カルチャーショック 第 1部 7

キルギスのカルチャーショック Ⅶ     2015年3月

Ⅳ~Ⅵを2月に一気に書いて少し疲れました。豆腐や納豆を作っている時、突然文章が頭に浮かんでくるので困ります。今それが少なくなりました。今回で少し休んでゆっくり進めることにします。

 

1.キルギスは昔見た故郷の風景

表題のことはまだ書いてなかったですね。外部の事象は書いても自分内部のショックはまだ書いていなかった。

キルギスにツアーで来たのが98年8月、そのすぐ後10月に個人旅行で1ヶ月ほど来ました。その時、日本語教師をしていた先輩から教師の誘いを受けて、翌99年2月に来て以来16年になります。

どうしてそんなに?

それはツアーで来た時に見た景色を以前見たことがあると感じたから。これはショックでした。私はここから来たのだと。何千年もかかって私の中に入った遺伝子が覚醒したのでしょう。何人もの方に話しましたがやはり理解できない。

子供の頃から漠然と、自分はどこからきたのか、どこへ行くのか、と考えていました。漠然としていたので人に話したことはありません。何でそんなことを言うのか、と一笑されるのがわかっていたからでもあります。

富士山や桜、刺身や純米酒も好きですが日本は何か違和感があった。自分がいるところではないような。

人生で周りまわってやっと故郷に来たわけです。運命の神様や多くの人の助けでこれまで多くの困難を乗り越えられました。感謝しています。

 

1-2.バトケン人質事件

このショックな事件はまだ書いてなかったです。

来たばかりの99年8月、ウズベク国境に近いキルギス南西部のバトケン地方で日本人鉱物技師4人とキルギス人通訳などがイスラム過激派部隊に人質にされました。過激派はウズベクに移動する途中でキルギスは通過するだけだったのですが外国人がいたので人質にしたのです。

過激派が国境を越えたという知らせは地元に入っていましたが警察は自分たちが守るからと言っていたようです。しかし武器の差が大きすぎて警察はたちまち逃走し、残された人たちが人質に。

他の外国人は独自の判断で退去していましたが日本人は日本の本社や地元の様子を元に判断し留まった。この差が大きな結果になりました。危機管理という言葉がこの頃出てきたような気がします。

この事件の取材に日本から多くの報道陣が来て、日本語教師や学生が雇われました。

身代金を払って人質が解放されたのは何ヶ月後だったか。この時期、お前は大丈夫かという日本からのメールがたくさん来ました。

事件のまだ最中、人質から解放されたというキルギス人が市内のカフェで親戚や仲間と来ているグループと隣り合わせました。周りは喜んでいても本人の顔色は冴えません。まだ緊張が去らないので当然です。

事件後しばらくして、市内オシュバザールで板の上に座って援助を乞うている若者を見ました。両足の膝から下を失っていました。「バトケン」がどうのと紙に書いてあったので、彼は兵士だったのか警官だったのか、あの事件の犠牲者だとわかりました。

過激派はこれほどの火器を持っていた。地元の警察はピストルかライフルくらいだったのでは。竹やりで戦車に向かったようなものです。

1-3.青酸カリ流失

これもまだでした。大きな事件を忘れていました。

キルギスの東南部ナリン州の山中にカナダのクムトールという金採掘会社の採掘現場があります。金の精製は最終段階で青酸カリを使いますがこれをカナダから空輸しています。ナリンに行く途中でこの青酸カリを運ぶタンクローリーとすれ違ったことがあります。前後をパトカーや警備の車に守られ、すごいスピードで走っていきました。

2000年くらいだったと思いますが運搬のタンクローリーが山道で転落、青酸カリがナリン川に流失し下流にいた何人かが水を使い亡くなりました。当時の大統領アカーエフは地元に砂糖などの食料を送り慰霊しました。

精製工場で青酸カリを扱っていて成分を吸い、頭がおかしくなった人も多いとか。会社は秘密にしているのでニュースにはなりませんが。

何年か前からクムトールを国営会社にしようという議論が国会でされていますがまだ結論は出ていません。最近「アイウル」という銀行がクムトールの出資でできました。これは国営化に対抗する手段なのでしょうか。

 

2.トルコが、中国が、ロシアが

3年ほど前から大きなイスラム教礼拝堂を建設していて4本の尖塔ができました。トルコの金で建設しているとか。10年以上前からトルコ資本のデパート、靴販売、パン・ケーキ販売などに進出してくる業種が増えました。

中国関係は繊維バザール、食料関係、レストランなどができていて、最近は韓国ショップが目立ちます。最近ロシア、カザフなどと関税撤廃同盟を結んで今年から発効しました。これからロシア製品が入ってくることでしょう。

キルギスは輸入超過で国はどうなるのか。輸出産業を育てないといけません。

 

3.銀行は夕方7時まで

最近は土日休業、午後4時閉店ですが、2,3年前は土曜も営業、平日は7時頃まで開いていました。昔は毎年倒産する銀行があったほどです。今はカザフやロシア資本、キルギス資本の銀行など随分増えています。

 

4.昔バザールがあったとさ

市内のバザールで大きいものはオシュ、アラミジン、オルトサイの3箇所、市境に布地関係でマディナバザール、郊外にドルドイバザールがあり、小規模なバザールはたくさんあります。

以前は、モス・ソビエトと呼ばれる市の中心地にもバザールがあり、深夜まで営業していました。それが撤去され今は噴水と駐車場に変わっています。他にもミラ通りとアフンバエバ通り交差点にあったバザールも撤去され今は緑地です。ジャル団地にあったバザールも同様になりました。屋根のない屋外での販売を禁止したということでしょう。

モス・ソビエトのバザールがなくなってからモスクワ通りを少し東に行った所に屋内のバザールができました。しかし、ここはどうも高いです。周辺に外国人が多く住んでいて高くても買うからだそうです。

2m×1m位のプレハブ式店舗のキオスクは、何年か前から撤去されたり動路面から引っ込められたりしています。

 

5.デジタル計り登場

以前、バザールや路上での販売は手持ちのばね計りを使っていました。10年くらい前からデジタル表示の計りが登場しました。中国からの輸入でしょうから何万台も輸入した業者は儲かったでしょう。

 

6.誕生日おめでとう番組

キルギス国営放送のテレビ番組に家族や友人からの依頼で誕生日を祝う放送があります。本人の写真を見せるだけの簡単なものから、コンサート場面を出したり自作のビデオなどが入ったりします。局に払う依頼料の違いで凝ったものは高いそうです。

番組を最初見たときは、言葉がわからないこともあって何を放送しているのか理解不能でした。日本にこういう番組はないですから。番組では本人の名前を呼んで依頼者の名前と祝辞を伝えます。この担当アナウンサーの声は私が聞いてからずっと同じ。もっと前から何十年も担当しているかもしれません。

 

7.天気予報は単純

ロシアもそうですが天気予報は水力発電所センターが発表します。大雨や洪水などダムの水管理のため予報を担当していると思います。なので予報は単純、明日は雨(雪)が降ります、降りません。気温は、風力は・・だけです。午前中曇り、午後は雨になりますとか全然言いません。天気に細かい日本人としては、もう少しな、と注文をつけたいです。

それとテレビの予報画面が非常に見にくい。州ごと(日本で言えば地方)の天気を伝えていてもどこの州なのか文字が小さいし、晴れや雨のマークが見えにくい。大事な部分はもっと大きくしてほしい。

一方、去年辺りから天気予報が当たるようになりました。例えば、来週は雪になりますというと最近は降ります。以前はまったく当たりませんでしたね。下駄を投げて予報していると思っていたくらいです。

 

8.テレビ番組に出演

3年程前、知合いのキルギス人プロデューサーから番組を撮影するから来て欲しいと電話がありました。しかも今日の午後と言います。断ろうかと考えましたが世話になっている人なので仕事をやりくりして出かけました。

「外国人のためのキルギス語講座」という自主制作番組で、私は友人から家に招待されてバザールでお土産を買うという設定です。ホームビデオのカメラを使って何箇所かで撮影しました。うまくできなかったキルギス語の台詞は後で録音しなおしました。なるほどこうやって作るのか。何人かからテレビを見たと言われました。

以前、テレビのニュースに知人とサーカス場にいた時、路上で写真を撮っている時など映っていたと言われました。キルギスは狭いから撮影スタッフと出会うことは多いです。

 

9.鍵の管理がどうも

大学で教室の鍵を借りるのですがキーホルダーに教室の番号が付いているわけではなく鍵だけ渡されます。いくつか混ざったらわからなくなるでしょうと言いたい。仕方がないので自分のキーホルダーを提供しました。

大学に限らず一般の家の鍵なども同様の扱いになってます。遊牧時代は鍵などなかったから扱いがわからない?

 

10. ガスの炎がどうも

お湯を沸かしたり料理を作ったりする時、キルギス人はガスの炎を大きくし過ぎます。ヤカンの底から50%くらい炎がはみ出しています。テレビドラマや映画のシーンでも同じように炎は大きいのでこれは一般的でしょう。

煮物は「カザン」と呼ばれる底の丸い大きい厚鍋で作ります。形が丸いので炎は鍋を伝っていきなかなか熱くなりません。この鍋は遊牧時代の必需品で何でも作ります。キルギス人にガスはかまどとは違う、ガスが不経済と注意しても聞きません。

定住化して3世代くらい、母親や祖母から伝わったのは遊牧時代の料理法なので直るのは何年先かわかりません。

 

11.ウイグル人、アゼルバイジャン人

中国ウイグル自治区に住むウイグル人の顔立ちはアジア系ではなく中近東系。ずっと昔、移住して行ったそうです。DVDでウイグル映画を見たら言葉はキルギス語に非常に似ています。例えば「ありがとう」はキルギス語で「ラフマット」、ウイグル語は「ラフメット」です。ウイグル映画では大体どんなことを言っているかわかります。

チュルク語系言語というのですがトルコ語もキルギス語に似ているので大体わかります。トルコ人とキルギス語で話したこともあります。

市内のバザールで豆腐容器などプラスチック製品を売っていて、ある時、売り手が数を数えるのを聞いていたらキルギス語とほとんど同じ。え!と驚いてキルギス人かと聞いたらアゼルバイジャン人でした。数はほとんど同じ、言葉も共通語が多いと言います。キルギス語の仲間は多いのです。

 

12.オリジナル製品とは

十何台か二十何台目かのミキサーが壊れてバザールに買いに行きました。今まで色々なメーカーを買っていますが不良品が多く、最短はスペイン製のミキサー2分で壊れました。モーターは良くても回転軸部分が壊れ、モーターの回転が回転部に伝わらない。これは修理してもだめでした。

今使っているメーカーはモーターも良くて最長1年ちょっと持ちました。最短は2ヶ月。差が大きいです。今回も探したものの古い型しかなくて他のメーカーを考えながらたまたま新しい店に入ったらありました。しかし5割も高い。これはオリジナル製品だからというのです。

オリジナルというのはどういうことか。メーカーの工場製で本物?ということはほかで売っているのはみんなコピー商品?

明日は豆腐を作るのでとりあえず買ってきました。どこという訳ではなく使い勝手がいいです。これがオリジナルの差でしょうか。製品は突然壊れることが多いのでいつも2台を交互に使っているのでもう一台買いました。あとは長期に使えることを願っています。

 

13.ロシアの漫談

ロシアのテレビ放送に日本で言えば漫才番組があります。その中で漫談というのか一人で話す人がいます。楽器を使う人もいますが何も使わず手に持った原稿を元に短い話をするスタイルがあります。これは日本にないですね。ロシアの真似をするのが多いキルギスですが、この漫談はキルギスにはありません。

14.キルギスのテレビ番組

キルギスのテレビ番組はロシアのパクリが多い。芸能人のサーカス演技やクイズ番組、生放送番組などロシアのパクリです。しかし予算がない、スタッフが少ない、という訳で随分と簡単な内容になっています。さすがに芸能人のペアスケート番組はやりませんでした。スケートができる人はいないのでしょう。

それから日本人が好きな連続ドラマがない。舞台の脚本家はいてもテレビドラマの脚本家がいないのでしょうか。ドラマが始まったなと思っているといつの間にか終わっています。

 

15.市内のプール

3年ほど前の夏、市内のプールを周りました。最近は民間のプールもできていますが高い。周ったのは学校や大学のプールで10箇所くらいありました。オルトサイバザール近くの7番団地内、南部の10番団地内など。体育大学のプールは大きいですが水が冷たくて長く入っていられません。12番団地内で学校のプールを改装新規オープンした温水プールもありました。ここはロッカー、シャワーがあって使いやすいです。

 

16.大学の制度はいろいろ

大学で学ぶ制度がいろいろあって、いまだによくわかりません。通常は5年間で卒業ですが、4年で卒業してから2年大学院で学ぶ方法、4年で卒業してしまう方法、通信教育で学ぶ方法などいろいろです。

今年の3年生から4年生で卒業したあと2年間修士課程で学ぶ制度になったようです。

 

17.私たち寿司を食べたいです

これは先日のこと。3月8日国際婦人デーではキルギスを始め旧ソ連圏で女性の祝日として大いに祝います。その祝日が近い授業で、学生からお祝いに寿司を食べたいとねだられました。

寿司の作り方を課外授業で教えたりしたので私が作るのを知っています。また食べたいという訳なので次の授業に持って行きました。寿司を食べたいというのは日本語を勉強している学生に共通の欲求です。市内に寿司バーがありますが高いので学生は行けないし美味くない。私の寿司の方が美味いでしょう。

 

18.勝手な床屋

もう1年以上バザールにある床屋に行っています。襟首辺りを短くしてくれるのですっきりします。注文しても短くしてくれない店は2度と行きません。同じバザールに床屋はいくつもありますが安かったのでたまたま入ってみました。

理容師が言うには私の頭は刈りやすいとかで、私が行くのを待っています。ただし、寒くなったから少し長くしてくれと注文しても今までと同じに刈ってしまうので困ります。似合うからあなたにはこれでいいの、と言われ終わり。客の注文を聞け、と言いたい勝手な床屋です。

 

19.10年ぶりにばったり

スーパーでの寿司販売を考えて知合いのロシア人が売っているスーパーに行った時のことです。場所を借りると賃貸料、ショーケースなど出費が大きいです。考えていると今ある店に販売を依頼するという方法を教えられました。

キムチを売っている店で相談しようとロシア人と一緒に行くと店員の韓国女性が私の名前を呼びます。え!とよく見るとキルギスに来たばかりのころ買いに行っていたミニバザールのおばさんでした。ロシア語を知らない時なのでいつも辞書を持っていて時々教えてもらいました。

アパートを引越しても近くを通った時買っていました。しかし、おばさんがバザールを替えたりして顔が見えなくなってしまい10年くらい会っていませんでした。それがばったり再会。

おばさんは売り場の所有者ではないので、その後で所有者と交渉して売ってもらうことになりました。

 

20.バザールの売り場で

何年かぶりにふらっと出かけたバザールの肉売り場。これをくださいと注文したら「あんた、前に来たことがあるね」と売り手の女性が言います。よく見ると見覚えがありますがもう5年は来ていなかったはず。以前来た時、日本人だと言って話したような気がしますけど。それにしても売り手はよく覚えているものだと感心しました。

 

21.足乗り猫

何年も前ですが、知合いのキルギス人の家に生後何日かの猫が近所から拾われて来ました。最初は手のひらに乗るくらいの大きさでした。もうこの頃から私がソファーに座っているとやってきて、膝の上に乗って休んでいました。だんだん大きくなって腿から片足はみ出すくらいになっても乗ってきました。落ちそうになるとズボンに爪を立ててつかまっています。

日本で犬は飼っていましたが猫は知りません。こんな調子で休んでいる猫がいるのでしょうか。その猫が家出してしまい別の猫が拾われてきましたが、また足に乗ってきました。私は猫の生まれ変わりかなどと考えてしまいます。

 

22.女性のスカーフ、ロングスカート

2005年のクーデターはキルギス南部オシュ市出身の政治家が起こしました。その際オシュ地方から多くの人が首都ビシケクに入ってきたのでしょう。イスラム女性特有のスカーフ、ロングスカートが増えました。

オシュ地方はイスラム教の戒律がビシケクより強く守られています。家にお客が来ても食事の時など男と同席することは許されない。スカーフは常用しなければいけないなど。ビシケクとは随分違います。

ここ何年かでイスラム色が強くなって、カフェや肉屋で「ハラール(イスラム式で屠殺した肉)」という表示が増えました。酒、タバコ禁止のカフェも増えました。

23.名を名乗れ

キルギス人もロシア人も電話して相手が出ても自分を名乗りません。こちらが名乗ってもそのまま。誰かなと考えていると親しそうに話しています。仕方がないのでどなたですかと聞くしかないです。

日本式の名乗りは世界的には少ないのでしょうか。英語圏では名乗ると思いましたが。

 

(カルチャーショック Ⅷに続く) 大滝

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