しさから買ってもらえました。といっても日本人が少なかったので(当時は20名以内)、注文は細々でした。今は150人くらいになって、日本食カフェができたりしているので注文は多くなりました。

常に作り方や容器を改良し、より良いものをと心がけています。カザフやロシアにも売っている人はいないようで、お土産に買っていく人もいます。試行錯誤で悩みましたが途中で止めなくて良かったです。

 

22.エンジンを止めろ

ガソリンスタンドで燃料を入れる際でもエンジンを止めません。爆発でもしないかと心配になりますが、事故はないようです。それより水が混入したガソリンを売っている方が困るかも。タンクの防水が悪く水が混ざっているガソリンを売っていたりします。今はないでしょうが。(2014年3月追加)

 

23.薬を量り売り

薬局に風邪薬の錠剤を買いに行ったらいくつ買うかと聞きます。いくつだって?と聞き返したら薬が入った新しいビンを見せて錠剤をいくつ買うのかと言います。それでビンを開けてから袋に分けてもらいました。何回か買っている薬局ですがこういう売り方は知りませんでした。タバコを一本ずつ売っているのは知っているけど何年いても驚くことは出てくるものです。(2014年10月追加)

 

(カルチャーショックⅣ に続く) 大滝

カルチャーショック 第 1部 4

キルギスのカルチャーショック Ⅳ     2015年2月

Ⅰ~Ⅲを書いてから時が過ぎました。今月、お客様と豆腐、納豆の話をしていたらまた書く気になったので続編を執筆します。新しいショックやまだ書いていなかったものなどいろいろです。

 

1.ムーシ・ザ・チャス

ビシケクに「ムーシ・ザ・チャス」という会社があります。ロシア語ですが直訳すると「1時間だけの主人」となります。最初は主婦向けのホスト派遣会社かと勘違いしました。派遣は派遣でも実は家庭の電気、水道などを修理する職人を派遣する会社です。

修理屋を頼むと金がかかるから一般には家庭の主人があちこち修理するので、修理職人は「1時間の主人」となります。

 

2.入院は大変

入院患者の食事は家族や親戚が作って持っていきます。それと患者の付き添いは終日必要です。これは交代ですることになります。

それに担当の医者や看護婦には心づけを持っていかないと禄に看てくれません。医者は給料が安いので患者からの収入が頼りなのです。最近は患者にうまいことを言って高い薬や用品を売っている医者がほとんどのようで医は算術を実践しているわけです。手術しても効果はないのにとにかく手術、手術だと言い張り自分の収入を増やそうとする。騙される患者はいい迷惑です

 

3.お産は大変

出産前の検診時から医者に心づけを渡さないとよく看てくれません。それに出産して3日もすると退院だ、と追い出されます。医者は新しい患者が来れば実入りがあるのでどんどん入れようとするからです。それに何かと理由をつけて帝王切開を勧めます。これも自分の収入のためです。妊娠後9ヶ月で産めと医者が言っているとか。生まれないのはおかしいから手術だという言い分です。ひどいものです。

帝王切開後1週間で退院させられたキルギス人を知っています。キルギスで医は算術、医者は収入のことしか考えていません。

キルギス女性は昔の日本人のように出産の直前まで働きます。大きなお腹をしてふうふうしながら大学で働いている人を何人も見ました。

4.ぎっくり腰は大変

もう何年も前ですが重症のぎっくり腰になりました。民間の日本語学校で教えていた時でその日はどうも背中が痛かった。生徒の親に塗り薬を教えてもらったのですが買わずに帰って来ました。

次の日の朝、起きようとしたら体が動かない。金縛りにあったようにどうしてもだめなので、ベッドを転がり床に足を着いて降りました。しかし起き上がれない。這ってトイレに、しかし立ち上がるにも大変。ドアに手をかけてみても力が入らない。しかも何かの拍子に背中を電気が走って、あまりの痛さにしばらく動けない。

当然、学校へは休みの電話をしたものの何があったのか訳がわからず、当惑したまま這ってベッドに戻りました。近くに知合いのキルギス人がいたので電話して塗り薬を買ってきてもらいました。

ちょうど豆腐のお客さんにJICA協力隊員の鍼灸師がいたので電話したら来てくれるといいます。診断はぎっくり腰、しかし原因がわからない。そんなに力を入れた覚えはないし・・。ふと思い出したのが何日か前、公園の腕相撲の機械でよせばいいのに力試しをしたこと。背中の筋が痛んだ覚えがありました。

それから1週間、ひたすらベッドに寝ていました。床を這うのと背中に電気が走る苦しみはもう御免です。協力隊員に教えてもらったストレッチなどをいまだにやっています。私は背中の筋肉が弱いのです。

 

5.風邪薬も一大事件

風邪を引いて日本の薬を飲んでいたのですが1ヶ月すっきりしません。知合いのキルギス人に町の薬局で売っている風邪薬を買ってきてもらい飲んだら1発で治りました。念のためともう1回飲んだら目眩がして、1,2日経って目眩が治まるまで寝ていました。

薬局で売っている薬は日本人には強過ぎです。というより日本の薬が弱すぎるのかもしれません。薬害を心配して弱くしてあるのでしょう。

何年かして、また風邪が治まらないので頼んで買ってきてもらった薬を飲んだらまた副作用が。今度の目眩は強烈で3日ほど外出できず寝ていました。日本人には強い薬を買うなと言ってあるのにまた強いのを買って来た。イギリス製とか書いてあるものの、薬はバザールの路上で密造薬を売っているほどなので薬局の薬も安心できません。風邪で寝ているより副作用で寝ている時間の方が長くなります。

余談ですが、薬局や路上で注射器と液を買って病院で注射だけしてもらう。または注射できる人に頼んでやってもらうなど行われています。この方が安いからです。

6.ロシア語それにキルギス語も・・

キルギスに来て大学で日本語を教えているとき、学生がキルギス語と日本語は文法が同じですと言いました。そうか、じゃあ勉強してみるかと思いキルギス人の日本語教師に頼んで始めました。しかし文法が同じというのは大きな間違いだとすぐ気がつきました。語順が同じだけであって、名詞の複数形はあるし動詞の人称変化はあるし文法は全く別。学生の言葉に乗ったのは間違いだったと反省したものの後の祭りです。キルギス語で「同じ」と「似ている」は同じ言葉です。学生は「文法が似ている」というところを「同じ」と言ってしまったのでしょう。どちらを言われても勉強したとは思いますが。

キルギス語・日本語の教科書がないので小学校1年生の教科書で始めました。日本にいるときは日本語だけで生活していたので言葉の学習能力は錆付いていました。覚えられなくて頭の中が真っ白になり夢に見たりもしました。

ロシア語で説明してある教科書を使うようになるとまた大変。キルギス語を露和辞典から調べることになりました。ロシア語、キルギス語の両方を覚えることになってしまったのです。キルギスでは生徒のときから両方を勉強していますが私には無理。やはり何度も止めようと思いながら続けたのは何だったのでしょうか。

今では勉強して良かったと思っています。反面、英語は頭の隅に追いやられてしまい、英語で聞かれてロシア語で答えたり、キルギス語でいいですかと相手に聞いたりしています。とはいえキルギス語で買い物するとキルギス人は喜びますね。

 

7.逆転の発想が必要

もう買い換えたらと言われそうな7年前に新古品で買ったノートパソコン(東芝製)を使っていて、以前はよくプログラムが止まりました。最初は不安定な電圧のせいだと思い整流器を買ったりしました。しかしまた止まったので内部の熱が原因と考え小型ファンを買って送風しました。一時は良かったもののまた停止。

ふと思いついて送風の向きを逆にしました。パソコンに向けていたのを排熱口から外に向けたのです。これは大成功。止まらなくなりました。

他にインクジェットプリンターを使っていますがカートリッジは交換が必要です。

日本で買ったり送ってもらったりしたもののいつまでもこうではいけないと考えていました。こんな時、中国ショップでキャノンの詰め替えインクを見つけました。試しに買って入れようとしたらカートリッジに注入口がない。せっかく買ったのにと思いつつ、裏返しにしてインクが出るスポンジから試しに注入して印刷してみたらうまくできました。これも大成功。逆転の発想でうまくできた例です。

8.キルギス15年記念に禁断の食べ物を

昨年の初めにふと考えたら1999年2月にキルギスに来てから丸15年経とうとしていました。それで何か記念のことをと考え、それまでキルギスでは一度も食べたことがなかった生卵を食べることにしました。最近は卵を洗って売っていますが以前は産みたてを汚れたまま売っているのが多く、とても生で食べる気がしなかったのです。少し前から何人かの日本人から生で食べているとちらほら聞いていたのも決心するきっかけになりました。

自家製として売っている新しい卵の殻を熱湯で洗い念には念を入れ、いざ禁断の食べ物に挑戦。熱いご飯にかけて食べました。腹は痛くならなかったのでそれ以来よく食べています。

日本では一般的な食事で生卵を食べますが世界的には特別な食べ方と思います。キルギスではオペラ歌手が声の調整用に食べる程度のようです。

9.サマゴンに再会

去年、知合いのキルギス人にサマゴンを造っているロシア人を紹介してもらい飲むことができました。何年も探していたので美味しかった。

 

10.日本食にも必ずパンを食べる

大学で教えていると学生をアパートに呼んで日本食をご馳走したりします。しかしどうしてもパンを食べたくなるようで、寿司を食べてもカレーを食べても自分たちで買って来たパンを食べます。

食習慣は変えられないようで日本人からみるとえー!となります。パンを食べないと食べた気がしないのでしょう。とはいえ、パンは日本よりずっと美味しいのに米でないと食べた気がしないのは日本人の食習慣といえますが。

11.キルギスは呪術の国か

知合いのキルギス人は病気になった人の話を聞くと悪い人がその人をじっと見たからだと言います。自分が病むと誰かが見たからだとも。みんながこう言うか知りませんが一般的な言い方に思えます。

 

12.キルギス式マッサージ

マッサージなるものを2回、別の人にやってもらったことがあります。どちらも

ぎゅうぎゅう力任せに体を揉んで筋をグリグリいわせます。もう少し別のやり方があるだろうに、と言いたくなります。

去年の秋から大学の職員相手に週1回ほど指圧をしています。指圧を日本式マッサージと説明してもマッサージと聞くとグリグリやるイメージがあるのでしょう。知らない人に指圧しますかと聞くと、えー!という顔をします。

 

13.町のエチケット

ソ連時代からの町のエチケットで非常にいいことがあります。タバコを建物の中で吸わない。バスでお年寄りや妊婦に席を譲る、などです。

日本ではタバコを職場で吸うなと最近うるさくなったでしょうが、吸わない人にとっては迷惑千万な状況でした。しかし、バスの運転手は今でも運転中に吸っているし携帯電話をかけて運転してます。これはどういうことか。労働者の権利というやつですか。

 

14.町の交通量

ビシケクに来て何年かしてから大通りの舗装工事がありました。それまでは穴だらけでしたが、交通量が少なく道を渡る時左右を見なくてもいいくらいでしたから影響は少なかったです。それに車は古く、ソ連時代の「ラダ」、「ニバ」製中古車、ドイツのVW、ベンツ、日本のニッサン、マツダの中古車も走っていました。

交通量は今では10倍くらいになったし車の年式が新しくなりました。ビシケクの中古車は地方の町や村に売られていったのでしょう。車の量が増えたので事故や工事があるとすぐ渋滞に。以前は多少工事していても渋滞にならないほど車は少なかったです。今いる人は昔からと思うでしょうがこの7,8年で随分増えました。

 

15.町のトイレ考

公衆トイレを始め大学のもそうですが仕切りが低く膝の高さしかありません。

隣に座った人と話しながら用が足せます。女性用トイレも同じように仕切ってあるそうです。

ある公衆トイレでは便が床中に高く積もっているトイレがあって入る気にはなりませんでした。もちろん男性用小トイレには仕切りはありません。シドニーの高級デパートの小便器は円形に向かい合って用を足していたのを思い出しました。

 

16.町の生活は何語で

ソ連時代はロシア語主体だったので、独立以前はキルギス語で勉強する学校はビシケク市内に1校しかなかったそうです。今はキルギス語主体ですが当時の教育を受けた親はキルギス語が苦手、ニュースや番組はロシア語で見ます。その子供たちはロシア語主体が多く、世代が代わって状況が変わるには時間がかかります。

もっともこの話は首都ビシケクでのことで、地方ではキルギス語主体です。村から働きに来たバス運転手にロシア語で停車を伝えても「はー?」となります。

アパート向かいにある店でのこと。ロシア語で買い物をしたら、どうしてキルギス語ではないのかと注意されました。そうか、と思いキルギス語に切り替えましたが、外国人でキルギス語を話す人はまずいないと言いたい。キルギス語はマイナーだから勉強する人は少ないでしょうに。

公共放送は同じニュースをキルギス語、ロシア語と2回放送しています。取材を受けた人で両方話せる人は多くないので、その場合は放送で翻訳音声をかぶせています。

 

17.キルギス人は算数が苦手

人文大にいた頃、旅行の費用を幾通りか比較しようと2人の学生と計算しました。学生2人がそれは違う、これが正しいと言い合っています。何かと思ったら1日の総計を出すのにどれを足した、まだ足してないと言い合っているのです。そんな事は表を作って項目を書いていけばすむ事で、日本では小学生か中学生の授業です。

別の大学でのことです。日本語の授業は何曜日の何時間目か教えて欲しいと言ったらメモをくれました。しかし、見ても何年生がいつなのかわかりません。これも表を作ればわかり易いことなのにと教えてやりました。大学を卒業した人間2人がいたのにわからないメモしかくれませんでした。キルギス人は表を作らないようです。

 

18.家造りは苦手

遊牧時代のイメージがあるのでしょうキルギス人が造る家のトイレは外です。日本も昔はそうでしたけど。一方、客用のホールはやたら広く豪華に造ります。ところが台所は貧弱。これはキルギス人が経営するカフェやレストランも同じで、客席は多いのに厨房に入ると驚くほど設備がありません。さすがに中国、韓国の店では揃っています。

もう一つ、大きな家なのにどうして風呂とトイレを一つに造るのでしょう。それに2階、3階に客用の寝室があるのに洗面台は1階に1箇所だけです。キルギス人の家に行くと「うーん、不便だな」と思ってしまいます。

 

19.冬の朝の珍入者

何年か前の冬、朝5時頃1階インターフォンから呼び出し音が鳴りました。その時間はいつも起きてますが通常呼び出しには出ません。しかし、その時は何となく出たら女性の声で「隣に来たので開けてくれ」と言います。こんな早く泥棒に来る人はいないと思い1階入り口を開けました。

これで終わりと思ったら次にドアのブザーが鳴りました。ドアの覗き穴から見ると若い女性2人です。返事をすると「隣に来たが寝ていて開かないので休ませてくれ」とのこと。部屋に入れるのはちょっと考えましたが寒いことだし女性ならいいかとドアを開けました。

キルギス人2人でさっきまで飲んでいたらしい様子、酔っています。隣のブザーを鳴らしますが誰も出ません。その内にビールはないか、ウオッカはないかと言い出す始末。ないというと、どうしてないとか言います。人の部屋にきて何を言うかと頭に来たので、ここは私の部屋だと言い返しました。

だんだん疲れが出たらしく休みたいというので2人を私のベッドに寝かせました。

台所で豆腐を作っていると起きだしてきて、やがて隣が開いたのでそちらに行かせました。ドアを開けたばかりに珍入者の侵入でしたが刺激になって少し面白かった。

 

20.乗り合いミニバス

中国から7,8年前に寄贈された大型バスはいつの間にか消えていました。大型バスはバザールや配達に便利な路線があり利用していたのに。聞いた話では故障して部品がないので駐車場に眠っているようです。そういえば床が錆びて穴が空いていたり窓が壊れたりとか不備が多かったです。中国は格好だけで使い古しのバスを寄贈しました。

交通は市内を網の目のように走るミニバス路線があります。ミニバスは便利ですが路線番号を覚えていないとどこに行くかわかりません。行く場所を表示してあっても順番が違う。とんでもなく遠回りということになります。この表示は何とかしてほしい。

ミニバスは車内が込むのでスリが多いです。スリはペアで乗って一人が降りる道を邪魔して後ろから盗るのです。被害をいろいろ聞きます。

 

21.バザールは気をつけて 1

市内のオシュバザールで2回閉じ込められたことがあります。買い物をして帰ろうとしたら門が閉まっています。別の所も同じで閉まっています。来た時に売っている店が少ないし売り手たちが集会を開いていていつもと違うとは思いました。原因はバザールの店賃値上げに対して売り手が反対行動を取り、経営者側は門を閉めたわけです。

門をよじ登って出る方法もありますが落ちたら大変。しばらく待つと門が開いたので良かったです。こんなことがもう1回ありました。

22.バザールは気をつけて 2

やはりオシュバザールですがスリの未遂に遭いました。買い物をしていて売り手がどこから来たのかと聞くので日本だと答えたら、その売り手が大げさに驚いて日本からだってと大きな声を出したのです。それを近くにいたスリが聞いていたのでしょう。私が歩き出したら道を塞ぐように邪魔する人がいます。一度立ち止ってまた歩き出すと邪魔します。その時、肩に掛けていたウエストバックに何かを感じたのでふっと後ろを振り返りました。すぐ後ろにイラン系の男が立っていて困ったような顔をしました。私はその場を立ち去りましたが、その日の財布には100ドル札が入っていて盗られたら被害大でした。

別の日にまた同じ売り手のところに行ったら、あの日不審な男2人が私の後に歩いて行ったといいます。原因はアンタが大きな声を出したからだと言いたかった。

 

22.図書室は気をつけて

人文大にいた時です。大学の図書室で本を読んでいて、図書室の係員がドアの鍵を閉めて外に出て行く音がしました。昼時だったので食事だと思い待っていましたがなかなか帰ってきません。もしかしたらこのまま来ないのかと心配になり自分で出る方法を考えました。窓を開けて外に出るか、しかし3階で足場もない。外で掃除をする人の気配があったので、もう仕方なくドアを叩いて開けるように頼みました。鍵を持ってきて開けてくれた時はほっとしました。

後で聞くと他の人も閉じ込められたことがあったとか。図書室に誰もいないことを確認してから閉めてもらいたい。自分の都合でしか仕事していない係員でした。

 

 

(カルチャーショック Ⅴに続く)

 

 

カルチャーショック 第 1部 5

キルギスのカルチャーショック Ⅴ   2015年2月

このシリーズはⅢで終わると思っていたら続きを書く気になったので増えました。今まで同様、頭に浮かんだ内容を順に書いているので起こった時期も内容もはばらばらです。

 

1.ドルはポケットに入れて

もう6,7年前、日本の会社の仕事で中古車を売ったことがあります。大学の教え子と一緒に売りましたがこの教え子はかばんを持たないのです。書類など運ぶのに危ないのでかばんを買って渡したのに使わないで手で持って行きます。

ある時、売れた車の代金5000ドルを郊外の自宅からズボンの後ろポケットに入れて乗り合いバスで持ってきました。これには怒るというより呆れました。夏だったのでドルが温まって汗で湿っていました。

ポケットのボタンを閉めたから大丈夫と涼しい顔でしたが、以前私が預けた金をバスの中で盗られたとしょんぼりしていたのは誰だったのか。この彼に限らずキルギス人はトラブルがあっても学習能力がないと常々感じています。

 

2.女性で「おう!」はないだろう

キルギス人女性で返事をするとき「おう」と言うのをよく聞きます。最初はちょっと驚いてこちらが「おう、なんと!」と思いましたが、あちこちで聞くので慣れてきました。静岡でも聞いた覚えがあるので静岡の女性はキルギス人?

 

3.2010年クーデターでは私も危なかった

2010年4月のクーデターでは旧大統領側がデモ隊に発砲しました。その前、2005年のクーデターは無血だったので他の人も私もまさか発砲するとは思いませんでした。

その日はJICA事務所に配達に行く日でした。アパートは大統領府に近いので、パンパンという音がして黒煙が上がっています。最初は花火かと思ったのですがそうではないとだんだんわかりました。

近くにある機動隊学校から200~300人の隊員が終結して大統領府に向かうなど朝から騒然としていました。配達は大統領府から遠い道を通ることにして歴史博物館東側を通りました。デモ隊や機動隊が移動していて空気がピンと張った異様な雰囲気です。チュイ通りに入る前にお客様から携帯に電話が入り、この騒ぎで事務所は閉めるのでもう配達に来なくてもいいと言います。それで引き返すことにしました。

その時は、大統領府の屋上に狙撃手がいて近くにいる人を無差別に撃っているとは考えもしませんでした。新聞を買っていた人、通勤途中の人などデモに関係ない人が撃たれのです。

アパートに近くなるとまた機動隊の部隊に遭遇、その横を通って帰りました。後で狙撃手の発砲があったことを聞いて、もし歴史博物館の100メートル大統領府寄りを歩いたら撃たれたかもしれないとぞっとしました。実際にその辺りで撃たれた人がいるわけですから。

追放されたバキエフ大統領側の発砲で500人以上が死傷しました。その中に私が入ったかも、などと知り合いに話しました。

 

4.ドアの鍵が折れた

2年ほど前のこと、アパートに帰ってきてドアを開けようと鍵を差し込んで回したら真っ二つに折れました。前からうまく差し込めず何回もガチャガチャやっていたので金属疲労です。これには困りました。スペアキーは部屋だし入れないと何もできない。知り合いに携帯電話をかけたらセンターの地下街で合鍵を作ればいいと言います。折れて鍵穴に残った鍵は取り出せたので幸いでした。

スペアキーを作って来たものの開くか心配でしたが開いた時はほっとしました。開かなければドアを取りはずすとか大仕事です。それ以来いつもスペアキーは持つことにしました。

 

5.偽タクシーが多くなった

タクシー会社が増え、もう20社近くあるかもしれません。みんな車の屋根に会社の表示灯を着けていますが会社の古い表示灯はバザールで売っているとか。もちろん実在する会社の表示灯ですが割れてテープを貼ったりしています。

バザールで買った表示灯を着けて営業しているタクシーがいます。しかし、表示灯だけの偽タクシーにはメーターがありません。行く先を言えばいくらと答えますが高い。会社名なしで「タクシー」とだけ表示してある個人タクシーと同じ料金です。会社の名前があればお客が多くなるという訳でしょうか。この偽タクシーは結構増えました。

 

6.欲しいもの

手に入らない物。以前は圧力鍋でした。バザールや店で探したり聞いたりしてもなし。見つけたのは野外のガレージセールでソ連時代の鍋。これで大豆を蒸して納豆を仕込みました。しかし圧力がかかりにくく時間がかかるし扱いが難しい。それで日本に行ったとき買ってきて今も使っています。

今では圧力鍋を中国や韓国の店で売っています。中国製は安いですが心配、韓国製はかなり高いので買わずじまいです。

他に欲しい物は自動点火のガス台で今でも売っていません。みんなマッチか乾電池式の点火器を使っていますが私は中国製チャッカマンです。以前は程度の悪いチャッカマンしか売ってなくて2日とか数日で壊れマッチに切り替えていました。  どうして自動点火がないのか。たぶん日本の会社のガス台は売ってないからでしょう。あと味醂も売っていません。味醂は日本だけなんですか。中国、韓国の食料品部門にもありません。それとキッチンタイマーもないので日本から送ってもらってます。こちらで時間を計って作る料理はないということです。

 

7.中国うどんのラグマン

手打ちの太い麺を使ったラグマンという料理があります。手打ちというか手で糸のように伸ばして作るので麺は太くなったり細くなったりしています。元は中国ウイグル料理らしいですがもう民族料理になっていて市内のどのカフェでもメニューになっています。

ある日本人にここが美味いと教えられて郊外にあるウイグル系バザールにある店で食べてみました。何と・・麺が柔らかく美味い。今まで食べていたラグマンは何だったのかと目からうろこの思いでした。市内のラグマンは作り置きの麺でバザールのは自家製、しかも毎日たくさん売れるので茹でたばかりで新しいのです。

バザール内には店が10軒以上あるので何ヶ月かかけて全部の店で食べました。やはり味はいろいろ、美味い不味いがあります。バザール入り口の大きい店は不味いし高い、並びの2軒目は味が濃く辛過ぎ、3軒目~5軒目が気に入りました。お客は正直でこの店はいつも込んでます。

時々無性に食べたくなって行くのですが問題は平皿で出てくるので汁が飛んで着ている物に付いてしまうこと。麺は手で撚って伸ばして作り、途中で切らないので一本が何メートルかにつながっています。食べる時は噛み切るしかないのでそのせいもあるでしょう。箸でもフォークで食べても同じ。どんぶりかエプロンを持参した方が良さそうです。

 

8.おつりは手に渡せ

バザールは売り場が狭いのでおつりは手で渡しますが、店ではどこでもおつりは台か机の上に置いています。これでは受け取っていいのかな、などと考えてしまいます。代金を受け取る時は手なのでこの習慣はどこからきたのでしょう。日本の習慣を教えてあげたい。

 

9.ウオッカの一気飲み

慣れとは恐ろしいもので、あんなに度数が強くて飲めなかったウオッカをコップ一杯200ccくらい一気飲みできるようになりました。パーティーなどでの乾杯は小グラスですが一気飲みはロシア人がよくやります。ただし、ロシア人はそれからまた飲みます。私は限界なので終わり。

ロシア人の平均寿命は50歳代と聞いたことがあります。原因はウオッカかもしれません。

 

9.DVDディスク

路上で映画、ドラマなどが入ったDVDディスクを売っています。全部違法コピーのディスクで今は1枚70円くらい。昔は300円くらいだったので安くなりました。安くなったので買っていくうちに増えて箱一杯です。

日本の映画も出ていて北野たけし監督作品や勝新太郎の座頭市などもあります。

 

10.列車は日に3便

市内にある鉄道駅は一つ、ここからロシアへ毎日3便くらい出ています。電化されていないのでディーゼル列車で単線、内部は空調設備がないとか。商売などで大きな荷物を持った人たちが乗っていきます。東のイシククリ湖に向けての便がありますがまだ乗ったことはないです。

 

11.店の自動ドアは

キルギスに来た当初は、個人商店以外の大きな店は「ツム」というデパートしかありませんでした。それも売り場は2階までです。その内にトルコ系のベータストアーが開店し、初めて入り口に自動ドアが登場して「おー」と驚きました。ツムは回転ドアで自動ドアが付いたのはベータができて何年かしてからです。今ではデパートが多くなりどこも自動ドアなので見慣れてしまいました。

 

12.集中暖房

郊外にある熱供給センター(通称「テツ」)から送られる熱水を利用した集中暖房は暖かくて便利です。ただし熱水供給はアパートなどの集合住宅だけなので、一戸建ては電気や石炭を使って自分で供給しないといけません。

集中暖房の欠点は寒くなり始め、暖かくなり始めに供給が1ヶ月ずつずれるということ。10月に建物が冷えてきても雪が降って本格的に寒くならないと入らないし、3月に少し暖かくなると切れて建物が温まるまでの1ヶ月は冷え冷えします。経費節減でしょうが毎年困ってます。

熱水は暖房とは別に風呂や台所でも使います。これが5月の1ヶ月間供給停止します。点検・修理と言いますがこれも経費節減でしょう。モスクワでもこの時期停止するらしいですが白夜の都市で5月はまだ暑くない。中央アジアはもう30度近くになります。ソ連時代の画一基準は訂正してほしいものです。

 

13.中国は嫌い

もう10年以上前から中国人が経営する店、バザールやレストランができています。次にトルコ系の店やレストランができ、最近は韓国系が増えています。

ところで、キルギス人は中国人が嫌い。チンギスハンの時代にキルギスの村々を襲いながらウズベク方面に進出した歴史があるからです。それで2回の大統領追放クーデターの際に中国人経営の店とホテルが焼き討ちに遭いました。略奪は中国系以外にもトルコ系やキルギス系の店が被害に遭ってますから中国系だけを狙ったわけではありませんが。

 

14.信号から音声案内が

アパート近くのジベックジョルという大通りの交差点に「横断は終了です」という音声案内が付きました。こんなのが付いたのかと日本の交差点を思い出しました。しかし終了案内のタイミングが少し早い気がしますけど。もう1箇所マナス・トクトグラ通りの交差点にあるのを知っています。

 

15. 朝4時起きが普通に

1年ほど前から豆腐、納豆の注文がだいぶ増えました。それはいいことですが豆腐は1回に2個しかできないので作るのが間に合わない。それで朝4時起きで6時から作ることになりました。

最初は目覚ましをかけましたがだんだん習慣的になり、歳のせいもあってもう不要になってます。早起きは3文の得、色々用事もできます。ただ昼過ぎ眠くなるので昼寝が必要です。

 

16. 電気ポットを壊したのは誰だ

去年、中国製電気ポットを空焚きしてしまいました。いつも注意していたんですがなぜかやってしまった。その前、ベッドで背伸びしたら水を入れて枕元にあったポットの水を浴びてしまいました。これは何かの警告だったか?

ふと考えて、いつも枕元に置いてあったので、こんな所に置くな、と運命の神様が壊したのか。それともプラスチック製だったので質が悪いからという理由かも。

枕元に置くなという警告と考えて新しく買ったポットは台所にあります。

 

17.牛乳

日本で牛乳を飲むと冷たいのはもちろん温めて飲んでも腹がグルグル鳴って腹を下したりします。こちらでは冷たいのを飲んでも何も影響なし。牛乳の質が違うのかそれとも製造方法かと考えていますがわかりません。

乳製品はチーズ、プレーンヨーグルト、サワークリームなど多種類あってどれも美味しいです。日本ではまだ乳製品の文化が浅いので味はまだまだです。

 

18.2000円札は消えていた

これはキルギスではなく日本でのショックです。何年か振りに日本へ行き、関空で電車の切符を買おうと2000円札を自動販売機に入れたら・・戻ってきました。もう一度入れても同じ。偽札でもないし、と不思議でたまりません。駅員に聞いたら現金窓口で買って欲しいと言われました。

もう自動販売機では使えなくなっていたのです。こんなに変化が早いとは、浦島太郎の気分でした。

 

19.物価は上がって

現地通貨でいうと15年前は米1キロ15ソム、砂糖8ソムでした。現在、米90ソム、砂糖55ソムです。ソムと円のレートで見ないと正確ではありませんが米は6倍、砂糖は7倍高くなりました。肉マンに似ている「サムス」は5ソムが50ソムに、ハンバーガーは8ソムが80ソム、両方とも10倍になりました。

アパート代も高くなって以前は2部屋のアパートが月50ドルでしたが今は1部屋で200ドル以上。アパートの販売額は外国人が買えるようになってから上昇の

一途、2部屋で3000ドルだったのが三万ドル以上になり10倍以上です。

 

20.レーニン像は残った

ソ連が崩壊してそれぞれの国が独立する時、各国のレーニン像が倒され壊される場面がニュースで流されました。しかしキルギスでは無傷で残っています。ビシケクの国立博物館南の中央広場にあった像は博物館のすぐ裏側に移されましたが無傷で建ってます。

キルギスではどうして?ソ連時代、キルギスは最初自治州でしたが国として独立させる際にレーニンが賛成し尽力したから独立できた、というのが理由です。キルギス民族念願の国が成立する際、レーニンが反対したらどうなっていたか。それでビシケク市内でも地方でも像は残されています。

 

21.生水でも大丈夫

海外に行ったら生水は飲むな、というのは皆知っています。しかしビシケクの水は問題なしで腹も痛くなりません。地元の人は飲んでいるので免疫があると思ってましたが試しに水道水を飲んだら特に問題なしでした。もちろんいつもは沸かしていて、たまに急いでいる時そのまま飲んでます。

 

22.紅茶きのこ飲んでます

キルギス人の家に行ったら広口ビンからカップにジュースを入れてくれました。何か上の方に丸いふわふわしたものが浮いています。何だと聞いたら「チャイニー・グリブィ」だと言います。訳せば「紅茶茸」。日本でブームになったとき言葉は聞いた事があってもどんな物かは知りませんでした。インターネットで調べたら写真が出ていてまさにそれでした。作ってみたくなって丸い円盤をはがして分けてもらいました。以来2年くらい毎日飲んでは注ぎ足しています。

しかし「紅茶きのこ」という名称が良くない。きのこではシイタケのように足があるイメージになります。シベリアあたりが発祥で欧米では市販されているとか。最初の名前が「紅茶きのこ」だったので各国で使っているのでしょう。しかし形状はクレープ、とはいえ「紅茶クレープ」ではまたイメージが違うし。頭を悩ませます。いっそ「UFO紅茶」の方がいいかも。

 

(カルチャーショック Ⅵに続く)

 

 

カルチャーショック 第 1部 6

キルギスのカルチャーショック Ⅵ    2015年2月

このシリーズはキルギスでのカルチャーショックとして書き始めましたが別の内容が多くなっています。キルギス情報として読んでください。

つれづれなるままにひぐらし こころにうつりゆくよしなしごとを そこはかとなくかきつくれば あやしゅうこそものぐるをしけれ の心境です。

 

1.ルーブルが下がってソムも下がった

去年8月はキルギス通貨のソムは1ドル51~52ソムでした。それが9月に53~54ソムと動き始め、1月になったら60ソム台に今は61ソム台です。ロシアルーブルと連動していてルーブルが下がった結果です。

ドルの両替にはソムが増えていいですが、流通商品はほとんど輸入なので物価が

上がりました。

 

2.硬貨は嫌い

7,8年前、通貨に1、3、5、10ソムの硬貨が登場し、2,3年前までにすっかり紙幣に取って代わりました。それまであった1,5,10ソムの紙幣は探すのも大変なくらいです。同じ時期に20、50、100、200、500、1000ソムの紙幣は少し小ぶりに新しくなりました。

不便なのは硬貨の大きさ、色、形がほとんど同じこと。10ソムは少し大きくて8角形ですが1ソムと3ソムは数字が刻印されていてもほとんどわからない。色は全部日本の1円玉の色なので困ります。安く作るためにこうなったか大臣が賄賂を受け取ってこうなったかは不明です。紙幣の方が良かったのに、財布がジャラジャラして硬貨は嫌いです。

不思議なのはソムの下の補助通貨トゥイィンも紙幣から硬貨になって使われているのです。といっても一般的ではなく郵便局の支払いや銀行の両替に使われるくらいですが。日本で言えば1銭、2銭の単位です。15年前は紙幣で使われていたもののもう消えてしまったと思っていました。

 

3.通りにゴミ箱が増えた

ここ1,2年でしょうか町の歩道沿いに小型のゴミ箱が増えました。ゴミを道に捨てるのは日本もキルギスも同じ。ゴミ箱はどこのバス停にもあるし商店の前には自分たちで用意した箱が置いてあります。これで町がきれいになればうれしいです。しかし捨てられるタバコとひまわりの種は減りそうもないです。

 

4.大型乾燥機

台所が狭いため暑くなるので換気扇を買いました。通り側の窓に外向き送風にしたら効果なく、内向きにしたらガスの炎が消えそう。少し考えて風呂側の窓ガラスをはずして枠に置いたら今度は良かった。しばらくして風呂側に乾燥した風が送られるので乾燥機代わりになると気がつきました。伸縮棒に洗濯物をかけて送風して風呂場は大型乾燥機に変身。

洗濯機がないので洗うのは手ですが乾燥機が欲しいと思っていたのでちょうど良かった。

 

5.大学の副学部長

日本でいう副学部長とは大違い、学部長の事務担当という役です。女性がほとんどで学部の教室割りや成績書類作成などの雑務をこなして忙しいです。学部長は学生や親から賄賂を受け取りますが副学部長には回ってきません。

 

6.あなたの仕事は私のではない

大学でも官庁でも仕事の担当は独立していて、隣の席でもまるで関知せず、担当がいなければ何もわからない。ある担当がバタバタしている横で何も手伝いません。これは日本関係機関の現地スタッフでも同じでしょう。ソ連時代はリーダーに従えとなっていた、しかし今リーダーはいない。交互に補佐しあうようになるのはいつのことやら。

 

7.アパートのガードマン

アパート前にいつも3,4台個人タクシーが停まっています。私が来てから5年以上、その前はいつからたむろしているのか。毎日、朝6時から夜10時まで1年365日、日曜祝日関係なしで停まっています。こんな朝からどうしてと思うのですがわかりません。

私がどの部屋に住んでいるかを運転手はみんな知っています。私が台所など窓側に立つとこちらが見えるのでしょう。あんたは何をしていた、とか言います。うるさいなと思っていたのですが、ふと考えたらアパートのガードマン役をしていると気がつきました。朝から晩まで人がいたら泥棒は入ってくる暇がない訳です。

これで少しは騒がしさに我慢できます。

 

8.キルギスの孫

もう10年以上行き来しているキルギス人母子がいて、去年、娘に女の子が産まれました。自分の娘や息子と思えているのでその子供は孫。キルギスで孫の誕生です。子供たちは母親をおばあさん、私をおじいさんと呼んでいるので嬉しいです。ただ困ったことに孫は私の顔を見て泣きそうになるのです。たまにしか行かないからでしょうか。一方、息子の妻はもうお腹が大きく、今年二人目の孫が産まれます。

 

9.自家製ワインは好評

ブドウとパン酵母からワインができます。ブドウを手で潰して砂糖を加え、酵母をパラパラ振っておけば1日で醗酵を始めます。あまり温度が高いと早く進みすぎるので冷蔵庫に置きます。1週間ほどで醗酵が終わるので布で漉して、1週間後に上澄みを分けます。上澄みの分けを3回ほど繰り返せば出来上がり。キルギス人親子にあげたら美味いと好評でした。

 

10.無慈悲な神

市内のバザールで売り場の通路を歩いていたら向こうから子供が青年に手を引かれて歩いて来ます。バザール見物に来たのでしょう。しかし遠目にも何か変。近くなってすれ違う時にチラッと見たら・・目から下の皮膚の色が変質し垂れ下がっています。ライ病とかハンセン氏病というのでしょうか。目は輝きを持っていたので、きっと頭のいい能力ある子供と思いますがあのままでは・・・。無慈悲な神は何十万人か何百万人に一人、このような試練を与えます。

ロシアのテレビ局に生放送番組があって、1ヶ月ほど前この病気にかかっている人が何人かスタジオに来ていました。テレビに出るくらいですから性格は前向き、大学を卒業したりして病気と闘っています。手術で治療する医者も登場したり、モスクワにある学校の校長が出て子供に入学してくれと話したりしていました。

 

11.納豆サンドはいかが

パンにバターかマヨネーズを塗って上に納豆を乗せていただきます。結構いけると思ったので何人かにお勧めしました。しかし食べてみたという話を聞きません。先入観があって食べてはいないのでしょう。いけると感じるのは私だけですか?

 

12.日本人ビザ

2000年から日本人のキルギス入国ビザが不要になり去年2014年まで続きました。入国ビザ不要といっても長期滞在では外国人登録が必要で、それにはビザと同じ手続きが必要でしたけれど。

去年、大使館からのメールでビザと外国人登録が必要になると知り慌てました。最初、外務省は長期滞在者が一度外国に行き、そこのキルギス大使館でビザ手続きを始めるように言ったのです。大使館からキルギス外務省へ交渉して手続きが簡略になり良かったです。隣国カザフに行けばいいと言ってもそれは大変ですから。

現在、2ヶ月以内の滞在ならキルギスへの入国ビザ、外国人登録は不要です。それ以上の滞在は、日本のルギス大使館で滞在手続きをしてくるか一度外国に出てそこのキルギス大使館で手続きをする必要があります。

 

13.超能力学生

日本語弁論大会があるというのでテーマについて学生が相談に来ました。今考えているテーマというのを聞いていて最初は意味がわかりませんでした。

「読む」?「人の考えを」?? えー???!!!その学生は同級生の考えていることが読めると言うのです。じゃ、今私が何を考えているかわかる?と聞いたら、体調が特別な時でないとだめで、ごくたまにだと言います。

それにしても心を読むとは・・超能力です。人間は能力の何分の一、何十分の一しか使っていないと言います。たまに使える人が出てきて驚かせますが。とりあえず学生には弁論大会のテーマとしては合わないよ、と言いました。

私はといえば人の「気」を感じるくらいです。清水にいた時もありましたがビシケクでも、後ろから私を追ってくる「気」を感じて緊張しているとポンと肩を叩いてあいさつがありました。投げ飛ばさなくて済んで良かった。

 

14.超豪華学生

大学の日本語クラブで去年折紙を教えた時です。日本製の折紙を見せて好きな色を2枚ずつ取っていいよ、と言いました。他の学生はオレンジ色や緑色などを取ったのですが、ある学生は1枚ずつしかない金色と銀色を取りました。どこにでもこういう人はいるものだと思わず笑ってしまいました。学生はその折紙で今日の題材の鶴を折っていました。

 

15.建築ブーム

もう5年以上前からビシケクは建築ラッシュ。あちこちでクレーンが動いています。アパート南側も10階建ての大きなマンションを建築中。すぐ隣にある古いアパートには日が当たらなくなりました。通り一つ向こうにもマンションが完成。しかし造っている所を見ていましたが材料、施工は感心しません。

ホテルも何箇所か、JICA事務所や体育館近く、私のアパート近くにも建ちました。こんなに必要かなどと考えてしまいます。

 

16.カルパック(民族帽子)は便利

2年前、半年ほど外国人登録が切れていました。頼んであった知合いのキルギス人が手続きを進めないのです。それで、町で警察官に尋問されないようカルパックをかぶることにしました。登録が切れている時は精神的に良くないです。幸い尋問されることはなく登録更新ができました。

それから何か癖になってしまい毎日カルパックをかぶっています。白い羊の毛で作ってあるのでかぶっていると汚れて灰色になってきます。洗うのが面倒とほっておいたらキルギス人に交換しろと注意されたので洗いました。

前に洗ったカルパックは縮んでしまったのですが、今回洗ったのは山高帽の形を保っています。

 

17.日本との時差は3時間

2005年のクーデターの後、ロシアに合わせていた夏時間を廃止しました。それで日本との時差は夏3時間、冬2時間でしたが常に3時間となりました。ロシアは夏時間、冬時間を採っているので2時間、3時間の季節による差はあります。

3月と9月の最終日曜日だったと思いますが時間を直し忘れると大変でした。約束した時間に会えなかったり授業時間に遅れたりしますから。

 

18.日本語学校が消えた!

もう10年位前ですが民間の日本語学校で2年くらい教えていました。キルギス人、日本人の夫婦が学校を始め日本からの中古コンピューター、中古車輸入の会社を創ったのです。学校の1年目は順調でしたが2年目、経営はいいもののキルギス人学校長はじめ事務スタッフの仕事がどうもちぐはぐです。無責任な行動が多くなり、どうもおかしいなと思い始めました。

夏休みに日本へ1ヶ月ほど行って来て学校に電話すると聞きなれない声で学校はない、と言います。驚いて学校に行ったらもう別の会社が入っていました。学校はどこへ移転したと聞いても知らないという返事。学校が突然消えてしまった。

あとで経営者夫妻に聞いた話では校長やスタッフが突然閉鎖したと言います。仕事にやる気をなくして閉めてしまったのでしょう。自分が経営する学校ではないのに無責任な話です。

 

19.すごい確立だった

気に入った床屋を探すのも一苦労です。今はアラミジンバザールの床屋ですがその前はアパート近く、その前はソビエト・キエフ通り交差点の店でした。

日本と違って床屋と美容院は分かれていなくて同じ店で男女の場所が違うだけです。女性専用という店も増えていますね。外国人や金持ちが行く高級な店がたくさんできましたが高くていけません。

キエフ通りの店は女性理容師が頭の後ろを短くしてくれるのですっきりします。それで気に入って通っていました。半年くらい続けて行って次に行ったら別の人。今日は休みかと思い次に行ったらまた別の人。

後で聞いたら一日おきに来ていると言います。ということは半年以上たまたま行った時その人だったのは、2分の1掛ける6か7というすごい確率で当たっていたことになります。毎日来ていると思っていました。

その理容師はしばらくしていなくなってしまったので、また店探しをしました。

 

20.1階は食料品店

アパート1階にテナントで食料品店が入っています。アパートに来たばかりの頃は洋品店でしたが1年ほどで代わりました。最初は品数が少なかったもののだんだん充実してきて便利になったので、私はパンを買うくらいでしたが利用していました。いつもお客が一杯でこれは成功したなと。

もう一軒、すぐ通り向かいにも食料品店があって、この店も朝7時から夜11時頃まで営業、同様にいつも込んでます。2軒ともセブン・イレブンですね。

1年ほど前、いつのまにか1階食料品店の経営者が代わりました。心なしか客が減ったような、どうなんでしょうか。

 

21.テレビ局の取材が

最近、JICA事務所の方からテレビ局の取材打診があるがどうかと聞かれました。世界の辺境地を扱っている番組から納豆を販売している日本人がいるそうだからというのです。日本への近況報告になるかもしれませんが面倒なので今回も今まで通り断りました。

 

(カルチャーショックⅦ に続く)

 

カルチャーショック 第 1部 7

キルギスのカルチャーショック Ⅶ     2015年3月

Ⅳ~Ⅵを2月に一気に書いて少し疲れました。豆腐や納豆を作っている時、突然文章が頭に浮かんでくるので困ります。今それが少なくなりました。今回で少し休んでゆっくり進めることにします。

 

1.キルギスは昔見た故郷の風景

表題のことはまだ書いてなかったですね。外部の事象は書いても自分内部のショックはまだ書いていなかった。

キルギスにツアーで来たのが98年8月、そのすぐ後10月に個人旅行で1ヶ月ほど来ました。その時、日本語教師をしていた先輩から教師の誘いを受けて、翌99年2月に来て以来16年になります。

どうしてそんなに?

それはツアーで来た時に見た景色を以前見たことがあると感じたから。これはショックでした。私はここから来たのだと。何千年もかかって私の中に入った遺伝子が覚醒したのでしょう。何人もの方に話しましたがやはり理解できない。

子供の頃から漠然と、自分はどこからきたのか、どこへ行くのか、と考えていました。漠然としていたので人に話したことはありません。何でそんなことを言うのか、と一笑されるのがわかっていたからでもあります。

富士山や桜、刺身や純米酒も好きですが日本は何か違和感があった。自分がいるところではないような。

人生で周りまわってやっと故郷に来たわけです。運命の神様や多くの人の助けでこれまで多くの困難を乗り越えられました。感謝しています。

 

1-2.バトケン人質事件

このショックな事件はまだ書いてなかったです。

来たばかりの99年8月、ウズベク国境に近いキルギス南西部のバトケン地方で日本人鉱物技師4人とキルギス人通訳などがイスラム過激派部隊に人質にされました。過激派はウズベクに移動する途中でキルギスは通過するだけだったのですが外国人がいたので人質にしたのです。

過激派が国境を越えたという知らせは地元に入っていましたが警察は自分たちが守るからと言っていたようです。しかし武器の差が大きすぎて警察はたちまち逃走し、残された人たちが人質に。

他の外国人は独自の判断で退去していましたが日本人は日本の本社や地元の様子を元に判断し留まった。この差が大きな結果になりました。危機管理という言葉がこの頃出てきたような気がします。

この事件の取材に日本から多くの報道陣が来て、日本語教師や学生が雇われました。

身代金を払って人質が解放されたのは何ヶ月後だったか。この時期、お前は大丈夫かという日本からのメールがたくさん来ました。

事件のまだ最中、人質から解放されたというキルギス人が市内のカフェで親戚や仲間と来ているグループと隣り合わせました。周りは喜んでいても本人の顔色は冴えません。まだ緊張が去らないので当然です。

事件後しばらくして、市内オシュバザールで板の上に座って援助を乞うている若者を見ました。両足の膝から下を失っていました。「バトケン」がどうのと紙に書いてあったので、彼は兵士だったのか警官だったのか、あの事件の犠牲者だとわかりました。

過激派はこれほどの火器を持っていた。地元の警察はピストルかライフルくらいだったのでは。竹やりで戦車に向かったようなものです。

1-3.青酸カリ流失

これもまだでした。大きな事件を忘れていました。

キルギスの東南部ナリン州の山中にカナダのクムトールという金採掘会社の採掘現場があります。金の精製は最終段階で青酸カリを使いますがこれをカナダから空輸しています。ナリンに行く途中でこの青酸カリを運ぶタンクローリーとすれ違ったことがあります。前後をパトカーや警備の車に守られ、すごいスピードで走っていきました。

2000年くらいだったと思いますが運搬のタンクローリーが山道で転落、青酸カリがナリン川に流失し下流にいた何人かが水を使い亡くなりました。当時の大統領アカーエフは地元に砂糖などの食料を送り慰霊しました。

精製工場で青酸カリを扱っていて成分を吸い、頭がおかしくなった人も多いとか。会社は秘密にしているのでニュースにはなりませんが。

何年か前からクムトールを国営会社にしようという議論が国会でされていますがまだ結論は出ていません。最近「アイウル」という銀行がクムトールの出資でできました。これは国営化に対抗する手段なのでしょうか。

 

2.トルコが、中国が、ロシアが

3年ほど前から大きなイスラム教礼拝堂を建設していて4本の尖塔ができました。トルコの金で建設しているとか。10年以上前からトルコ資本のデパート、靴販売、パン・ケーキ販売などに進出してくる業種が増えました。

中国関係は繊維バザール、食料関係、レストランなどができていて、最近は韓国ショップが目立ちます。最近ロシア、カザフなどと関税撤廃同盟を結んで今年から発効しました。これからロシア製品が入ってくることでしょう。

キルギスは輸入超過で国はどうなるのか。輸出産業を育てないといけません。

 

3.銀行は夕方7時まで

最近は土日休業、午後4時閉店ですが、2,3年前は土曜も営業、平日は7時頃まで開いていました。昔は毎年倒産する銀行があったほどです。今はカザフやロシア資本、キルギス資本の銀行など随分増えています。

 

4.昔バザールがあったとさ

市内のバザールで大きいものはオシュ、アラミジン、オルトサイの3箇所、市境に布地関係でマディナバザール、郊外にドルドイバザールがあり、小規模なバザールはたくさんあります。

以前は、モス・ソビエトと呼ばれる市の中心地にもバザールがあり、深夜まで営業していました。それが撤去され今は噴水と駐車場に変わっています。他にもミラ通りとアフンバエバ通り交差点にあったバザールも撤去され今は緑地です。ジャル団地にあったバザールも同様になりました。屋根のない屋外での販売を禁止したということでしょう。

モス・ソビエトのバザールがなくなってからモスクワ通りを少し東に行った所に屋内のバザールができました。しかし、ここはどうも高いです。周辺に外国人が多く住んでいて高くても買うからだそうです。

2m×1m位のプレハブ式店舗のキオスクは、何年か前から撤去されたり動路面から引っ込められたりしています。

 

5.デジタル計り登場

以前、バザールや路上での販売は手持ちのばね計りを使っていました。10年くらい前からデジタル表示の計りが登場しました。中国からの輸入でしょうから何万台も輸入した業者は儲かったでしょう。

 

6.誕生日おめでとう番組

キルギス国営放送のテレビ番組に家族や友人からの依頼で誕生日を祝う放送があります。本人の写真を見せるだけの簡単なものから、コンサート場面を出したり自作のビデオなどが入ったりします。局に払う依頼料の違いで凝ったものは高いそうです。

番組を最初見たときは、言葉がわからないこともあって何を放送しているのか理解不能でした。日本にこういう番組はないですから。番組では本人の名前を呼んで依頼者の名前と祝辞を伝えます。この担当アナウンサーの声は私が聞いてからずっと同じ。もっと前から何十年も担当しているかもしれません。

 

7.天気予報は単純

ロシアもそうですが天気予報は水力発電所センターが発表します。大雨や洪水などダムの水管理のため予報を担当していると思います。なので予報は単純、明日は雨(雪)が降ります、降りません。気温は、風力は・・だけです。午前中曇り、午後は雨になりますとか全然言いません。天気に細かい日本人としては、もう少しな、と注文をつけたいです。

それとテレビの予報画面が非常に見にくい。州ごと(日本で言えば地方)の天気を伝えていてもどこの州なのか文字が小さいし、晴れや雨のマークが見えにくい。大事な部分はもっと大きくしてほしい。

一方、去年辺りから天気予報が当たるようになりました。例えば、来週は雪になりますというと最近は降ります。以前はまったく当たりませんでしたね。下駄を投げて予報していると思っていたくらいです。

 

8.テレビ番組に出演

3年程前、知合いのキルギス人プロデューサーから番組を撮影するから来て欲しいと電話がありました。しかも今日の午後と言います。断ろうかと考えましたが世話になっている人なので仕事をやりくりして出かけました。

「外国人のためのキルギス語講座」という自主制作番組で、私は友人から家に招待されてバザールでお土産を買うという設定です。ホームビデオのカメラを使って何箇所かで撮影しました。うまくできなかったキルギス語の台詞は後で録音しなおしました。なるほどこうやって作るのか。何人かからテレビを見たと言われました。

以前、テレビのニュースに知人とサーカス場にいた時、路上で写真を撮っている時など映っていたと言われました。キルギスは狭いから撮影スタッフと出会うことは多いです。

 

9.鍵の管理がどうも

大学で教室の鍵を借りるのですがキーホルダーに教室の番号が付いているわけではなく鍵だけ渡されます。いくつか混ざったらわからなくなるでしょうと言いたい。仕方がないので自分のキーホルダーを提供しました。

大学に限らず一般の家の鍵なども同様の扱いになってます。遊牧時代は鍵などなかったから扱いがわからない?

 

10. ガスの炎がどうも

お湯を沸かしたり料理を作ったりする時、キルギス人はガスの炎を大きくし過ぎます。ヤカンの底から50%くらい炎がはみ出しています。テレビドラマや映画のシーンでも同じように炎は大きいのでこれは一般的でしょう。

煮物は「カザン」と呼ばれる底の丸い大きい厚鍋で作ります。形が丸いので炎は鍋を伝っていきなかなか熱くなりません。この鍋は遊牧時代の必需品で何でも作ります。キルギス人にガスはかまどとは違う、ガスが不経済と注意しても聞きません。

定住化して3世代くらい、母親や祖母から伝わったのは遊牧時代の料理法なので直るのは何年先かわかりません。

 

11.ウイグル人、アゼルバイジャン人

中国ウイグル自治区に住むウイグル人の顔立ちはアジア系ではなく中近東系。ずっと昔、移住して行ったそうです。DVDでウイグル映画を見たら言葉はキルギス語に非常に似ています。例えば「ありがとう」はキルギス語で「ラフマット」、ウイグル語は「ラフメット」です。ウイグル映画では大体どんなことを言っているかわかります。

チュルク語系言語というのですがトルコ語もキルギス語に似ているので大体わかります。トルコ人とキルギス語で話したこともあります。

市内のバザールで豆腐容器などプラスチック製品を売っていて、ある時、売り手が数を数えるのを聞いていたらキルギス語とほとんど同じ。え!と驚いてキルギス人かと聞いたらアゼルバイジャン人でした。数はほとんど同じ、言葉も共通語が多いと言います。キルギス語の仲間は多いのです。

 

12.オリジナル製品とは

十何台か二十何台目かのミキサーが壊れてバザールに買いに行きました。今まで色々なメーカーを買っていますが不良品が多く、最短はスペイン製のミキサー2分で壊れました。モーターは良くても回転軸部分が壊れ、モーターの回転が回転部に伝わらない。これは修理してもだめでした。

今使っているメーカーはモーターも良くて最長1年ちょっと持ちました。最短は2ヶ月。差が大きいです。今回も探したものの古い型しかなくて他のメーカーを考えながらたまたま新しい店に入ったらありました。しかし5割も高い。これはオリジナル製品だからというのです。

オリジナルというのはどういうことか。メーカーの工場製で本物?ということはほかで売っているのはみんなコピー商品?

明日は豆腐を作るのでとりあえず買ってきました。どこという訳ではなく使い勝手がいいです。これがオリジナルの差でしょうか。製品は突然壊れることが多いのでいつも2台を交互に使っているのでもう一台買いました。あとは長期に使えることを願っています。

 

13.ロシアの漫談

ロシアのテレビ放送に日本で言えば漫才番組があります。その中で漫談というのか一人で話す人がいます。楽器を使う人もいますが何も使わず手に持った原稿を元に短い話をするスタイルがあります。これは日本にないですね。ロシアの真似をするのが多いキルギスですが、この漫談はキルギスにはありません。

14.キルギスのテレビ番組

キルギスのテレビ番組はロシアのパクリが多い。芸能人のサーカス演技やクイズ番組、生放送番組などロシアのパクリです。しかし予算がない、スタッフが少ない、という訳で随分と簡単な内容になっています。さすがに芸能人のペアスケート番組はやりませんでした。スケートができる人はいないのでしょう。

それから日本人が好きな連続ドラマがない。舞台の脚本家はいてもテレビドラマの脚本家がいないのでしょうか。ドラマが始まったなと思っているといつの間にか終わっています。

 

15.市内のプール

3年ほど前の夏、市内のプールを周りました。最近は民間のプールもできていますが高い。周ったのは学校や大学のプールで10箇所くらいありました。オルトサイバザール近くの7番団地内、南部の10番団地内など。体育大学のプールは大きいですが水が冷たくて長く入っていられません。12番団地内で学校のプールを改装新規オープンした温水プールもありました。ここはロッカー、シャワーがあって使いやすいです。

 

16.大学の制度はいろいろ

大学で学ぶ制度がいろいろあって、いまだによくわかりません。通常は5年間で卒業ですが、4年で卒業してから2年大学院で学ぶ方法、4年で卒業してしまう方法、通信教育で学ぶ方法などいろいろです。

今年の3年生から4年生で卒業したあと2年間修士課程で学ぶ制度になったようです。

 

17.私たち寿司を食べたいです

これは先日のこと。3月8日国際婦人デーではキルギスを始め旧ソ連圏で女性の祝日として大いに祝います。その祝日が近い授業で、学生からお祝いに寿司を食べたいとねだられました。

寿司の作り方を課外授業で教えたりしたので私が作るのを知っています。また食べたいという訳なので次の授業に持って行きました。寿司を食べたいというのは日本語を勉強している学生に共通の欲求です。市内に寿司バーがありますが高いので学生は行けないし美味くない。私の寿司の方が美味いでしょう。

 

18.勝手な床屋

もう1年以上バザールにある床屋に行っています。襟首辺りを短くしてくれるのですっきりします。注文しても短くしてくれない店は2度と行きません。同じバザールに床屋はいくつもありますが安かったのでたまたま入ってみました。

理容師が言うには私の頭は刈りやすいとかで、私が行くのを待っています。ただし、寒くなったから少し長くしてくれと注文しても今までと同じに刈ってしまうので困ります。似合うからあなたにはこれでいいの、と言われ終わり。客の注文を聞け、と言いたい勝手な床屋です。

 

19.10年ぶりにばったり

スーパーでの寿司販売を考えて知合いのロシア人が売っているスーパーに行った時のことです。場所を借りると賃貸料、ショーケースなど出費が大きいです。考えていると今ある店に販売を依頼するという方法を教えられました。

キムチを売っている店で相談しようとロシア人と一緒に行くと店員の韓国女性が私の名前を呼びます。え!とよく見るとキルギスに来たばかりのころ買いに行っていたミニバザールのおばさんでした。ロシア語を知らない時なのでいつも辞書を持っていて時々教えてもらいました。

アパートを引越しても近くを通った時買っていました。しかし、おばさんがバザールを替えたりして顔が見えなくなってしまい10年くらい会っていませんでした。それがばったり再会。

おばさんは売り場の所有者ではないので、その後で所有者と交渉して売ってもらうことになりました。

 

20.バザールの売り場で

何年かぶりにふらっと出かけたバザールの肉売り場。これをくださいと注文したら「あんた、前に来たことがあるね」と売り手の女性が言います。よく見ると見覚えがありますがもう5年は来ていなかったはず。以前来た時、日本人だと言って話したような気がしますけど。それにしても売り手はよく覚えているものだと感心しました。

 

21.足乗り猫

何年も前ですが、知合いのキルギス人の家に生後何日かの猫が近所から拾われて来ました。最初は手のひらに乗るくらいの大きさでした。もうこの頃から私がソファーに座っているとやってきて、膝の上に乗って休んでいました。だんだん大きくなって腿から片足はみ出すくらいになっても乗ってきました。落ちそうになるとズボンに爪を立ててつかまっています。

日本で犬は飼っていましたが猫は知りません。こんな調子で休んでいる猫がいるのでしょうか。その猫が家出してしまい別の猫が拾われてきましたが、また足に乗ってきました。私は猫の生まれ変わりかなどと考えてしまいます。

 

22.女性のスカーフ、ロングスカート

2005年のクーデターはキルギス南部オシュ市出身の政治家が起こしました。その際オシュ地方から多くの人が首都ビシケクに入ってきたのでしょう。イスラム女性特有のスカーフ、ロングスカートが増えました。

オシュ地方はイスラム教の戒律がビシケクより強く守られています。家にお客が来ても食事の時など男と同席することは許されない。スカーフは常用しなければいけないなど。ビシケクとは随分違います。

ここ何年かでイスラム色が強くなって、カフェや肉屋で「ハラール(イスラム式で屠殺した肉)」という表示が増えました。酒、タバコ禁止のカフェも増えました。

23.名を名乗れ

キルギス人もロシア人も電話して相手が出ても自分を名乗りません。こちらが名乗ってもそのまま。誰かなと考えていると親しそうに話しています。仕方がないのでどなたですかと聞くしかないです。

日本式の名乗りは世界的には少ないのでしょうか。英語圏では名乗ると思いましたが。

 

(カルチャーショック Ⅷに続く) 大滝

カルチャーショック 第 1部 8

キルギスのカルチャーショック Ⅷ       2015年3月~5月

前回のⅦから少し休んで書き始めました。書くことが頭に浮かんでもメモできないと忘れます。どうして仕事中に浮かんでくるのでしょうか。

今年は4月にもう30度になりました。例年は5月になって30度の日が出ます。今年も夏は猛暑になるのか。

 

  • 乾燥体質になったか

日本は湿度90%前後ですが、キルギスは50%前後なので来たばかりは喉が渇いて仕方がなかったです。今では体が慣れたのか体質が変化したのか喉が渇く度合いが減りました。日本に行くと2,3日で何キロか太るのは、美味しいので日本食の食べすぎかそれとも水分が抜けて行かないからかもしれません。

春になると街頭で「ショロ」という商品名で麦を炒って作った飲み物を売っています。これは民間に昔からあった「マクシム」という飲み物を商品化したものです。街頭で売るようにしたのは社長のアイデアです。社長はほんの20年程前にはバザールで「ショロ」を個人販売していたそうで、美味いとの評判で商品化したのでしょう。その発想はたいしたものです。

私には糠みそのジュースに思えてほとんど飲みませんけど。最近は新商品でレモンティーなどを売っているのでそちらを飲んでいます。乾燥気候なので需要は大きいです。

 

  • 標高1000メートルからひろがる草原

キルギス語で「ジャイロー」と呼ぶ高地草原は、山あいの谷間に広大に広がっています。標高1000メートルにあるもの、2000メートル、4000メートル。ここでキルギス人は夏に馬や羊を放牧しています。少ないですが今もここで生活している人たちがいます。昔キルギス人はこういうジャイローや国境を越え各地を転々としていたわけです。

 

  • 3000メートルは低い山

キルギスの最高峰は中国国境にあるパビエダ(勝利)峰7439メートル、2位はタジキスタン国境にあるレーニン峰7134メートル、3位はパビエダ峰の近くでカザフとの国境にあるハンテングリ6995メートルです。

高山はビシケクの近くにも位置しています。町から車でほんの1時間弱のところにあるアラアルチャ自然公園からは4000メートルの山が望め、氷河へのトレッキングもできます。

 

  • 富士山山頂にトンネルが

ビシケクからウズベク方面、西方のオシュ市に向かう道路はソ連時代からありましたが日本のODAで整備された山越えの道です。15年前オシュに行った時は12時間以上かかりましたが今は7,8時間で行けるらしいです。

途中、標高3400メートルの峠にトンネルがあり、片側交互通行なのでここをいかに早く抜けるかがポイントです。

 

  • 車は右、人も右

ビシケクは都市計画で造った町なので歩道はどこも広くゆったり歩けます。双方に歩ける歩道で人は右を歩くか左なのか注意して見ていますが大体の傾向では右が多いようです。

車は右側通行で、人も右側通行ということになります。

 

  • 大学の教室に監視カメラ

私が顔を出している法律大学には以前から各教室に監視カメラが付いています。もう一つの大学には去年暮れに付いたと学生が教えてくれました。

ある時、学生が荷物を置いたまま鍵を掛けずに出ようとするので危ないからと注意すると、カメラが付いているから大丈夫という返事。しかしカメラは写しているだけで誰かが監視している訳ではないでしょう。それにどのくらい記録を残してあるか不明なので盗まれてしまってから慌てても役に立たない。学生は過信しすぎ。それでとにかく閉めさせました。

 

7.変な車に乗りました

だいぶ前のことですが道でタクシーを拾うため手を挙げて待っていたら小型の車が停まりました。ボディーにはコカコーラの宣伝が書いてあります。

乗ってから聞いたら懸賞で当たった車だとか。それで今日、始めて乗ったばかりだそうで運転が危なっかしい。そんな運転なのに人を乗せるな、と言いたいくらい変な車でした。

 

8.ジプシーが増えた

ロシア語ではツィガンと言いますが、ジプシーが増えたなと感じて何年くらい経ちますか。道沿いに子供や乳児を抱いて座って物乞いをしています。ジプシーは国を持たず国籍もなくどこへ行くのも自由。しかし村へ行ってももらいはないから町へ来ます。世界的には定住するジプシーもいるとか。

 

9.女性のイスラムスタイルが増えた

夏の暑い時でもロングスカートにスカーフというイスラム女性のスタイルが増えました。これは2005年のクーデターをキルギス南西部オシュ地方出身者が起こしたので、その際デモに加わるために上京し住みついた人が多いからでしょう。オシュ地方はウズベクに接しているのでイスラム色が強いのです。そこに家族が集まってきたからだと思います。2005年以前は全くと言っていいほど見なかった姿です。今ではイスラム服や専用スカーフを売る店までできました。

 

10.動物の本能

知合いの家に生まれたばかりの子猫が2匹もらわれてきました。しばらく飼っていて友達の家にあげました。車で30分くらいの所なので20キロくらい離れていたでしょう。

1週間位して知合いの家に行って玄関に立ったらニャーニャーと猫の声がして私の所に来ました。見るともらわれていった子猫のようです。これには驚きました。匂いをたどって来たのでしょうが車が多い大通りもあるし20キロ近くをよく辿り着いたものです。行った先が何か嫌だったのでしょう。

子猫たちはしばらくして別の家にもらわれていきましたが今度は戻ってきませんでした。きっと気に入ったことと思います。

同じ家の犬の話です。しばらく飼っていた犬を近所に欲しい人がいてあげました。行った先は庭が広く快適なはずなのになぜか帰ってきたくて毎日泣く、それも涙を流したそうです。結局戻ってきて狭い場所で暮らすことになりました。どこが違ったのか。

 

11.朝、ドアが開いていた

朝出かけようと入り口の鍵を回すと、あれ回らない。なんと夕べから開いていたのです。これは何回かありました。3年ほど前に1階入口はインターホン式になり人の出入りは制限されました。しかし、その前の時にも部屋のドアが開けたままだったことがありました。危ない。何事もなくて良かった。

 

12.食事作法

先日、日本語弁論大会を聞きに行ったらこんな発表がありました。

お客で行った時、日本では出された料理を全部食べると家の人は喜ぶ、しかしキルギスでは少し残さないといけない。

確かにキルギスでは料理を全部食べるとまた追加を持ってきます。満足していないと理解されるわけです。お客が来た時はテーブルの上に隙間なく料理を並べないといけないそうで、これほどあなたを歓迎しているという意思表示です。

料理はサラダから始まってスープ、パン、肉が出てもう終わりかと思うと少し休憩してまた出てきます。これを知らない時は次々出てくるので食べられなくて参りました。キルギス料理は少し残して、「お腹一杯です。十分いただきました。」と示さないといけません。

 

13.マグロのカマ

やはり弁論にありましたが、日本で食べた刺身船盛りにマグロの頭が乗っていて気持ちが悪かったと言います。それはそうでしょう。見たことがない形の生き物ですから。日本人から言うと羊の頭が皿に乗っているのが気持ち悪いのと同じです。生活の中で見慣れないものは驚くものです。

 

14.トイレットペーパー

変な話になりますが、キルギス人はトイレットペーパーを水に流さず横に置いた箱に入れておき、あとでゴミとして捨てます。これは大・小に使ったに関係なく全部そうします。

どうしてか?想像するに、昔は新聞紙やノートなどの固い紙を使ったとか、質が悪いトイレットペーパーでよく詰まったとかでしょうか。今はトイレットペーパーの白く柔らかいのが多いですがまだダンボールのような厚いのを売っています。

真実はわかりません。追求してみましょうか。

 

15.ロシアは大統領と首相が交代

キルギスではなくロシアの話題です。現プーチン大統領は大統領多選禁止の規定があるため、仲間を大統領に推し首相に転じました。一任期後大統領に復職、仲間を首相に就任させました。国民の人気、信頼があるためこのようなことができるのでしょうが、え!と驚きます。

 

16.連絡してくれ!

あるキルギス人教師から大学のイベントで寿司を作りたいと相談がありました。大学の外国言語コースごとにイベントをするようです。大学が費用を出すのでネタを何にするとか2回ほど打ち合わせしました。

しかし、その後予定された日の近くになっても連絡がありません。当日の予定を空けるため自分の日程を変更していたのに当日も音沙汰なしでした。

後で聞いたら打ち合わせした内容を変更して学生と自分たちだけで作ったので私は必要がなくなったというのです。それなら連絡してくれ、と言いました。この件に限らず必要がなくなるとキルギス人は連絡してよこしません。

必要となると色々な伝をたどって私の所に電話して来ます。え!と思う相手から電話が来ます。そして、すぐに必要です、作ってくださいとか言って用事が終われば何の連絡もなし。

日本では稀にありますがキルギスでは日常的です。まともに相手の希望を聞いてはいけません。

 

17.調味料は塩だけ

キルギス料理は五つしかないと前に書きましたがその調味料は塩だけです。日本も昔はそうだった訳ですがキルギスは今も塩だけです。ロシア料理も砂糖や胡椒を使わないので調味料の種類が増えるのは何百年も先です。

 

18.宝くじが大評判

何年も前から宝くじが売られていて私も試しに買ったことがあります。しかし、いつ発表なのか、どのように発表するのかわからない宝くじでした。これは金を集めていただけでしょう。

今は韓国系の会社が大々的に宣伝しています。1枚100ソム(200円)のくじで1等800万ソム(1600万円)、150ソムのくじで1等2000万ソムという設定です。最近は簡易宝くじ販売所を街頭に置き拡大を図っています。それにアパート1階の店や近くの店の壁に宝くじの大型宣伝シートが貼られました。

それから、会社の宣伝ニュースで高額賞金を獲得した人を放送していますがこれは危ない。顔が出てしまい親戚を始め皆が知るので、地元に帰った途端に金を貸せとか言って親戚中が集まってくることでしょう。もし当たってもニュースには映らない方がいい。私も買っていますが当たったことはないので関係ないですが。

 

19.行き倒れも多い

酔っ払って歩道で寝ている人も多いですがどうもこれは死んでいるのでは、と思える人もいます。商店前のベンチで横たわっている人がいて、横で泣きわめいている場に出会ったことがあります。亡くなったばかりだったのでしょう。

 

20.どこでも住める

昔あった日本食カフェ亙の隣に空き地がありました。配達で毎週通っていましたがある時シャツなどが干してありました。店で聞いたら村から出てきたキルギス人が何人か住んでいるといいました。

空き地は建物の壁が残っているのでそれを使って紐を渡し寝る場所もあります。チラッと見ると鍋や食器が見えました。他の空き地でも住んでいる形跡を見た事があります。どこにでも住んでしまうノウハウがあるのです。

(カルチャーショックⅨ に続く)  大滝

 

 

カルチャーショック 第 1部 9

キルギスのカルチャーショックⅨ     2015年5月

このシリーズは日本にいる人たちに向けて書いてきました。最近、ビシケクにいる方にもお渡ししています。キルギス情報として読んでいただければと思います。

 

1.借りたアパートを汚すな

2年前アパート家賃がいきなり50%も上がってから払うのが大変になりました。豆腐など販売した以上に家賃に消えていきます。困った、困ったと思っていたらある大学で日本人教師をアパート無償提供で募集しているという話を聞きました。これはいいと飛びついて今年9月から教えることになりました。神様ありがとう。

今の家賃を節約したいのですぐにでも引越ししたいのですがインド人の学生が住んでいるので卒業したら入れるということでした。それなら6月にでも引っ越せるのにと思ったら汚れているので修理と掃除が必要とか。どんなに汚れているのか見た事がないので何ともいえません。

インド人が住んでいた後のアパートに入った方の話では、台所は油だらけ、冷蔵庫もひどい状態、排水パイプは油をこぼして固まっていたとか。これでは確かに修理は必要。パキスタン人も汚すので貸すのを敬遠されるらしいです。中国人も油で汚すようです。日本人は油を少なく使うし掃除くらいはしますよ、大家さん。

 

2.洗濯物を歩道で売る

来たばかりの頃、歩道の電柱などに紐を渡してシャツやコートなどを掛けてあるのを見かけました。ただ干しているのかと思いましたが実は売っていたのです。それから歩道に体重計を置いて座っている人がいます。紙に1回いくらと書いてありこれも商売。

大通りの信号手前で手や足が不自由な人が停まった車から金をもらっています。物を売っている人もいますが事故がないかと心配です。

 

3.年上が好み

私が教えている大学の女子学生3年生20歳、彼氏はバイト先で知り合った45歳のコックだそうです。好きになったので結婚するとか言っています。同級生はそんなに年上で恥ずかしいとか非難していますが取り合いません。この先どうなるか見守っていきたいです。

 

4.交通規則なのか

アパート横にいつも4,5台個人タクシーが並んでいます。朝6時から夜10時まで日曜祭日、年末年始に関係なくいるのでガードマン代わりになっているといつか書きました。

その車は未舗装部分が十分あるのに舗装部分ぎりぎりに停めています。どの車も同じなので交通規則でそうすることになっているのか。しかし交通量が少し多くなったり反対側にも車を停めたりすると渋滞の原因になっています。近くでマンション建設をしているので大型車が通り、ゴミの清掃車が通ったりするとすぐ渋滞。

窓から見ると、渋滞を見ながら文句が出ても車を動かそうとしません。どうして渋滞しているのかと不思議そうです。お前だ!原因は!

 

5.ビストロ形式の食堂が増えた

食堂に入ってトレイを持ちケースから好きな物を取ったり注文したりしてレジで支払う。ビストロ形式というのでしょうか、このような食堂が増えました。アパート近くに2軒、アラトー広場近くにも2軒、フィラルモーニア横にもマナス通りにもできました。

便利ですが料理の質や値段に結構差があります。どこが一番いいか、目に付いたら食べ歩きをしてみますか。

 

6. 第3回中央アジア日本語弁論大会

私が来た1999年にビシケクで第3回中央アジア日本語弁論大会が開催されました。4月に民族大学本館講堂で行われましたが、それまでの準備が大変。大体、弁論大会がなぜビシケクで行われるのかよくわからないのです。どうもウズベクのある大学がロシアのCIS大会に対抗して始めたというのが発端のようでした。第1回はウズベク、2回目はカザフ、持ち回りで3回目はキルギスという訳で、しかし引継ぎがないのでわからない。私は2月に新米日本語教師で来ていたので準備当初から加わりました。

やらなくてもいいのではなどの意見もありました。それでもやろうということになり、まず各大学から日本語教師を召集して組織作り。当時は日本語教師会がなかったので主催は各大学の連名で実行委員会として開催。

大会の横断幕は民族大学の職人にパソコンで打ち出した文字を渡して、それを真似て手書きで書いてもらいました。そのほか全部手作りの準備が始まったわけです。

4月下旬の大会当日、前日まで暑いくらいだったのに雪が降りました。このカルチャーショックⅠに書きましたがこれが中央アジアかと本当にショックでした。

さて、今年4月ウズベクで開催された中央アジア大会は第何回でしょうか。タジキスタンや他の国からの参加があると聞きました。予選のキルギス大会にはビシケク市内だけでなくオシュやナリンからの参加があります。ますます盛んになって欲しいです。

 

7.日本語教師会

前項の弁論大会開催後に日本語教師会の設立をという意見が出てきました。日本人教師、キルギス人教師で準備を始めましたが教師会規約をどうするかという話になりました。他の国の規約を参考にするにしても時間がかかる。それで私が作りますと申し出ました。市役所で条例、規則の仕事をしたこともあり他の人より知識はあります。参加教師をどの範囲にするとか概要を話し合って決め、素案を作成し準備会で了承されました。

蛇足ですが中央アジア日本語弁論大会の開催要領も私が作り、第6回キルギス大会の教師会議で了承されました。それまで開催要領がなく、作成のためキルギス大会前にウズベク側から提案された案は大会実行委員会の規約でした。これでは趣旨が違うので合いません。これを大会開催要領として全面的に改正し、その素案を会議に提案し了承されました。

市役所での仕事がひょんな所で役立ちました。

 

8.病気です

人文大学にいた頃、授業に来ていない学生はどうしたと聞くと同級生がすかさず病気ですと答えます。最初はそうかと思っていたのですが、病気のはずの学生が息を切らせて入ってきたりしてこれは違うと。学生だけでなく社会人でもそう答えます。都合が悪いとみんな病気にしてしまいます。

 

9.舌打ちするな

日本人から見てキルギス人の、え!と思う悪い癖があります。

一つは道につばを吐くこと。これはカルチャーショックⅠに書きました。

もう一つは舌先でチェッと音を出す舌打ち。これも気になります。学生など若い女性にされると人間性も疑いたくなります。ずっと以前は日本人もやっていたはずですが駆逐されたのはいつ頃なのでしょう。料理の舌鼓は許されても会話での舌打ちは何とかなりませんかね。

 

10.ハンバーガー

ロシア語でガンブルゲルと呼ばれていますが、少し前まで日本のとは少し違っていました。パンの間に焼いた肉の塊を薄く切って挟みます。サラダ菜やトマトなど併せてのせてケチャップかマヨネーズで味付けして食べます。

薄く切った肉の代わりにハンバーグをのせて、日本で売っているハンバーガーと同じものが登場して何年か経ちました。ベギモトというキルギス資本の?チェーン店や他にも何軒か名前を見ます。

試しに2回ほどベギモトのハンバーガーを食べましたが不味い。肉はパサパサで味がない、パンと味が合っていない。こんなものを並んで買っている人たちの気が知れません。今まで通りのハンバーガーもあちこちで売っているのでこちらを買った方がいいでしょう。

 

11.シシャモ唐上げ

以前は私の注文メニューにシシャモ唐揚げがありました。何年か前、アパートで揚げていたら上の階から匂いについて苦情が来ました。次の時は窓やドアを開けて作ったのにまた苦情が。匂いが嫌だと遠くに逃げ出すしかないのでこれは問題です。

それで換気扇を付けようとしたら台所の換気口は途中までしか開いていないとわかり却下。窓から匂いを出すように改装するのは大仕事です。

結局メニューから消しました。1戸建ての家に住めば復活できるかもしれません。

 

12.豆腐後継者

何年か前から豆腐や納豆作りの後継者育成を考えています。しかし豆腐作りが余程好きでないと続きません。特にキルギス人は飽きやすいから最初は面白がってやっても少し慣れたり儲からないとわかると辞めてしまいます。

お客さんはほとんど日本人なので日本語ができて注文通りちゃんと配達するとなるとキルギス人は不適、と言わざるを得ません。後継者探しは当分の課題です。

 

13.ゴインとゴイン2

中国スーパーマーケットのゴインは食材や電気製品を扱う店が並んでいてよく利用しています。向かって2,3軒左隣にゴイン2という小ぶりのスーパーがあり、ここも大豆などで利用しています。もう長くゴイン、ゴイン2で買い物をしているので店員とは顔なじみ。割引をしてくれます。

何年も前ですがゴインの食料品店で買った大豆を持ってゴイン2に入ったら、その大豆はどこで買ったと聞きます。隣だと答えたらあの店で買うな。それなら今度あんたの大豆値段を上げると言います。これには驚きました。逆にゴイン2で買った大豆を持ってゴインに寄った時もあの店では買うなと言われました。

どういう経緯かわかりませんが店同士張り合っています。それで一度にはどちらかの店にしか行けないのです。

ゴイン2の店は何年も利用していたのに看板もないし店名を聞いたことがありませんでした。ある時、店の名前は?と聞いたらゴイン2だと言います。え!ゴイン?全く別の名前を想像していたのでびっくりしました。何か訳ありですね。

14.トロリーバスも速い

市内をトロリーバス(大型バスに架線を付けてタイヤで走るバス、線路なし)が走っています。いつもはゆっくりでマイクロバスなどに追い越されています。

しかし、ある時乗ったトロリーバスは速かった。広い通りで交通量が少ないから?それにしてもちょっとスピードを上げ過ぎと思いますが。周りの普通車やマイクロバスをどんどん追い抜いていきましたから。へー、こんなに速く走れるんだと感心しました。運転手の気分が良かったのか悪かったのか、とにかく飛ばしていましたね。これは1回しか経験ありません。

 

15.トロリーバスは走らなかった

バス停で待っていたらトロリーバスが来ました。ドアが開いて乗ったのですがなかなか動きません。女性運転手がスイッチをガチャガチャ動かしています。とうとう外に出て点検を始めました。

結局動かずマイクロバスに乗り換えました。トロリーバスに乗った途端に故障という、これも1回だけありました。

 

16.何とかならないか給排水設備

旧ソ連国のどこでも給排水設備の調子が悪く住民は苦労していると聞きます。修理してもまたどこか調子が悪くなるのです。

私のアパートも同様に調子が悪くあきらめ状態です。台所の水がちょろちょろしか出ない。給水管の栓を開ければ栓の辺りから水漏れがするので開けられません。それにトイレ水槽の器具は管のピッチが合っていないのでいつも水が出ています。

風呂場でお湯を使うと台所の水もお湯になってしまいます。どういう構造になっているのか修理した職人に聞いてみたい。

修理は会社や工務店ではなく新聞の案内欄で工賃の安い個人職人を頼みます。それで安かろう、悪かろうになることはしばしば。前に書いたムーシ・ザ・チャスという会社はしっかり修理しています。その分割高ですが。やがてはこういう会社に統合されていくことでしょう。しかし時間はかかります。

 

17.何とかならないかその2 答えを教えてください?・・

大学のテストで答えを教えてください、と言われて驚いたのはカルチャーショクⅠで書きました。このシステムはずっと健在で小学生から大学生まで同級生、教師に聞きます。これは何とかならないでしょうか。

大学で教えていた時、皆で教えあうのに対抗してテストの問題を3種類作ったことがありました。問題は同じでも書いてある順番を変えたのですがこれも効果がありませんでした。教えあうテクニックは小学校時代からの年季が入って上手です。

この状況を変えたくても、大体、教えている教師がそういう環境で勉強してきたからなくなるわけがありません。成績が悪ければ教師に金を払う、教師も何らかの報酬を要求するのは当たり前というのがソ連時代からの習慣です。

この調子では、医者など生命に関する仕事をする人からバザールで売っている人まで、すべて危ない人が育つとしか言いようがありません。

 

18. 兄弟は6人、7人は普通

学生に兄弟は何人かと聞くと6人、7人と言う答えが多いです。日本では少なくなってしまったけれどキルギスではまだまだ子沢山。兄弟の上と下では親子ほど年が違うことになります。

 

19.何とかならないかその3 航空便

2年前だったか日本へ航空便で小包を送りました。船便より少し高いだけだったのです。しかし船便と同じくらいの日数がかかりました。1ヶ月経っても着かないので郵便局に問い合わせたらモスクワには着いたと言われましたがそこから先は不明。ゴミにされて燃えてしまったのか、などと心配しました。

結局2ヵ月半かかって清水に着きました。着いただけいいと思うしかないです。郵便局の窓口に飛行機ではなくバイクか何かで運んだのではないかと冗談を言っておきました。どうもモスクワでの処理が停滞しているようで郵便物が増えているのに施設やシステムが昔のままなのでしょう。

 

20.大豆畑がほしい

3,4年前から知人の別荘の中庭で趣味の野菜などを育てています。最初は土が痩せていて固くて大変でした。毎年、所有者が堆肥を入れたりいろいろ栽培しているので柔らかくなってきました。今年は大豆、トウモロコシを蒔き、苺の苗を植えました。片道1時間かかるので週に1、2回ほどしか作業に行けませんが行く度に野菜が育っているのを見るのが楽しみです。

できれば大豆を育てるもう少し広い畑が欲しいです。畑というより庭程度で十分ですが、近くにはないですね。

 

(カルチャーショックⅩ に続く)  大滝