観光案内 チーグ町、サンタシ、カラコル

キルギスの昔話、伝説    (出典は「キルギス百科事典」 2000年頃訳)

観光歴史その1

1.チーグ   (湖底に沈んだサーク族、ウスニ族の町)

今、イシククリ湖があるところには、何世紀も前、村や町がありました。町の中をキャラバン隊が通ったり、立派な宮殿やかんがい施設を造られたり、市場ががやがや賑わったり、手工業者が働いたりしていました。しかし、やがてその村や町が湖に沈みました。沈んだ遺跡の秘密は、昔から学者の興味を引いてきました。

イシククリ湖に沈んだ町で、一番古い町が「チーグ」です(中国語では、チーグチェン)。チーグ、そこは中央アジアの東から来たウスニ族の最高位指導者がいる拠点でした。紀元前2000年、ウスニ族が天山の谷を侵略したとき、この指導者はサーク族の拠点を奪いました。そのとき、チーグ町を中国の旅行者、ジャン・シャンが訪れ、天山の民族とハン国の間に交流が始まりました。

ペスチャンノエ村の隣にある入り江の底に、サリブルン町の遺跡が見つかりました。残されていた材料によって、ここに一箇所だけ居住地があったことがわかりました。それは「チーグ」だったのです。学者は、沈んだサリブルン町はチーグ町であるという仮説を立てています。

残念ながら、古代のウスニ族の拠点を散歩できるのは、スキンダイバーたちだけですが、入り江の南方では流されてきた古代の焼き物を多く見つけることができます。

 

2.サン・タシ    (塚の謎)

昔からサン・タシ峠は、クンゲイアラトーからテルスキーアラトーの北裾野を越える分かれ道として使われてきました。高山の谷間には、サーク族の古墳や石で造った塚などがたくさんあります。古墳の直径は60メートルにもなります。

特に、二つ隣り合わせにある古墳が注目に値します。(小さい方は考古学者が発掘して、もうありません。)この有名なサン・タシの古墳について、「鉄のちんば」と呼ばれたモンゴルのタミルランがインドへ出征したことに合わせた伝説があります。タミルランは、出征の前に兵士が小山に一つ石を置いて、帰った時、一つ石を隣の小山に置くように命令しました。二つの塚は、死んだ兵士のために特異な記念物になりました。この伝説にちなんで、サン・タシ(数えた石)と呼ばれます。

学者たちは、この古墳を古代の遊牧民が作ったと推測していました。しかし、発掘して円形テント型の石の施設を発見した時、学者たちは驚きました。遊牧のサーク族時代のものではなく、中世期のチムール時代に属していたのです。

国内に1ヶ所だけあるこの建造物が造られた目的は、まだわかりません。発掘調査の結果を待たなければなりません。

 

 

3.N・M・プレジワルスキーの記念碑   (カラコル市)

1869年にカラコル市が設立され、町の中心にあるカラコル大学に記念碑ができました。この時代には、カラコルはロシア人やいろいろな国の人間が天山と中央アジアへ探検に行く基地でした。

1885~88年に、偉大なロシアの探検家で中央アジア研究者のN.M.プレジワルスキー滞在しました。彼は、サンクトペテルブルグから5回の探検に来て、腸チフスに感染してカラコルで死んでしまいました。プレジワルスキーの記念像は、カラコル空港の近くにあります。しかし主な記念建築物は、カラコル川が湖に入るところにある彼の墓の近くにあります。

記念碑は、岩の上部に知恵と優しさのシンボルである鷲がいる構図です。鷲のくちばしには、科学の平和的な目的のシンボルであるオリーブの枝、そして、爪には折った中央アジアの地図をつかんでいます。

岩の表面には、青銅の十字架がしっかり取り付けられました。その下には、ロシア科学アカデミーから彼の功績に贈られたメダルを大きく複製したものがつけてあります。下部には、「ニコライ・ミハイロビチ・プレジワルスキー 最初の中央アジアの研究者、1839年3月31日生まれ、1888年10月20日死亡」と書いた銘があります。記念碑は中央アジアで最初のモニュメントです。

1957年4月29日には、記念館を造ることが決まりました。墓と記念碑の近くに記念館ができました。ここには、研究の成果物や彼の遺品が展示してあります。

 

4.ドゥンガン人のモスク    (カラコル市)

カラコルに立派な記念的建築物のモスクがあります。モスクの建築家たちは、ドゥンガン人伝統的な木造建築の経験と技術を使って造りました。モスクを彫刻家、レンガ職人、屋根屋など30人以上の職人で造りました。

1907年に建築家が、天山もみ、カラガチ(コブニレ)、ポプラ、クルミなどの材料の用意を始めました。準備に3年間かけ、1910年にモスクの骨組みを組み立てました。大きさは24.8m*23mで、中央アジアのモスクと比べるとそれ程大きくありません。

モスクは、東側と西側に2列の柱がある長方形をしています。南側と北側に窓を作って、西側にはありません。そこには、神に祈る人たちが顔を向けるからです。外部に彫刻した模様には、民族の神話にある怪物やフェニックス、ライオンを装飾に使っています。民族の伝説に従って、彼らは建物を災害と悪魔から守っています。

建物の色、材料、屋根の色は、厳しく決められました。木造部分と柱が赤色、壁が濃紅色、屋根は緑色、さらに、彫刻した模様には、ぶどう、ざくろ、梨、桃など植物の模様は緑色、神話の動物は黄色の二色で塗りました。

神話によると、それぞれの色には意味があります。赤は災害と悪魔から守り、黄色は富と偉大さを表し、緑色は幸福と幸運を持ってくるのです。

 

5.健康に良いアクスウ温泉   (カラコル市)

カラコル町から15km、天山のもみやりんごや落葉樹が生える谷間に景色のいい温泉があります。イシククリ湖東部の人々は、昔からアクスウ温泉の効能についてよく知っています。住民は温泉を崇拝し、アルマ・アラシャン(リンゴの効能がある温泉)と呼んでいたことから聖所と言われています。

1857年6月9日から10日にかけ、ロシアの探検家P.P.セミョノフ・テンシャンスキーが訪れ、後に「回想録」に書いています。その後、プレジバルスキー町が建設されたので、イシククリに来た多くの研究者や旅行者が温泉を訪れました。

19世紀の終わりに、温泉が中央アジアや西シベリアにも有名になったとき、地区の行政は市民や訪れる人々のために木造の建物を建てました。近所のキルギス人はユルタに住んで、ここを訪れる保養客に肉やクムス(馬乳酒)を提供していました。

 

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