観光案内 イシククリ湖の歴史、伝説、宝物

イシククリ湖の伝説      (出典不明 伝説を集めた小冊子だったような?)

(2000年頃訳2018年4月一部修正)

1.イシククリ湖は何才ですか。

昔、何百万年前ここにはテチス海があった。テチス海は、地中海、黒海、カスピ海などほとんど中央アジアの全部を含んだ。それを示すように今の陸地には、水成岩を見ることができる。

1億年の間に、ここには何回も山ができ、また崩れたり、できたくぼみが水で満ちたり海になったりした。最後に、およそ三千万年前に波が轟々と鳴って、海の底がだんだん上がり始めた。その結果、現在の天山山脈が現れた。

しかし活動は止まらないで、山が次々にできた。氷河期には氷河が現れて、また溶けてくぼみが湖になったりした。そのときイシククリ湖ができた。「若い」湖で一千万才です。暖かくなってから植物や動物が現れた。

 

2.イシククリ湖の伝説

昔々、古代の町があった。険しい山の上に宮殿が建っていた。それは、富だけでなく冷酷さで有名な老年の強靭なハーン(汗)のものであった。一日も経たないうちに、誰かが彼の気まぐれの犠牲になっていた。

彼は愛情も恋愛も知らなかった。でもある日、貧乏な遊牧民の家族にとてもきれいな娘がいるという噂を聞いて、彼のものにすると決めた。たくさんの名騎手が彼女のために決闘で命を捧げた。しかし彼女は、結婚の申し込みにいつも他の人を愛していると答えた。

誰を愛しているかは誰にも分からなかったし、彼女にもはっきり分からなかった。ある朝、太陽が山頂に光を指したとき、白い馬に乗ったハンサムな騎手が来て彼女といっしょに空高く舞い上がったことだけ覚えている。別れる時、彼は彼女の指に指輪をはめて、「すぐに帰ってきます。決して指輪を外さないでいつも持っていたら、どんな不幸にも会わないでしょう。」と言った。

それで、ハーンの使者が贈物を持ってきてハーンとの結婚を申し込んだとき、彼女は贈物をどけて「他に好きな人がいます。彼以外の誰の妻にもなりません。」と答えた。そう言ってから彼女は、騎手に会うようにこっそり山に行った。そのとき指輪がなくなっているのに気が付いた。泣いて家に帰ってくると、家の前に武装した兵隊がいて彼女を取り囲んだ。すぐにつかまえられて、暗い谷間に見えなくなった。目かくしを取った時、ハーンの所に来たとわかった。

ハーンは、彼女を今までに無いほど豪華なもので囲んだが、彼女はあくまで厳然として立っていた。それでハーンは、力ずくで娘に飛びついたが彼女はすぐ開いている窓の前に立った。「決してあなたのものにならない。」と言って窓から飛び降りた。その時、壁が崩れてハーンの宮殿が沈んでいった。地面から水がどっと流れ出て、廃墟となった宮殿が水の下になった後も広い谷を浸すまで流れ出ていた。

 

3.イシククリの宝物

ある日、スパイが恐ろしい知らせを持って戻って来た。信じられないほど暗い噂がすぐに広まった。何万人ものモンゴル騎兵がすべてを破壊しながらセミレチェに向かっている、という。チンギスハンのスパイがそういう噂を言って、町の統括者を脅かしたのだ。

カラハニッド国の首都バラサグンにもパニックが起こった。ブラナの塔に警備兵が昼でも夜でも目が痛くなるほどじっと遠くを見ていた。町の近くにあるネオストリアンの居留地―イスラム教徒の世界にあるキリスト教の土地―では、たくさんの富を守るためにこっそり隊商を備え始めた。

教会の財産と宝のために200頭のらくだに金と銀を積んだ。隊商は秘密のうちに天山の中心に向かって、東南に出発した。カラハニッドの統率者は戦わずにバラサグン町をチンギスハンの司令官に明け渡した。それでモンゴル人は、バラサグンの町を「友好の町」と呼んだ。町の周りはモンゴルの騎兵が踏み荒らして、農業の畑地が家畜の放牧場になった。

隊商はイシククリ湖まで来て、北の湖岸を行った。休みが短いので案内者は無口だった。やがて、北の岸が南の岸と交わるチップ町の入り口で恐ろしい知らせがきた。「モンゴル隊が追跡してきている」という。前方には待ち伏せ、後方には追跡である。どうしたらよいだろうか。選択の道はなかった。

修道僧たちは財宝を隠すとことにした。クルメンテ川に戻ってきて、そこに古代の塚の列―昔の遊牧民の強大な統率者の墓・目につかなくて確かな目標物―を見つけた。案内者が秘密の岩屋を見つけたので、その奥を広げて金や銀の包みを投げ込んだ。入り口に岩を置き、2メートルの土で埋めた。僧は、用が無くなった案内者と人夫を殺し、また2メートルの土で埋めた。

岩屋の入り口を隠して、大きな岩の上にネオストリン文字を書いた。秘密を守って誰にもキリストの宝を明かさないと誓い合った。やがて石は神聖になり、何年経っても遠方から参拝者が来るようになった。秘密は漏れなかったので宝は残った。

 

4.水底のダルハン町(イシククリ湖)

現在のダルハン村の北方の荒れ果てた湖畔に中世期の住居地があります。厚い砂の層が湖畔からツェルガナスという低木やいばらのしげみ、泉、沼地まで伸びています。しかし、湖畔が荒れ果てたのは見かけばかりのことで、時々波はいろいろな考古学的な物を陸地に運びます。

湖の底から掘り出した物のなかにサーク時代、ウスニ時代(紀元前1世紀)のものや、もっと多くは中世期時代のものを発見します。コイン、石臼や古代の金属製品などが拾い上げられます。ダルハン村に住んでいるトクトバイ・モオリエフが、2本の短刀、茶わん、サーク時代の大きな青銅釜の一部を見つけました。この掘り出したものが、イシククリ古代遊牧民の供物の用品であったのでしょう。

ダルハン遺跡は、大事な地理的位置にあります。ズウキン峠をテルスキー・アラトーに一番便利に越える通行を管轄していました。(未完)

 

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