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キルギスのカルチャーショック 第3部7 

キルギスのカルチャーショック 第3部7     2019年6月 日配信

2019年4月~6月

キルギス20年記念の続きを少し。

1.動物の不思議な行動

①子猫が10キロ以上の旅を

知人の家に子猫が2匹もらわれてきましたが手がかかるので友達の家に頼むことにしました。行った先は車で30分ほどもかかる所でしたが何と子猫たちは歩いて戻って来たのです。行った先が嫌だったのでしょうか、途中車や野良犬の危険もあったのによく戻ったと驚いたり感心したり。

②元の家が恋しくて涙を流す犬

近所で犬が欲しいと言われ自宅の犬をあげた知人がいました。庭も広いし環境が良くなったはずなのに元の家に戻りたいと毎晩鳴いて涙も流すほどだったとか。ついに近所から返されて元気になりました。どうして狭い庭の方がいいんですかね。

③私の膝に乗って寛ぐ猫

知人の家に産まれて間もない子猫が拾われて来ました。撫でてやったらいつの間にか私の膝に乗って休むようになりました。最初はチョコンと乗っていたのに段々大きくなって私の太腿からはみ出す位になっても乗って来ます。落ちそうになると爪を立てて掴まるのでイテテ・・。

 

2.中央アジア日本語弁論大会

先日4月27日に第23回中央アジア日本語弁論大会が開催されたと聞き20年前の第3回大会を思い出しました。ちょうど私が来た年ですが大会を開催することになっているというので日本語教師が集まって打ち合わせをしました。打ち合わせ最初の話題はどうしてキルギスで大会を開催することになったのか、ということでした。どうも中央アジア大会はタシケントの大学がロシアのCIS弁論大会に対抗して第1回を実施、第2回はカザフだったので第3回がキルギスになったことがわかりました。

とにかく会場は民族大学、実施は4月下旬の土曜日と決め、会場横断幕の字は民族大学美術担当がメモ書きの日本語を見ながら拡大手書きするなどまさに手作り大会でした。当時まだ日本語教師会がなかったので大会開催を機に設立。大会前日まではポカポカ陽気で当日なんと雪が降って10cmくらい積もったのです。これはキルギスでの驚きの始まり、ショックの始まりでした。

 

3.大通りから見えるバザールは撤去された

モスソビエトと呼ばれるソビエト通りとモスクワ通り交差点に深夜営業のバザールがありました。2000年代の初めころ当事者の反対を押し切って撤去され警官隊と揉める様子がニュースで流されていました。それとミラ通りとアフンバエバ通り交差点近くにあったバザールもマナス通りとボコンバエバ通り角のミニバザールも撤去されました。大通りから見えるバザールは撤去ということでしょうか。キオスクも同様撤去され数が減りました。

(ここからはいつものシリーズです。)

4.腰痛予防

私は疲れると腰が重く感じ危険信号とわかるので休養します。ユーチューブでたまたまNHKの番組「試してガッテン」を見たら腰痛対策が出ていました。寝る前に4種類のストレッチ体操をすれば良くなる又は予防になるようです。詳しくは「試してガッテン 腰痛」を検索してご覧ください。

 

5.ロシア語のニエット

ロシア語で「いいえ」という意味で否定を表現する言葉「ニエット нет」があります。この発音は「ニエットゥ」が正しいですが「ニエッ」と語尾を「ト」それもはっきり言う例が多くなりました。テレビやビシケクの会話でもよく聞きます。モスクワ市民の間で使用が増えてきたからでしょうか。首都から地方に広がるのはどこの国でも同じですね。それとモスクワの「イーイー弁」というのがあって「ヤ」と発音すべき「я  ヤ」を「イ」と発音します。例えば「日本」は「ЯПОНИЯ」で「ヤポーニヤ」ですが「イポーニヤ」になります。モスクワ方言というわけです。

 

6.日本ではあり得ないテレビ番組

ロシアのテレビ番組で生放送番組や裁判番組を毎週放送しています。生放送番組では少女を妊娠、出産させた男が出演し少女の両親に張り倒され、一方、女性の子供は俺の子だと言い張る青年が出演し相手の青年にやはり張り倒されていました。裁判番組ではスタジオに裁判法廷を作り原告、被告が登場、本物の裁判官が判定を下します。争いを好まない、争いの姿を見せたくないという日本ではあり得ない番組でしょう。

 

7.幼児の勘は鋭い

市内の移動はバスやミニバスを利用しています。車内で親に抱かれた幼児が私の方をまじまじ見ていることがよくあります。どうもいつも見ている人とは違う、外国人のようだ、と感じているのでしょうか。ばー!と挨拶すると喜んでいます。最近、長距離バスに乗った時も同じことがありました。幼児の勘は鋭い、今日は外国人に会ったなどと考えているのか、どうなんでしょう。

 

8.キルギス文字、ロシア文字

キルギス語はロシア文字(キリル文字)を使っていますが ң、ө、ү の3文字多いです。ңは「ング」という音、өは日本語の「オ」の口腔内を広げた音、үは日本語の「ウ」に近いです。言葉を例示すると

жан(ジャン)は「心、気持ち」、жаң(ジャング)は「新しい」

тоо(トー)は山、төө(トー)はラクダ

уй(ウイ)は「馬」、 үй(ウイ)は「家」です。

発音をカタカナで表記すると同じになってしまいますが実際は違います。聞いてもいまだに違いがはっきり分からないので困ります。

 

9.今年は熱水停止が早かった

例年市内の熱水が1カ月供給停止しますが今年は時期が少し早かったです。私の記録では今まで5月20日前後から6月20日前後でしたが今年は5月6日前後から1か月でした。6月は暑くてシャワーを使いたいので早まったのは良かったです(私のアパートには電気温水器がないので)。変更になったのはどうして?来年もそうなのか?ご存知の方は教えてください。

 

(キルギスのカルチャーショック第3部8 に続く)

キルギスのカルチャーショック第3部6 

キルギスのカルチャーショック第3部6

2019年4月作成

キルギス20年記念第2弾です。1999年から今までに変化したこと、しないことを列挙してみます。

1.変化したこと

①車の渋滞、路上駐車が多くなった

市内の車は10倍以上になりました。最初の頃、ソ連、ドイツ、日本の中古車がゆっくり走っていて数は少ないし渋滞など起こらなかったのですが今では少し事故や工事があるとすごい渋滞です。古い車は地方へ売られたのでしょう。ビシケクでは新しい車がたくさん走っています。道路も凸凹だらけでしたが良くなりました。

②物価が上がった

下記の「キルギス七不思議」に物価の例があります。2003、04年頃までは同じくらいでしたが05年のクーデター以来上がりました。アパート家賃や不動産価格も高くなりました。アパート価格は1部屋が3000~4000ドルくらいでしたが今では10倍以上。

③町は明るく鮮やかに、高層の建物も

建物は灰色にくすんで夜は明かりが少なく歩くのに苦労しました。05年の出来事から鮮やかな色が登場しましたがけばけばしい色もあります。以前は高層(?)建築物はツムデパートとアパートが2棟ほどでした。買い物は個人商店やキオスク、後はバザールへ。やがてベータストアやキャラバン、ドルドイプラザが開店しました。

④外国企業の宣伝が急増

最初にテレビで聞いた外国企業の宣伝はコカ・コーラだと思います。さすが早い、一番乗りだと感心しました。

⑤外国人料金

ソ連時代の習慣?外国人からは割増料金を取るカフェやレストランが多かったです。そんな店は早く潰れましたけど今はもうないでしょう。

⑥夏はより暑く冬はより寒く

去年、一昨年は特に暑く寒くなりました。以前は40度の暑さが続くことはなかったし昼間のマイナス10度もそうです。もっとも昔は雪が1メートルくらい積もったそうなのでこれでも暖かいのかもしれません。

⑦キルギス語使用が多くなった

町の買い物などがロシア語主体からキルギス語主体になりました。ミニバスに乗ってロシア語で言うと「え!」と聞かれることが多くなりました。地方から移って来た人たちが多くなりキルギス語への意識が高くなったのでしょう。しかし育った環境からキルギス語は苦手と言うキルギス人は多いです。両親がロシア語で育ち学校もロシア語主体だとやはりそうなります。

⑧イスラム式服装が増えた

05年のクーデターはオシュ州出身の人たちが起こしました。オシュ州はウズベキスタンに国境を接していてビシケクよりイスラム教が厳格です。クーデター前後にビシケクに移って来た人たちが多いのでスカーフ、ロングスカートの女性が目立つようになっています。

⑨バザールは毎日の人出が多くなった

これも05年のクーデター以降人口が増えました。オシュからクーデターに参加した人たちはバザールで働いて決行の時期を待っていたそうです。そのまま残ったり地方から来る人たちも増えて人口が増加。平日は閑散としていたバザールは毎日にぎわうようになりました。キルギス人は遊牧時代の移動テントの感覚でアパート1部屋に10人近くが寝起きして生活するようです。この様式で親戚が集まって来ます。

⑩日本人会が設立、大使館、JICA事務所が

日本人会規約をみればわかりますが設立は2000年と思いました。当時の名簿には20人くらいしか登録してなかったですがその後大使館、JICA事務所が拡大充実して増えました。当初日本大使館はなく日本センターがアルマータの日本大使館への取次事務を行っていました。ビシケクの大使館は当初アッケメホテル内にありJICA事務所はゴイン向かいの建物にあったのを覚えています。

2.変化しないこと

①腹が出ている体型

肉食が原因で若い人でも腹が出ていて男性はズボンのベルトから肉がはみ出しているのをよく見ます。女性もどうしてと思うくらい太りますね。

②席を譲る

これはソ連時代の良い習慣です。バスで老人や幼い子連れなどにすぐ席を譲ります。

③運転手がタバコを吸う

室内で禁煙は良い習慣ですがなぜかバスの運転手が運転中に吸って乗客に文句を言われます。仕事中の労働者は吸ってもいいと言うことでしょうか。最近公共の場での飲酒を罰する法律ができたそうですが運転手の喫煙を罰する法律を作ってほしいです。

④ニュースは2か国語で

テレビニュースは同じ内容でキルギス語、ロシア語と2回放送します。インタビューに答える人が両方話せればいいですが片方だと翻訳されることになります。

⑤信号のない道路を横断

車が増え危険になったのに相変わらず道路を渡ります。私も同様に渡るようになったのは困ったことです。

⑥時間を守らない

キルギス人は半日単位で生活しているのでしょう。約束時間の5分や10分遅れは誤差のうち。時間を過ぎたので電話するとまだ家にいたりします。もっとも日本人が細かすぎると思います。色々な面で日本は世界的にみると特殊な国です。

⑦車の罰金

毎日見る道路警察(略してマイやガイと言います)の検問。昔罰金は20ソムで値上がりして30ソムになったのは知っていますが今はいくらなんでしょう。違法駐車を取り締まってほしいと言っても管轄が違うからだめ。

⑧エイズセンターの証明書

エイズセンターで検査して証明書を受け取る時に20年前と同じで手書きなので時間がかかる。受付はコンピューター入力しているのにどうして手書きなんだと。ソフトがないのか、もしかしたら証明書は手書きでないと無効となっているかも。大学の契約書類は手書きでないとだめですから。

⑨テストの答えを聞く

学校でも大学でもテストの答えを友達や何と先生にも聞く、教え合うことは変わらないです。テストの前は教え合っても当日も教え合うのは何か勘違いしているんじゃない?

⑩バザール商法

バザールなどでいつも同じところで買うと、どうせまた来るだろうということか悪い物を売ったりお釣りを品物で寄こすということはよくあります。そういう店はもう行きませんが日本とは大違いです。

⑪新しい店はできても

カフェや商店など新しい店ができても半年しないで閉店するのは相変わらずです。派手に宣伝して最初に儲けようとするので客は二度と来ませんね。どうなるかわからないから早く儲けようとするのはキルギス人気質でしょうか。

⑫大事なことを教えない、知らないと言わない

キルギス人に質問すると聞かれたことだけ教えて関係する大事なことは言いません。まさかこんなことを言わないなんてと後で驚くのです。それとソ連時代に知らないと言うなと教育したのでしょうか道を聞いても間違ったことを教えます。知らない、わからないと言えばいいのに。

⑬1カ月の温水停止

5月から1か月の温水停止は相変わらずです。5月はもう暑いのでもう少し早い時期にやったらどうかと思いますが。ソ連時代からでロシアも同様だそうなのでキルギスだけ止めることはなさそうです。

⑭歌手の口パク、テレビ番組はロシアのパクリ

歌手の口パクはロシアでもそうなので当分なくならないでしょう。テレビ番組ではタレントがサーカス演技をする、一般人が1分の特技をする、生放送の番組、最近では対談形式の番組をパクっています。形式は似ていますが予算も時間もないのでしょう内容がありません。

3.危なかったこと

ついでに危なかったことです。このシリーズで以前書きました。

1)頭上から街路灯が

2)トロリーバスを2回停めた

3)アパート大家が泥棒だった

4)クーデターの狙撃現場近くを通った

5)知人の飼い犬に噛まれた

 

4.キルギス七不思議

下記はこのシリーズの元となった文章でキルギス紹介のため日本にいる知人たちに送信しました。

キルギス七不思議

1998年8月に初めてキルギスに来てから、不思議だと思った事項です。  1999年10月

1.日本にもいるぞ、という顔がたくさん、でも日本語を話さない。

日本人と似ている、どう見ても日本人、という顔がたくさんいるけれど、キルギス語やロシア語で話している。不思議です。中国や韓国の人より日本人に似ているのは、どうしたことでしょうか。

2.日本にもあるぞ、という物がたくさん。

うどんに似た「ラグマン」、餃子に似た「マンティ」、肉まんに似た「サムス」、おこしに似た「チュクチュク」、炊き込みご飯に似た「プロフ」などがある。楽器のコムスは、三味線と同じ三弦楽器である。米では、オシュに近いウズゲンで作っている「ウズゲン米」は小豆色で、赤飯の色である。この米を見たとき、「赤飯だ」と叫んでしまった。日本人が赤飯にしているのは、これが原型ではないかと思う。

中国系ドゥンガン人の踊りは、盆踊りの手の形にそっくりだ。夏に食べる「アシランフー」は、冷しソーメンという感じがする。ドゥンガン人の作る麺は、手で引き伸ばしていく。ラグマンにはこの麺がよく合う。似ているものがたくさんあって、日本人のルーツを感じてしまう。

3.風が吹くと天気が変わる。気温の変化が大きい。

風は、いつもはあまり吹いていない。そよ風程度しか吹かないけれど、木の枝をゆするほど吹くときがあって、その後に天気が変わる。雨や雪になることが多い。風が吹くと桶屋がもうかる、ではなくて、天気が変わるビシケクである。気温は、昼間でも日が隠れると、10度以上気温が下がってしまう。夏では、昨日は40度、今日は20度で肌寒いことがよくある。

4.車道をどこからでも横断する。信号の間隔は短い。

交通量が多くないとはいえ、信号にはお構いなし、途中からでもどんどん渡る。日本と違って、人間優先だからなのか、また、車はゼイゼイ言いながら走っていて、スピードが出せないし、という条件があるからなのかわからない。母子が手をつないで、道路の途中から渡っていくのを見ると、親子心中かと思ってしまうのは、私だけでしょうか。

信号は、「青」から「青」の間隔が10秒ちょっとくらいしかない。「青」が点滅してから「黄色」に、そして、すぐ「赤」に変わる。人は「青」が点滅すると渡り始める。車は点滅すると停止する。間隔が短いので、このタイミングでないと反対側まで渡ることができない。途中で信号が変わってしまっても、道の中央で待っていれば、車は避けてくれるし、すぐ次の信号になる。渡りはじめのタイミングに慣れるのが大変で、最初は地元の人がいるときにしか渡らなかった。

5.食料品は安い。

大体、日本の10分の1から20分の1くらいの値段である。野菜など、きれいにして売ってはいないし、米はごみやシイナが混じっているが、じゃがいも、にんじん1k10円、トマト1k5~10円、米は1k75~100円くらいで売っている。乾めん1k40円、紅茶100g50円。

カフェで、二人で昼食を食べて300円くらいだろうか。ラグマン50円、ペリメニ70円、ナンと紅茶で10円、皿に肉とご飯で120円くらい。レストランは少し高い。食料品以外は、相対的に高くなる。それでも電気製品は、日本より安いものがトルコ、韓国、中国からたくさん入っている。

6.バザールは大小たくさん、キオスクはそこら中にある。

市場(バザール)では、朝市のような形式で食料、日用品、電気製品などを売っている。大きなバザールはルイノックと呼ばれていて、市内に四つある。小さなバザールは、あちこちにある。新聞、飲み物、パンなどは専門のキオスクがあり、交差点やバス停などにたくさん立っている。

7.ホテルの庭で、羊が草を食べている。

首都の大通り、日本でいえば新宿辺りを馬に乗った人が渡ったり、大通り脇の歩道で羊が草を食べている。田舎の雰囲気をたくさん残している。「イシククリホテル」の庭で、牛が草を食べていた。大学近くの歩道で、よく羊や牛が草を食べている。人が歩いているのに、街路樹をリスが行ったり来たりしている。こういう感じは、非常に好ましいと思う。アルマーティでは車や人が多くて、羊がのんびり草を食べるどころではない。

8.道路に穴が開いている。下を向いて歩こう

歩道の真中にあるマンホールのふたがなくなっていて、ぽっかり穴が開いている。それから、橋の踏み板が落ちていたりする。夜は明かりもなく暗いので、落ちる人もいるだろう。夜は特に、昼間でも下を向いて歩かないと危険。

9.町は、ひまわりの種で埋まっている。

歩きながら、ぽりぽりと食べている。最初は、何を食べているのかわからなかった。セミチカという、ひまわりの種を炒ったものを、歯で殻を割って食べる。

上手に食べるが、殻をそこら中に捨てていくのが困る。町が埋め尽くされるのでは、と思うほどだ。

(以上 キルギス七不思議)

5.カルチャーショック第1部 初回序文

以下は「キルギス七不思議」を元にこのシリーズを書き始めた初回序文です。きっかけは学生にキルギスで日本と違う所、驚いた所は何ですか、と聞かれたことでした。たくさんあるよと言いながらすぐには答えられずどうも生活に慣れてしまったなと感じたからです。書き疲れてこのシリーズが停まるとその都度刺激を与えてくれる人が現れて書き続けています。最初は日本にいる知人にキルギスを紹介するという観点で書き始めましたが少しずつ変化しています。

キルギスのカルチャーショックⅠ           2013年5月

キルギスに来たばかりの頃、七不思議として様々な驚きを書きました。十数年経って慣れて驚きが薄れてきたので、今までの驚きを思い出しながら改訂、加筆し、続編を書きました。生活や習慣は住んでいないと知り得ません。そんな内容を書いてみました。       (以上 初回序文)

 

キルギスのカルチャーショック第3部7 に続く

キルギスのカルチャーショック 第3部 3

キルギスのカルチャーショック 第3部 3     2018年10月~11月

いつものことですが話題のまとまりがなく突然キルギス国歌が出てきました。頭に浮かんできたことを書いているので・・

 

1.酷寒、酷暑の日は

初雪情報などの続きになります。日中気温で-10度以下を酷寒、38度以上を酷暑とした資料です。なお資料は自前の寒暖計によるので公式記録ではありません。

酷寒では

今年1/25 -12℃、1/26 -15℃、1/27~28 -10℃ になりました。

その前は2008年1/19~24 -10℃、2007年 12/26~28 -10℃ でした。15年間を見ても-10℃は少ないです。

酷暑では

今年7/10,11 38℃、7/22,23 38℃、8/11 38℃

2017年 7/4~9 40℃。(これはオシュですがビシケクも同程度です。)

7/23~24 38℃、7/25~27 40℃、7/28~8/1 38℃、

8/7~10 38℃~41℃ (ビシケク)

例年7月、8月に何日か38℃くらいになりますが連続にはなりません。これほど続いたのは1999年から初めてでした。2017、18年は何十年かの気候変動周期のピークにあるのかもしれません。

 

1-1.去年から気温差が大きい

手持ちの寒暖計で10月26日、27日は気温35度でしたが昨日11月1日は4度になり雪が。1週間で30度下がりました。さすがにキルギス人、ロシア人も体調を崩しています。去年から気候変動が大きいです。

 

2.ロシアの歌手 アラ・プガチョウワ

ロシアの人気女性歌手アラ・プガチョウワをご存知ですか。「百万本のバラ」という題名で加藤登紀子が訳した元歌を歌っている歌手で60歳すぎても精力的に活動しています。この私生活が凄くて何年か前はロシアの有名な若手芸人(物真似、司会)マクシム・ガルキンと結婚、その前はウクライナ出身のロシアで活躍する有名な歌手キルコロフと結婚。

3年位前ガルキンと男の子と女の子の双子の子供が産まれました。え!でもプガチョウワは60歳過ぎなのにどうして?それは現代の先端技術を利用したのです。自分の卵子を冷凍保存しておきガルキンの精子と人工受精、出産は代理母という訳です。金があればできますね。子供たち、リザとガリもyoutube に登場しています。

 

3.丸亀製麺

何年か前モスクワに行った時、丸亀製麺と書いた看板を見つけ入りました。味は期待していなかったので一番安い釜揚げうどんを食べましたがやはり旨くない。麺が作り置きで少し湯通ししただけなので何が釜揚げかと言いたくなりました。客は結構いたので知らなければこれが美味いというのでしょう。店員に日本人はいなくて多分ほとんどキルギス人。キルギス語で話して通じましたから。

 

4.白菜が通年で出現

何年か前から白菜が通年で出回っています。以前は10月から1月の限られた期間だけだったので出回るとたくさん買って漬物にしていました。白菜はどこから入って来るのか。ウズベクか中国南部かもしれません。煮物、炒め物、漬物などにしていつも食べられるので嬉しい限りです。

 

5.キルギス国歌

まだ書いてなかったなと突然キルギス国歌が出てきました。旧ソ連からの独立後1992年に制定され歌詞は三番までありますが一番と繰り返しの歌詞を記載します。アラバエバ大の学生と一緒に訳しました。なおキルギス文字はロシア文字を使用していますが(ң )(ө)(ү)の3文字多く、これらはロシア文字の(Н)(О)(У)として読めば近いです。以下のカタカナは読みで和文は訳です。歌ってみましょう。

1.Ак мөнгүлүү  акса  зоолор,  талаалар,

アク モングルー アクサ ゾオロル タラアラル

白い氷河に 覆われた 岩山よ、ステップよ

Элибиздздин  жаңы  менен  барабар.

エリビズディン ジャング メネン バラバル

われらは 共に生きてきた 心は 一つになっている

Сансыз  кылым  Ала-Тоосун  мекендеп,

サンスズ クルム アラトースン  メケンデプ

幾世紀も 氷河を抱く 山々のもとに 住み

Сактап   келди  биздин  ата-бабалар.

サクタプ ケルディ ビズディン アタババラル

我らは 先祖の土地を 守って来た

 

(繰り返し)

Алгалай  бер  кыргыз  зл,

アルガライ ベル クルグズ エル

さあ 進め キルギス人よ

Азаттыктын  жолурда.

アザットゥクトゥン ジョルンダ

自由な 道だ

өркүндөй  бер,  өсө  бер,

オルクンドイ ベル オソ ベル

さあ 発展させよう、 さあ 変えていこう

өз  тагдырын  колунда.

オズ タグドゥルン  コルンダ

自ら 昔からの 運命に

 

6.一番最後の商品をどうぞ

日本語では「一番新しい」ですがロシア語を直訳すると「一番最後の」となります。英語でも「一番最後の」と使っていると思いました。「新しい」という言葉はありますが「一番新しい」とは言いません。言語ごとの表現感覚の違いですか。「一番最後の」商品、では要らないと言いたくなりますね。

 

7.ロシア語の「世界」と「平和」は

「世界」と「平和」は同じ言葉「мир ミール」です。ビシケクの大通り「プロスペクト ミーラ」は「平和大通り」ですね。今はキルギス語で「ТЫНЧ  トゥンチ」、やはり平和通りです。「ТЫНЧ  トゥンチ」は静かな、平穏なという意味もあります。

日本語で「身につける」という意味の動詞は「着る」「履く」「かぶる」などたくさんありますがロシア語は一つです。食べ物に熱を加えて料理する「焼く」「炒める」「あぶる」もロシア語は一つ。それで日本語学習者は苦労します。

 

8.色の「青」と「緑」

学生がキルギス語の「青」という言葉は昔「緑」の意味だったと言いました。今は「青」の意味でも使っているが昔は「緑」の意味だったそうです。これは日本語と似ています。日本も昔、「青」は「緑」の意味でした。

「緑」という言葉は新しいのでどうも変更できないですね。次の単語で「青」は「緑」の意味ですが「緑」に変えると・・。「青果物」「青物」「青果市場」「青くさい」「青海苔」「青信号」「青虫」「青カビ」「青畳」「青葉」「青山」など。

 

9.キルギスでは何が起こっても不思議ではない

これは私が言っているのではなく在留の方からも聞いている言葉です。何が起こるかわからない、何が起こっても不思議ではないと。大きくは大統領追放の2回のクーデターがあったし、小さくは手続き書類や生活習慣など、えー!と思うことが多く起きます。

ビザ手続きでいえば国の都合で手続きが遅れビザ期限が切れるようになっても罰金を払えと言います。日本では他の省庁と連携措置を取りますがそういう思考ができないのか。キルギスは100年経ってどうなっているのか。

キルギス人は19世紀後半の帝政ロシア時代に自らロシアとの同盟を望み出て国を認めてもらったと言います。当時は西のチムール帝国(ウズベキスタン)、東の中国清国、南のインド、北のカザフと四方の大国に脅かされていたからです。そしてソ連になり1920年代は自治州、1930年代にソ連の構成国になりました。ソ連が崩壊した後はかつて国を創ろうとした精神はどこへやら。特権を利用し公金横領、収賄に一生懸命になっている人ばかり。キルギス人のみなさん、国は消えますよ。ソ連かどこかに吸収されているかも。

 

10.キルギスにもスミレが

毎日忙しく働いて移動は車となると歩道や公園の草花を見る時間がないと思います。道端をよく見ると日本にもある雑草がたくさん茂っています。さすが雑草で風や人・物の移動に紛れて世界中に広がります。スミレやタンポポはお分かりでしょうが他にナズナ(ペンペン草)、オオバコ(カエルっ葉)、シロツメクサ(クローバー)、カラスノエンドウ、スベリヒユ、クズ、オナモミ、ネナシカズラ、ヒルガオなど、まだまだあります。まずは足元を観察してください。

 

11.カレーの香辛料

10何年ぶりにカレー用香辛料を買いました。昔作ったレシピは捨ててしまったので最初からやり直しです。とりあえず1.トゥミン(クミン、ウイキョウ)、2.バディアン(シキミ)、3.クルクマー(ウコン、ターメリック)、4.グバジディーカ(チョウジ、丁子)、5.粉ショウガを買い、あと6.唐辛子、7.コショウで調合。しかしまだ足りないので8.カルダモン、9.カリツァ(シナモン)、10.ローレル、11.ガリツァ(洋辛子)を追加。まだ生ニンニクも必要です。これで調合してみます。香辛料は今回ビシケクシティーで調達しましたがオシュバザールの一角には香辛料売り場が何軒も固まっています。

 

12.ファレーリをどうぞ

何年も前から売っているのを見かけていましたが買ったのは最近です。ファレーリと呼ばれて日本ではニジマスですね。しかし日本よりずっと大型です。トクモク市で養殖してビシケクに出回っています。最初三枚に下してホイール焼きにしたら泥臭さがあってだめ。次は三枚にしてから半日薄い塩水に漬けて置いたら臭みが消え美味しかったです。私が買った店は一匹丸ごとでキロ330ソムでした。

 

13.キャッチセールスではなかった

前回、日本人か?と言って電話が来たのはキャッチセールスだったのかと書きました。しかし違いました。知り合いのキルギス人が日本人から情報を得たいと言う人に教えたのです。言ってくれればいいのに。どちらにしろ会わなかったでしょうけど。日本製品を輸入販売するらしいですが本物が手に入るのか、中国製コピー製品かも。

 

 

(キルギスのカルチャーショック 第3部 4に続く)

キルギスのカルチャーショック 第3部 1

キルギスのカルチャーショック 第3部 1      2018年10月

このシリーズがいよいよ第3部に、第2部途中からキルギス情報という内容が多くなりました。頭に浮かんだ事柄を書いているので話題は統一されていません。頭が書くことに疲れたら休刊します。今回はなぜか酒の話題が目に付きます。

 

1.10月と4月は部屋が冷える

最近いらっしゃった方にお知らせです。今年はなぜかまだ暖かいですが市内の集中暖房は雪が降るまで入らないので、10月はアパートが冷えてきます。一雨、二雨降れば気温が15度位下がって冬に入ります。暖房器はオイルヒーターが安全で1500ソム位と思います。

年が明け3月に集中暖房が停まりますが外はまだ寒いのでこの時もアパートが冷え電気暖房器の登場となります。

それと5月の1カ月間お湯が停止するのも困ります。電気温水器の切替えを大家に聞いてください。

 

1-1.10月には雪が降る

上記記事の補足です。私はキルギスに来てから日記をつけていますがそれによると初雪は

2017年9月30日(この日はちらついただけ2回目は11月19日)、

2016年10月14日(郊外のアラミジン地区で)

2015年10月22日、   2014年10月27日、   2014年10月27日、

2013年11月20日、   2012年10月18日、   2011年10月28日、

2010年10月21日、   2009年11月 9日、   2008年11月11日、

2007年11月 9日、   2006年11月21日、   2005年11月14日、

2004年10月15日

もっと前もありますがここ15年で10月末までに降ったのは8回(9回かも)確率50%以上、見かけの暖かさに惑わされないようにしましょう。8月は夏、9月は秋、10月は冬です。

 

1-2.春分、秋分の日の楽しみ

ビシケクの東西道路、大通りのチュイ通り、アフンバエバ通りやそれに挟まれた中規模道路は真東から真西に向け造られています。それで春分、秋分の日にこれらの道路から日の出、日の入りを見ると道路端から上り道路端に沈みます。早起きするか夕方忘れずに観てください。

2.日本食カフェ

ビシケク最初の日本食カフェは10年位前に開店した亙(わたり)でしたが残念ながら閉店しました。何年かして新たに3軒開店。それが2軒閉店してしまいました。最近ソビエト通り・アフンバエバ通り交差点からソビエト通りを少し下った所に「のぶのカレー」が開店したのは朗報です。カレーやオムライスが美味しいそうです。日曜は閉店。

 

3.キルギス製本革ベルト

バザールで買ったベルトは薄い皮を何枚か貼ってあるので弱くて切れそうになりました。近くの店に持っていったらキルギス製のベルトがあると言われ中国製ベルトより高いが牛の一枚皮で何年も持つと言います。早速使っていますが使いやすいので満足しています。バザール製品は250ソム、キルギス製は700ソムなので長く使えれば割安です。

 

4.健康体操

体の各部は仕事や家事で動かしていると思っても限られた部位を同じ方向に動かしています。動かさない部位は硬くなり肩こりなどの症状が出ます。下記のような運動で普段使わない部位を動かしましょう。説明図がないのでわかりにくくてすみません。

  • 昔ギックリ腰をやった時、骨盤を動かす運動をマッサージの先生から教えられ今でもやってます。立ち位置で肩幅に足を広げ少し膝を曲げ、手を腰に当て骨盤をゆっくり左右、前後または回転運動をさせます。ギックリ腰の予防に効果あり。
  • 肩甲骨の周辺はあまり動かさないので周りの筋が硬くなると良くないと雑誌にありました。雑誌に載っていたのは立っても椅子に座ってもいいですが両手を両耳に着くようまっすぐ挙げ、次に肘を真横に肩の線まで下します。次に両手をそのままの形にして顔の前で合わせまた戻し、また合わせる動作を2,3回します。もう一度最初のように耳の横まで手を挙げ、これらの動作をゆっくり数回繰り返します。横綱土俵入りのポーズに似ています。
  • 脚の腿は普段、前後には動かしても左右には動かしません。硬くなるので運動が必要です。立っても椅子に座ってもいいですが両膝を左右に開閉して動かします。このとき両手で膝を掴み膝の動きを抑えるような力を加えます。
  • これは体操ではないですが、ジュースなどの空瓶を床に倒して脚の裏で瓶を転がしツボを刺激します。簡単で結構気持ちいいです。

どの運動も1回にたくさんではなく1日に何回か短時間行うのがいいでしょう。余談ですが相撲土俵入りの型は健康体操から始まったと聞いたことがあります。上記①の型はないですが②はあります。③も四股で動かすのと似ています。何となく納得。

5.包丁の添え手は猫の手で

キルギス人の家や料理講座を手伝ったときに包丁の添え手を見たら危ない。日本では「猫の手」の形にしなさい、と指先を曲げるように教えますがキルギス人は伸ばしたまま。危ない、指を切るぞ、と言うと切ったことがある人も多かったです。こんな使い方は世界中でキルギスだけだと言っておきましたが直してくれるかどうか。

 

6.母親は14歳

ロシアのテレビで生放送番組があります。以前、ロシアで14歳の女の子が出産とありました。これは日本のテレビでも人権問題として取り上げられたそうです。女の子の近くの村に住む男性がインターネットで知り合ったとか。番組には女の子の両親と問題の男性が出ていましたが両親はしっかりした人たちに見えました。父親は浮浪者のようなその男性を張り倒していましたね。キリスト教国なので出産するしかない。

 

7.サッカーリーグの選手交代で

キルギス国営放送のスポーツ番組チャンネルがありイギリスや、イタリアのサッカーリーグ戦を流しています。選手は刺青ばかりと書きましたがもう一つ気が付いたことがあります。それは交代で入る選手の仕草です。キリスト教徒は芝に触れ胸で十字を切り、イスラム教徒は両手で天を仰ぐようにします。日本人、韓国人は・・何もなし。

重量挙げの大会でタイかどこかの選手は両手を合わせ拝んでいました。国際試合では日本人もこうする様にしますか。

 

8.一升瓶を、マグロブロックを、機内に

今では信じられないですがニューヨークの貿易センタービルテロ事件が起こる前はこんなこともできました。日本からキルギスに帰る時、土産に持っていけと勧められ一升瓶や生のマグロブロックを機内に持ち込んで持って来たのです。

マグロブロックは、どうせどこかで没収だと思いスーパーのビニール袋に入れ手に提げて行きました。X線検査も通過し機内へ。次には没収だと考えているうちにあれ!キルギス到着。冬の時期でしたがさすがに周りは白っぽくなったものの少し削ってマグロ丼で食べました。美味かった。

一升瓶はナップザックに入れ機内へ。これも無事ビシケクへ着き皆で飲みました。そんなわけでテロ事件を憎む程度が強い私です。

 

9.オリンピックのボランティア

赤字続きだったオリンピック運営を黒字に転換したのはロサンゼルス大会だったはずです。主催者はボランティアを大募集、市民や多くの人たちが応募しました。式典担当の人は制服を自費で買ったと読みました。制服も良い思い出になったことでしょう。

2020年の東京オリンピックもボランティア大募集ですが自己負担は20万円になる?開催が決まってから災害続きの日本なので財政が厳しい、ボランティアに頼るしかない。

 

10.「う」がありますか

日本語を学習する学生などが単語を書く時に必ず質問するのが「う、がありますか。」。たとえば「こうえん」と言った時「う」を書くのか書かないのか、ということです。日本人は慣れていますが日本語学習者にとって難しいです。同じ「お」の発音でも「空港」は「う」、「通り」は「お」になるのも難しい。

 

11.寿司バーの日本酒は

昔ですが韓国系の販売店で日本酒があるけど買わないかと言われました。量り売りで1リットル500ソムだったと思います。喜んで飲んだらどうも味が・・料理酒でした。販売店の隣の寿司バーで出してるのはこれでしょう。

これも昔、キエフ通りビシケクパーク近くの酒店で「SAKE」と書いてある瓶を見つけました。メーカーがCHOYA(蝶矢)とあるので期待できないと思いつつ買いました。4合瓶で1400ソムだったか、高い!しかしこれも料理酒でした。先日この店に行ったらまた蝶矢の酒がありました。純米酒と書いてあっても料理酒かと。値段は1550ソムに上がっていました。

アルマータで飲んだ月桂冠純米酒は50ccで300ソム、高い!日本酒は自分で作るしかないのかも。しかし日本酒の仕込みは難しいです。どぶろくを造って失敗した経験あり。ワインは簡単なので次の項で書きます。

 

12.自家製ワインのお勧め

添加物なしのワインをお楽しみください。手間を惜しまなければ簡単です。ブドウ1キロで700ccくらいのワインができるはずです。ブドウをつぶす時、茎や種はそのままでも取り出してもいいです。そのままは味が強く、取り出すと柔らかくなります。

まず材料は①熟した赤ブドウ1~2キロ位(種ありは味が強くなります)②パン酵母(イースト)一般の店で売っている物で可③砂糖200gくらい④大型タッパー⑤広口瓶1個(2~3リットルの物)⑥漉し布、ガーゼ大⑦漏斗

作り方  ①ブドウをタッパーにいれ手でつぶす。 ②砂糖を加え混ぜ、次に酵母を小さじ一杯くらいふり掛ける。 ③蓋をしてなるべく涼しい所か冷蔵庫に置く。 ④翌日か次の日、酵母が働いて泡が出ているか確認する。泡が出ないと不活性酵母なので別の酵母を買いふりかける。 ⑤一日1,2回全体をかき混ぜる。 ⑥一週間くらいして泡が出なくなったら漉し布で広口瓶に絞る。 ⑦沈殿物が溜まるので一週間に一度、上澄みだけ移し替え沈殿物を捨てる。 ⑧これを4回ほど繰り返すときれいな赤ワインのでき上がり。

 

13.ロシアドラマとウオッカ

ロシアのテレビドラマや映画にウオッカを飲む場面がよく出てきます。友人を会社に訪ねて行ったら友人が職場の机から瓶を取り出し乾杯。これが警察などの職場でも出てきます。一般家庭なら当然ウオッカかサマゴン(自家製醸造酒)の登場です。ロシア人とウオッカは切っても切れない関係でしょう。しかし飲みすぎて平均寿命に影響するのではと心配するほどたくさん飲みます。キルギス人のアル中が多くなったのはロシア人の影響。ドラマや映画に働かず飲んだくれる男がいつも登場します。

 

14.新築アパートもトラブル続き

仕事で赴任され新しく建設されたアパートに住んでいる方から苦情をよく聞きます。それは停電が多い、給排水に問題がある、など基本的な問題ばかり。施工に安い中国製品など使っているか技術が悪いか。ソ連時代に造ったアパートは老朽化でトラブルが多いですが新しいアパートで問題とはキルギスの技術がないからでしょう。

 

15.慣れは怖い 道路の渡り方

最初の頃、信号のない道路を渡るな!と書いたのに今では自分が渡っています。なるべく信号を渡っているものの車が少ないと、つい。信号で止まったバスから降りて反対側へ渡ることもあります。運転手は皆渡るのを承知しているのですが、よそ見している運転手もいるかもしれません。私を真似しないようにしましょう。

 

16.犬は好きですか

学生から「犬は好きですか」と聞かれ、好きと答えたら行きましょうと出かけたのは犬の肉を出すカフェでした。犬肉のサラダ、焼き犬肉など食べましたがタレで食べるので味はよくわからないまま。行ったのはだいぶ昔。カフェの場所はアフンバエバ通りとカールマルクス通り交差点近くですが今でも提供しているのか不明。

 

17.パン漬けの作り方

漬物がお好きな方は試してください。昔、在留の方に簡単に聞いて自己流で続けています。

材料等は ①中型タッパー(漬けるのでやや深いのが適) ②市販のパン(丸パン、角パン、黒パンなど何でも) ③最初は野菜切れ端、次からキュウリなどお好きな物を ④塩少々 ⑤唐辛子1本

作り方 ①タッパーにパンを千切って入れ、湿る程度に水を加え塩少々をふる。③塩で揉んだ野菜切れ端を漬け、唐辛子を加える。 ④タッパーを2,3日涼しい場所に置いてから切れ端を取り出す。⑤次にキュウリなど好みの野菜を漬ける。1日置けば食べられます。

留意点 ①漬けて置けばパンは分解していきます。量が少なくなったら千切って追加してください。 ②水分は上がって来るので時々天地返しをしましょう。③室温では反応が早く進み酸っぱくなるかもしれません。そんな時は冷蔵庫に入れます。

 

18.コンピューター・グラフィック(CG)

私が知っている最初のCG映画は「トロン」という題名で(40年位前か)車が道路を走るだけのものです。これはCGの試作品で何かの映画の付属で上映されました。衝撃的だったのは実写と違い、車、道路などは本当の直線、曲線で絵が動いていました。それからCGは進歩し、今では普通の映画、テレビ番組で実写に相当する精度で提供されています。

 

19.ロシアに先行できるか歌手の口パク禁止

いつもロシアテレビ番組のパクリをしているキルギスです。以前は俳優や歌手などがサーカス演技を披露する番組があり最近では生放送を真似しています。しかし制作費がないのでしょう、ゲストが出演してただ対談するだけ厚みがありません。さてロシアでもキルギスでも歌手は口パク、口と音が合っていません。これをキルギスから変えていったらどうでしょう。ロシアに先行して口パクを禁止するのです。一つくらいロシアより先に実行するのがあってもいいのに、無理ですかね。

 

20.目次を作成

このシリーズが第3部に入ったので第2部までの目次を作りました。シリーズが20ありそれぞれ20前後の記事があるので今まで気にせず書いていましたが同じ内容もあります。よく書いたなと感心してばかりはいられません。これからも情報提供に努力しなければ。

(カルチャーショック第3部 2に続く)

観光案内 チーグ町、サンタシ、カラコル

キルギスの昔話、伝説    (出典は「キルギス百科事典」 2000年頃訳)

観光歴史その1

1.チーグ   (湖底に沈んだサーク族、ウスニ族の町)

今、イシククリ湖があるところには、何世紀も前、村や町がありました。町の中をキャラバン隊が通ったり、立派な宮殿やかんがい施設を造られたり、市場ががやがや賑わったり、手工業者が働いたりしていました。しかし、やがてその村や町が湖に沈みました。沈んだ遺跡の秘密は、昔から学者の興味を引いてきました。

イシククリ湖に沈んだ町で、一番古い町が「チーグ」です(中国語では、チーグチェン)。チーグ、そこは中央アジアの東から来たウスニ族の最高位指導者がいる拠点でした。紀元前2000年、ウスニ族が天山の谷を侵略したとき、この指導者はサーク族の拠点を奪いました。そのとき、チーグ町を中国の旅行者、ジャン・シャンが訪れ、天山の民族とハン国の間に交流が始まりました。

ペスチャンノエ村の隣にある入り江の底に、サリブルン町の遺跡が見つかりました。残されていた材料によって、ここに一箇所だけ居住地があったことがわかりました。それは「チーグ」だったのです。学者は、沈んだサリブルン町はチーグ町であるという仮説を立てています。

残念ながら、古代のウスニ族の拠点を散歩できるのは、スキンダイバーたちだけですが、入り江の南方では流されてきた古代の焼き物を多く見つけることができます。

 

2.サン・タシ    (塚の謎)

昔からサン・タシ峠は、クンゲイアラトーからテルスキーアラトーの北裾野を越える分かれ道として使われてきました。高山の谷間には、サーク族の古墳や石で造った塚などがたくさんあります。古墳の直径は60メートルにもなります。

特に、二つ隣り合わせにある古墳が注目に値します。(小さい方は考古学者が発掘して、もうありません。)この有名なサン・タシの古墳について、「鉄のちんば」と呼ばれたモンゴルのタミルランがインドへ出征したことに合わせた伝説があります。タミルランは、出征の前に兵士が小山に一つ石を置いて、帰った時、一つ石を隣の小山に置くように命令しました。二つの塚は、死んだ兵士のために特異な記念物になりました。この伝説にちなんで、サン・タシ(数えた石)と呼ばれます。

学者たちは、この古墳を古代の遊牧民が作ったと推測していました。しかし、発掘して円形テント型の石の施設を発見した時、学者たちは驚きました。遊牧のサーク族時代のものではなく、中世期のチムール時代に属していたのです。

国内に1ヶ所だけあるこの建造物が造られた目的は、まだわかりません。発掘調査の結果を待たなければなりません。

 

 

3.N・M・プレジワルスキーの記念碑   (カラコル市)

1869年にカラコル市が設立され、町の中心にあるカラコル大学に記念碑ができました。この時代には、カラコルはロシア人やいろいろな国の人間が天山と中央アジアへ探検に行く基地でした。

1885~88年に、偉大なロシアの探検家で中央アジア研究者のN.M.プレジワルスキー滞在しました。彼は、サンクトペテルブルグから5回の探検に来て、腸チフスに感染してカラコルで死んでしまいました。プレジワルスキーの記念像は、カラコル空港の近くにあります。しかし主な記念建築物は、カラコル川が湖に入るところにある彼の墓の近くにあります。

記念碑は、岩の上部に知恵と優しさのシンボルである鷲がいる構図です。鷲のくちばしには、科学の平和的な目的のシンボルであるオリーブの枝、そして、爪には折った中央アジアの地図をつかんでいます。

岩の表面には、青銅の十字架がしっかり取り付けられました。その下には、ロシア科学アカデミーから彼の功績に贈られたメダルを大きく複製したものがつけてあります。下部には、「ニコライ・ミハイロビチ・プレジワルスキー 最初の中央アジアの研究者、1839年3月31日生まれ、1888年10月20日死亡」と書いた銘があります。記念碑は中央アジアで最初のモニュメントです。

1957年4月29日には、記念館を造ることが決まりました。墓と記念碑の近くに記念館ができました。ここには、研究の成果物や彼の遺品が展示してあります。

 

4.ドゥンガン人のモスク    (カラコル市)

カラコルに立派な記念的建築物のモスクがあります。モスクの建築家たちは、ドゥンガン人伝統的な木造建築の経験と技術を使って造りました。モスクを彫刻家、レンガ職人、屋根屋など30人以上の職人で造りました。

1907年に建築家が、天山もみ、カラガチ(コブニレ)、ポプラ、クルミなどの材料の用意を始めました。準備に3年間かけ、1910年にモスクの骨組みを組み立てました。大きさは24.8m*23mで、中央アジアのモスクと比べるとそれ程大きくありません。

モスクは、東側と西側に2列の柱がある長方形をしています。南側と北側に窓を作って、西側にはありません。そこには、神に祈る人たちが顔を向けるからです。外部に彫刻した模様には、民族の神話にある怪物やフェニックス、ライオンを装飾に使っています。民族の伝説に従って、彼らは建物を災害と悪魔から守っています。

建物の色、材料、屋根の色は、厳しく決められました。木造部分と柱が赤色、壁が濃紅色、屋根は緑色、さらに、彫刻した模様には、ぶどう、ざくろ、梨、桃など植物の模様は緑色、神話の動物は黄色の二色で塗りました。

神話によると、それぞれの色には意味があります。赤は災害と悪魔から守り、黄色は富と偉大さを表し、緑色は幸福と幸運を持ってくるのです。

 

5.健康に良いアクスウ温泉   (カラコル市)

カラコル町から15km、天山のもみやりんごや落葉樹が生える谷間に景色のいい温泉があります。イシククリ湖東部の人々は、昔からアクスウ温泉の効能についてよく知っています。住民は温泉を崇拝し、アルマ・アラシャン(リンゴの効能がある温泉)と呼んでいたことから聖所と言われています。

1857年6月9日から10日にかけ、ロシアの探検家P.P.セミョノフ・テンシャンスキーが訪れ、後に「回想録」に書いています。その後、プレジバルスキー町が建設されたので、イシククリに来た多くの研究者や旅行者が温泉を訪れました。

19世紀の終わりに、温泉が中央アジアや西シベリアにも有名になったとき、地区の行政は市民や訪れる人々のために木造の建物を建てました。近所のキルギス人はユルタに住んで、ここを訪れる保養客に肉やクムス(馬乳酒)を提供していました。

 

ビシケク市について

2018年4月配信

ビシケク市について          (2000年頃作成、未完)

1.概要   2.自然   3.歴史

 

1.概要

キルギス共和国の首都ビシケク市は、キルギス山脈の北 チュイ盆地にあります。標高は700~900メートルで、面積は127.29平方キロ、人口は67万2千人(1989年)です。

市は、レーニン、アクチャブリ(10月)、ペルバマーイ(5月1日)、スベルトロバの4つの行政区からなっています。

市の郊外には、国際空港のマナス空港があります。

市内には、大統領府を始め博物館4、劇場4、図書館5、市場4箇所があります。

 

2.自然

年平均気温は10.2度C、年降水量は409ミリ、年平均湿度は60パーセントです。

月平均気温は1月が-4.6度Cで最も低く、7月が24.5度Cで最も高くなっています。

1930年12月には最低気温-38度C、1983年7月には最高気温43度Cを記録しました。

年降水量の53パーセントが3月から6月にかけて降ります。1930年8月30日には、1日の降水量70ミリを記録しました。

 

 

3.歴史

都市計画と建築様式(1984年発行 フルンゼ百科事典 より)

ビシケクの区域と周辺には、6~14世紀のものとみられる都市遺跡がある。これらは、粘土などをこねて作った壁または強固に盛土した壁に囲まれた居住地であった。住民の住居は生レンガで作られ、天井はれんがで丸型、または木で平らに作られていた。遊牧民族の住居は、移動式丸型テント(ユルタ)だった。1825年にコウカンド国のピシペクという要塞ができて、西の防壁の近くに次第に粘土壁の住居ができた。

1878年に都市建設の最初の計画が作成され、街区の1区画を1~1.5ヘクタールにすることになった。街の広場、公園、並木道、軍事病院など、またいろいろな役所のために場所が決められた。東のはずれは、回教寺院、バザール、干草用地、刑務所用地、兵舎に割り当てられた。都心にニコライ教会と練兵所が配置された。

住居は、粘土などをこねたり日干しレンガで作った一階建ての家がほとんどだった。少し経って二階建てレンガの家が現れた。住居はステップ地方にある代表的なもので、簡単な作り方だった。

ソビエト政権の最初から都市計画と建築様式の新しい芸術的手段の探求が始まった。都市建設に際しての選択で、道路を緯度子午線に合わせた。20年代に生産のためのいくつもの建物、たとえば皮革やレンガ工場、インテルゲルポ協同組合などが建てられた。

20年代の終りには、都市建設での興味深いできごととして円形街区(今日の労働者街区)の出現があった。平地に放射状の輪を造り、田舎の風景を取り入れて都市生活の快適さを創出する試みをした。

最初の住宅建設は、同名の産業協同組合にちなんで「インテルゲリポ」地区となった。個々の住宅規模は大きな規格となった。

最初の大規模な建築は、キルギス自治州人民会議の建物(今の歴史博物館)(1927年建 設計А.П.ゼニコフ)だった。

20~30年代に共産主義大学、国立銀行(今の5月1日支店)、女性教員学校、鉄道、フルンゼ駅、印刷所、音楽学校、歴史専門学校、アラト-映画館などが建てられた。

10月革命の第19回記念日に、州庁舎(今のキルギス最高会議幹部会の建物。36年建 設計А.Ю.ドゥボフ)が建てられた。

30年代の建築の特徴で、柱列、柱廊、大きなアーチ型の壁抜き(医科大学 39年建 設計Ф.П.ステブリン ジルジンスキー大通り・トクトグラ通り角のアパート 設計C.X.サークヤン、 П.П.イワノフ、А.М.アリバンスキー)、キルギス民族模様の使用(キルギス最高会議幹部会の建物ホール入口 構成Б .ウィツ、Л.メサロフ)が現れた。

30年代は、20年代に始まった広場や通り、大規模な産業用建物などの一連の整備が続けられた。37年に初めて都市の地形図、基本的なフルンゼ総合計画ができて、戦前に首都の改良が始まった。住民のために防湿、衛生関係に最も注意し、都市内の個々の地区の関係が最良となるように、また全体配置、文化施設や産業、公共施設の配置を考慮した。

市内では、公園(Ю.フチカ記念公園 36年建)、小公園(中央地区 38年建)、庭園、新しい緑地帯、貯水池が起工した。

1940年、新しい建築様式で最初の建築がされた。パビリオン・ミネラルウオーター「アク・スー」近接して映画館「アラ・トー」(設計 A.M.アリバスキー、構成 O.M.マヌイロバ)。40年代最初の銅像(パンフィーロフ.И.В.及び Г.В.レーニン像 48年建 製作Г.В.ニロダ 設計  В.В.ベリュジスキー)が建てられた。

50年代は特に早いテンポで、学校、幼稚園、幼児園、職業学校、大学、医療、行政、文化生活などの施設が施工された。59年には複合施設 キルギス科学アカデミーと同盟会館が、「    」は57年に、51年には総合建築物のソビエト広場が建設された。55年にはオペラ・バレー劇場、そのあと同地区の建築物 Н.Г.チェルヌシェスキー記念国立図書館(62年)、ホテル・キルギスタン(71年)造形美術館(74年)、アイチュルク・デパート(74年)、トクトグル像が設置された。

50年代の公共施設は、ソビエト商業技術学校、空港、映画館“10月”、農業展示館(ВДНХキルギス)がある。プール、噴水、小公園などの小規模な建築も多く行われた。また、規格に沿った2階建て、3階建て住宅の大量建築が始まった。

60年に市で最初の5階建て住宅が、ビリンスキー通り(今のマナス通り)とレーニン大通り(今のチュイ大通り)の角に建てられた。住宅には、回廊、バルコニー、テラスが自然環境によく調和するように設けられた。60年代には商業用の建築がかなり速く進んで、東洋と西洋の工業中心地ができた。

60年代半ば過ぎから、その時代の要請にかなう建物が建てられた。工業研究所と研究施設、たとえばキルギス国立放送協会のスタジオ制御室、ラジオ会館、キルギス科学アカデミーの建物など。67年にキルギス共産党中央委員会とソ連キルギス共和国閣僚会議がある建物が建てられた(今の国会議事堂)。60年代の建築で、フルンゼ博物館(67年)が特別な位置を占めている。

70年に町の中間的な建築図案と基本計画が決定された後、首都の美的な建築物となる文化的な建物が建てられた。たとえば、キルギス演劇場(70年)、ロシア演劇場(71年)、レストラン「セイイル」(73年、設計A.И.イサエフ)、政治教育会館(74年)、レーニン・スポーツ会館(今のコジョマクール・スポーツ会館)、国民生産物展覧会場の主要な展示館・ВДНХ(74年)、生活サービスサンタ-(75年、設計 Ю.П.カリフ、Б.モルドバエフ、К.サルバノフ)、ホテル「ピシペク」(75年)、サーカス場(76年)、実験的な中学校の5番学校(80年)、国立音楽堂(80年)、マナス空港(81年)、西部バスターミナル(81年)、子供スポーツセンターのプール(83年、設計 К.サルバノフ、В.Д.ホフトほか)など。

心臓病大学及び付属病院や厚生省の主要施設である4番病院など、保健施設の建築に多くの注意が払われた。

70年代から社会文化施設と併せてアパートが建てられ始めた。たとえば、南門団地(今の10番団地)、ソビエト通りとボコンバエバ通り、プラウダ通りとオゴンバエフ通り、トクトグウル通りとスベルトロブ通りなどの交差点のアパートである。これらの建物は、気候の特徴を考慮し民族装飾を使用して建てられた。ソビエト通り、ビリンスカヤ通り、レーニン通り、マルクス通り、ミラ通りの景観がとてもきれいになった。

60年代半ばから20年間の建築は、キルギス国立建築計画研究所で作られた計画で行われた。たとえば、105シリーズの5階と9階建てのパネル式住宅(設計 Е.Г.ピサルスコイ、В.Е.セドフ、技師 А.И.モズゴボイなど)と106シリーズの9階建て高層パネル工法のアパート(設計 Е.Г.ピサルスコイ、技師 Е.Д.スヌチコフほか)、れんが造りの98シリーズのアパートである。

73年に9階建ての最初のアパートがビリンスキー通りとレーニン通りの交差点に建てられた。82年に「バイチェチェケイ」という店がある12階建ての最初のアパートが、ミラ大通りに建てられた。ジュキエバ・プドフキナ通りに大型パネルを使った105シリーズ最初の16階建てのアパートが建てられた。高層建築では耐震設計に大きな注意を払った。

79年にビシケク市中心部の詳細設計が決定され、この設計図でレーニン中央博物館の分館(今の歴史博物館)、レーニン図書館(今の国立図書館)、市役所、通信会館、コルホーズの市場、商業と生活文化施設、学校とその他(通り、広場、噴水、銅像、大小の公園)が建築された。

 

 

年代表           主なできごと

紀元前5千年~4千年    市の区域内に最初の生活跡があった(アラミジン住居跡)

紀元前7世紀~紀元5世紀  サコフ族とウスニ族の結合

5世紀~14世紀      ピシペク、クズルアスケル、チョキョルジョシュほかに住民の住居跡

15世紀~19世紀初め   キルギス民族は、現在の市区域あたりに遊牧していた。

1825年         コウカンド国のピシペク要塞の設置

1845~47年      カザフ汗ケネンモスカルモブの攻撃にキルギス民族が敗北した。

1845年         チュイ盆地のキルギス民族がロシア政権に対して、ロシア領となることを願い出た。

1860年8~9月     ロシア軍がチュイのキルギス民族協力のもとに、ピシペク要塞を攻撃。

1862年10月24日   ピシペク要塞を再度攻撃した。

1863年         キルギス民族がロシア国の傘下に入った。

1864年         コウカンド国が崩壊した。ピシペク要塞にロシア軍の前哨ができた。

1867年         トクマク郡の設置とアラミジン、ピシペク入植地の設置

1876年 4月26日~  トクマク郡役所がピシペクに移転した。ピシペクは町になりピシペク郡     5月13日   の中心となった。

1878年 8月31日   ピシケク町の建設計画の決定

1879年10月31日   ロシア正教の教育学校の開校式。最初の教育施設。

1881年         にれの木の植林

1883年         ドゥンガン人の大規模な村の形成があった。

1885年 1月21日   M.B.フルンゼが生まれた。

1885年         ロシアの探検家プルジバルスキーがピシペクを訪れた。(最初の訪問)

1889年         キルギス造園学校の開校式(1894年から農業学校)

1895年         無料公共図書館の開館

1897年        ロシア帝国の最初の国勢調査で、ピシペクの人口は6615人だった。

1898年        ドボブイ庭園の基礎を据えた。

1899年        最初の薬屋の開店

1903年12月初め   町に最初の非合法的な反政府宣伝ビラが現れた。

1905年8月6日~   民衆集会があった。

11月8日

1905年11月16日  ピシペク有線電信会社社員のストライキがあった。

1905年~1912年  社会民主主義サークルの活動があった。

1906年        家畜の定期市場が初めて開催された。

1907年 5月     入植した農民のために診療所が開所した。

1907年        移動上映映画が現れた。

1908年        ピシペクにロシア式学校が開設した。

1910年~17年    チュー川にかんがい施設の建設が行なわれた。

1911年        「メテオル」と「マルズ」映画館の開館

1912年        ピシペク通りに最初の自動車が現れた。

1912年 5月     男性用体育館の開設

1913年 3月31日

 

 

 

カルチャーショック 第 1部 1

キルギスのカルチャーショックⅠ           2013年5月

キルギスに来たばかりの頃、七不思議として様々な驚きを書きました。十数年経って慣れて驚きが薄れてきたので、今までの驚きを思い出しながら改訂、加筆し、続編を書きました。生活や習慣は住んでいないと知り得ません。そんな内容を書いてみました。

 

1.時間を守らない

キルギス人と待ち合わせを約束して待っていてもその時間に相手は来ない。来ても1時間くらい遅れてくる。今ではだいぶ良くなってきたように感じますが何千年も半日単位で生活してきたキルギス人だからまだ変わりそうにないでしょう。反面、日本は時間に細かすぎるとは思いますが。

 

2.キルギス料理は5つだけ

キルギスの家庭料理は、ベッシ・バルマック、オロモ、マンティ、ラグマン、プロフ、ショルポ(肉スープ)の六つ。ベッシ・バルマックはお祝いなど特別な時だけなので、いつもは五つ。メニューを考える必要がない。キルギス人の家に1日いれば同じ料理が出てきます。

2-1.キルギス人の食生活は

キルギス人が定住化したのはスターリン時代の1930年代。今はたまたま家に住んでいるだけで生活は遊牧時代と同じ。外で使う大鍋(カザン)を使ってガスで料理を作ります。鍋の底が丸いためガスの火が回りを伝って不経済この上ない。それには全く気がついていないようです。ガスは炎を大きくしてヤカンや鍋からはみ出すほど大きくして使っています。これも野外で薪を使った料理の使い方と思います。

調理器具は少なく、包丁には食事用ナイフを使い、フォークも色々に使っている。まな板は小さく、キャンプに持っていくミニサイズ。調味料はほとんど塩だけ。まれに塩漬け唐辛子を使うだけで、コショウもほとんど使わない。日本はキャンプでもこんなに少なくはないでしょう。

ゴミ箱も鍋も一緒扱いで、普段の料理に使っている鍋に野菜クズや紙などのごみを入れている。他国の文化などを入れようとしないので、いつまで経ってもこのままではないでしょうか。

 

2-2.野菜を食べない

キルギス人が食べる野菜は、ジャガイモ、にんじん、玉ねぎだけといっても過言ではないです。知り合いにキャベツを食べるように言ったら、食べたらお腹がおかしいとかで続きません。あとトマトは食べます。野菜以外に食べるのは羊肉。骨付きで売っているのでそれを長く茹でて柔らかくします。

ロシア人は、きのこ、野菜をたくさん食べますがキルギス人はきのこ類も怖がって食べません。

 

3.先生、答えを教えて

大学で教え始めた頃、テストの時に学生が「この答えは何ですか」と聞いた。どういうことなんだ、これには驚きました。それと答えがわからない学生に教え合う、それにカンニングはするわ。小学校時代からわからない人には教えなさい、と言われているらしいのでこうなってしまう。それにしてもテストの時に教えなさい、はないでしょ。

 

4.紅茶、コーヒーに砂糖を4,5杯

学生が来たりお客に行ったりしてびっくり。みんな紅茶などに砂糖をたくさん入れます。体を悪くするのではと心配するほどでした。これには訳があって、料理に砂糖を使わないので、その分を飲み物で摂るようです。

 

5.気温の差が大きい

大陸なので前線が通過すると雨や雪になり気温が15度、20度下がる。反対に晴れると急に上がる。フライパンの上で生活しているようだと常々感じています。熱すればすぐ暑くなり、冷めればすぐ寒くなる。

キルギスは天山山脈の盆地にあるので、通常、風はないです。しかし前線の端が来ると突風が吹き、その後天気が変わります。風が吹けば桶屋が、という落語がありますけど、風が吹けば天気が、はキルギスです。

 

5-1.風呂から出ると寒い

これは湿度が高い日本ではわからない感覚です。出るとき体を拭いていると寒くなります。温度が低いのではなく、乾燥しているので水分がすぐに蒸発して気化熱を奪うので寒くなるのです。体はさっぱりしていいですが、風邪などに注意しないといけません。日本では出ても汗だくになり、もう一度入りたくなります。

 

6.警察官はゆすり、たかり屋

来たばかりの頃、自分が外国人だという自覚を忘れて繁華街(といっても当時は静かなもの)を散歩しました。すると警察官にパスポートは、と聞かれ、大学にあるので持っていないと答えた。そうしたら近くの詰所に連れて行かれ所持品を調べられた。

私は教師でパスポートは大学だと言っても承知せず、開放してやるからと言って財布の中にあった金を要求された。なぜ金をと言うと本当ならもっと多く必要だと、多分そう言ったと思います。大学にパスポートを預ける時、コピーを取るように言ってくれれば良かったがもう遅かった。

金を払って?開放されたがいろいろな意味でショック。金を払えば何でも許されると知ったのは後のこと。

 

7.交通警察も賄賂要求

道路に警察官らしき人が立って車を停止して調べています。車内に定められた書類や器具などがあるかを調べて、ないと金を要求します。これはロシアやカザフでも同じ事で、日銭が入るから希望者が多いとか。

賄賂は以前20ソム、次に30ソムになり、今はいくら?

 

7-1.電気、ガスメーターの改ざんは当たり前

アパートの電気、ガスメーターはなぜか部屋の中にあり、毎月の使用量はドアの前に書いて貼り出します。水道、熱水は頭割りの請求なので書きません。このメーターを該当会社の検針員や技術者が賄賂をもらって逆回しさせるのです。アパートでは少ないようですが、一戸建てでたくさん使う家ほど悪事をします。これを毎月やっているので会社に入る料金は少なく、経営が悪化します。

 

7-2.私腹を肥やしたバキエフ前大統領

2010年4月のクーデターで国外逃亡したバキエフの政権時代、ダムの貯水量が少なく発電量が足りなくなったと言って計画停電をしました。曜日、時刻で停電になり、豆腐、納豆の製造であたふたでした。しかし、これは関係者が賄賂をもらいウズベキスタンに電気を売ったために生じたことだったのです。

政権末期に電気料金を2倍以上にするとしていました。アパート代は電気料込みだったので大家は値上げすると言いました。その直後クーデターがあり政権が代わり、電気料金は値上がりせず却って安くなりました。バキエフは何らかの私腹を肥やすつもりだったのでしょう。追放して良かった。

 

7-3.就職にも賄賂

就職は、試験があるわけでなく知人がそこにいるか紹介する人がいないとだめです。そして、いざ就職となったら上司に賄賂を払います。これは日本や外国系の会社、組織では関係ありませんが。

収入が多い仕事は賄賂も当然高くなります。警察や官公庁も同じで、ホワイトハウスの就職は6000ドルとか聞きました。

8.期限を過ぎても返さず雲隠れ

大学にいた頃から金額の多少はあるものの金貸しを頼まれました。学生や卒業生の顔見知りからですが、心配なので借用書を書かせました。しかし返さないのが多い。個人的な借用書は全く気にしないようで、請求されれば、今はない、と平気な顔です。

三井先生から何百ドルか借りていたスルガク(人文大)は、先生が帰国する直前に呼び出して請求したらアパートの電話を切りどこかへ雲隠れ。何年か経って町でひょっこり顔を合わせましたが、三井先生のことはもう終わったと言う訳かすっかり忘れていました。

日本人はいつか帰国するから、それまで引き伸ばしていれば返済しなくていい、という意識なのです。そんなことですから、金を貸す時はくれるつもりで、返ればもうけものと思うのがいいでしょう。

日本人に顔が似ていて日本語を話していると、私もそうですが、どうしても日本的な感覚を持っていると思ってしまいます。歴史や生活環境が違う別の人種と理解するのは時間がかかります。

 

9.信号のない道路を渡るな

来たばかりの頃、車は年式が古く量は少ないし、道路はでこぼこで早く走る車は少なかったです。そうはいっても、道路を所構わず渡るのは危ない。母親が子供の手を引いて渡るのを見ると、どういう感覚をしているのか、それとも心中かと思ったものです。

慣れとは怖いもので、今では私も横断するようになってしまいました。運転手は人が横断するのを承知しているので事故は少ないようです。上手に渡らないとクラクションを鳴らされますけど。赤信号、皆で渡れば・・ですが日本ではすぐ病院行きです。

9-1.信号はどう渡る

最近は赤信号の間隔が伸びたものの、以前は道が広い割には信号の間隔が短く10秒くらいしかなかったです。信号が黄色になった時に渡り始めないと向こう側に着かないため青でも構わず渡るので、最初は渡るタイミングがわかりませんでした。仕方がないので他の人と一緒に渡るのですが、青なのに渡っていて車が来たりするので何も参考にならなかったです。

車は右、人は左の逆転思考に適応するにも時間がかかりました。日本が特別なのですけど、最初に左を次に右を見る習慣は難しい。今は日本でつい逆を見てしまい慌てます。

ところで、市内モスクワ通りは、車は一方通行でもトロリーバスが交互通行になっています。あるとき車に気を取られ道を渡ったら、反対方向からトロリーバスが来て私の前で急停止。女性運転手が大きく手を広げ叫んでいました。トロリーバスを2回も止めてしまいました。モスクワ通りは道路計画の間違い、一つ北側は反対方向の一方通行なのでこちらをトロリーバスが通るはずだったのでしょう。

 

9-2.バスの運転は運転手の都合で

市内の公共交通機関は、トロリーバス、大型バス、マイクロバスです。トロリーバスはバスに架線が付いたもので線路は無し。マイクロバスは路線が決められている乗合いワンボックスカーです。

困るのはバス、マイクロバスの運転手が運転中にタバコを吸う、バスを停め途中で自分の飲み物など買い物をする、携帯電話で話すことです。それとマイクロバスで乗車客が少なくなると近くに来ている同じ系統のバスに移らされます。休憩か食事をするのでしょう。こういうのはお互い様になっているようで別運賃は取られません。労働者はソ連時代の慣行で自分の都合優先で仕事するのでこうなります。

反面、便利なところもあります。マイクロバスは停留所以外でもどこでも止まりますが、トロリーバス、バスでも信号で止まっている時に運転手に「降りてもいいか」と言えばドアを開けてくれます。日本はバス停だけですからね。

10.間違い電話が毎日

最近は減ったものの以前は毎日。原因は番号の押し間違いか電話局の接続ミスらしい。最初はロシア語で「もしもし」と出ていたものの、相手が早く話すので意味がわからず、日本語で「もしもし」と言うことにしました。

知らない、変な言葉が聞こえれば相手が切るだろうとの計算。「電話番号が違います」という言葉が最初に覚えたロシア語です。しかし、同じ人からすぐにまた間違い電話がかかって来るのはどうしてでしょうか。

 

11.歌手は口パク

来て少し経ってからテレビで歌手の口と言葉が合わないことに気がつきました。口は「あ」なのに「う」と声が出たり、口を開けていないのに声が出たりしている。おかしいなと思っていたらロシア、カザフの番組もそうでした。

しばらくして、昔は録音テープ、今はCDで曲を流しているからと判明。いつからこんなことになっているのかは不明です。独立後、ヨーロッパから入ってきたと言う話を聞きましたが。

 

12.生徒はウルトラマン

学校で生徒が手を挙げる格好は、ウルトラマンがスペシューム光線を出す時にそっくり(例が古いですが)。挙げる反対の手は机につけ、挙げる手の肘を机から離さず手先を左右に動かしている。はい、はい、と上に挙げる日本とは、随分違う。

 

13.車を止める時は手を横に

バスやタクシーを止める合図は、手の甲を上にして自分の横か車に向かって手を伸ばします。最初はどうも違和感があって、つい上に挙げたくなりましたが、今は慣れて普通になりました。

 

14.お金のジェスチャーは

お金の話をする時は、親指と人差し指をこすり合わせて数える仕草をする。ロシア人も同じ動作をするのでロシア式かも。

自分のほほに人差し指を当てて下に動かすのは「恥ずかしい」意味。日本では「悪い奴」ですが。

首の横に手を持っていき水平に動かすのは「もう満杯で要らない」ということ。首切りの動作ですね。

手の甲を上にして相手の方に向けて伸ばし、親指以外の指で握る動作を繰り返すのは「さようなら」。どうしても「こっちに来て」と間違えます。

所変わればジェスチャー変わる。

 

15.お元気ですか、を何回も

これはショックではありませんが。大学にいた頃、同じ学生が何回も「お元気ですか」と声をかけてきます。さっき会っただろうと思いつつ返事をしていました。これはキルギス語、ロシア語も「お元気ですか」に相当する言葉は同じ人に何回でも使っていいからです。

母語に訳しただけで使っているとこうなってしまいます。日本では1回だけだぞ、と注意してもなかなか直りませんでした。

それと祝日のお祝いに「おめでとう」を言います。「ノールズ(春分の日)おめでとうございます。」といった調子です。これもロシア式、キルギス式です。日本は言わないといってもなかなか直りません。

 

16.道につばを吐くな

キルギス人、ロシア人とも外でよくつばを吐きます。誰かを待っている人の周りには、つばの池ができそうです。つばを飲み込めないのでしょうか。私と話していて、人の顔を見ながらつばを吐かれた時は、「俺に何か文句あるのか」と言いたくなりました。相手はいつもやっているので何も感じていませんが、日本人からは「おいおい!」と閉口します。

 

17.ガスが、電気が止まる

最近はなくなりましたが、以前はガスが年に1,2回、2週間ほど止まりました。輸入先のカザフ、ウズベクに輸入代金を払えないと元を止められて、払えば復活。電気はカザフ、ウズベクに売っているので、使用量を減らすため村では夜中の停電が今でも続いています。

最初に住んでいたアパートでは、前の道路で熱水管の敷設工事を半年ほどやっていました。当然お湯は出ず、そのうちガスが止まり、さらに地区で何日か停電になった三重苦のときがありました。料理ができないのでサラダとパンを買って暗くなる前に食べて、あとは何もできないのですぐ寝ました。

 

17-1.熱水も止まる

市内のアパートは集中暖房を兼ねた集中給湯式になっています。これが毎年5月に1ヶ月間止まります。経費節約なのか会社の休暇なのかわかりませんが、モスクワも止まるとかでソ連時代からの行事です。

もう暑くなっている時期なので不便です。仕方なく鍋やヤカンでお湯を沸かして行水します。

18.海産物がない

日本では毎日刺身など食べていたのにキルギスでは何も手に入らない。キルギスに来て何ヶ月かして体中の海産物エキスがなくなりストレスが溜まりました。ニシンの塩漬けを塩抜きすると刺身風になると教えられ作ってみたら、刺身に飢えていたのでこれでも結構満足。冷凍シシャモを3枚に下ろして酢漬けで食べたり、いろいろやってみました。

7,8年前、韓国の店でマグロのブロックや蛸、鯖を見つけたときは感激しました。高すぎて手が出ませんでしたが今では昆布、わかめなど韓国店で手に入ります。まだカツオだしは売っていないもののいい生活環境になりました。

 

19.野菜、果物、乳・肉製品は美味しい

海産物は高価ですが乳・肉製品は日本よりずっと安くて美味しいです。それに野菜・果物が豊富で甘い。

牛や豚、馬、鴨の燻製ハムはバザールでキロ600~1000円くらいです。随分高くなりましたが日本のとは段違いに美味しい。これは伝統技術の違いでしょう。日本の製品は化学薬品の味です。他に自家製チーズ、プレーンヨーグルトも売っていて美味しいです。

蛇足ですが、日本で牛乳を飲むといつも腹を下したのに、こちらの牛乳は問題ないです。何が違うのかわかりません。

野菜・果物は気候が乾燥していて土がいいので甘くて美味しいです。日本の子供たちが食べればピーマン、にんじん嫌いが直ります。ピーマン、にんじんはこんなに甘かったの?と。

出回っている野菜・果物は、国内産だけではありません。きゅうり、トマトなど中国、ウズベク、パキスタンなど、オレンジは中国、イラン、モロッコから、その他陸続きの国から入ります。

スイカ、メロンも甘くて美味しい。キルギスには果物が豊富な夏に来るのがいいでしょう。

20. 町は暗闇の中

以前は街灯があっても切れているか故障していて、店も営業しているかわからないほど明かりを小さくしているので夜になると町は真っ暗に。夜出歩くときはよほど注意しないと水溜りなどに入ります。マンホールの蓋がない所が多いのも困りものです。外出には勇気が必要で、下を向いて歩こう、でした。

 

(カルチャーショックⅡに続く) 大滝

 

カルチャーショック 第 1部 3

キルギスのカルチャーショックⅢ     2013年5月

ショックな話と住んでいないとわからない興味深い話を併せて書きました。

 

1.お札で商品をパタパタ

朝早くバザールで買い物をしたとき、渡したお札で売り手が他の商品の上をパタパタ叩きました。「ん!」と思って聞いたら、最初の売上金でこうして、あとでたくさん売れるようにとの縁起かつぎでした。

商売の縁起かつぎでは、最初の売上金にプップッ、とつばを吐く真似をする動作があります。中近東からロシアで見られるそうで、韓国で見たとインターネットサイトにありました。

 

2.「パトーム」と「ザーフトラ」

「パトーム(後で)」・・・買い物をして手持ち金が足りないと言うと、店の人が言います。後で持って来ればいい、と思ったのですが、どうも言い方が違います。足りない分は要らない、負けるから買ってくれ、という意味でした。日本でも「あとでいいよ」と言いますが、やはり持ってくるのが前提でしょう。辞書だけではわかりません。

「ザーフトラ(明日)」・・・何かするべきことがあってもできない時、わからない時に言います。店に欲しいものがなくて「いつあるか」と聞くと「ザーフトラ」。「明日に」ですが、明日になってもあるかわかりません。明日の明日は、その明日は、となっていつになるかわからない、ということで、「いつかわからない」ということになります。

貸した金を請求すると「ザーフトラ」と返事します。明日また請求すると「ザーフトラ」、これで1ヶ月、1年、やがて相手は諦めます。

学生はこれを日本語に訳して「明日、明日」と言うのですが、意味はまったく違いますね。

 

3.酒は密造酒が横行

店で売っているウオッカは、蒸留酒ではなく工業用アルコールをブレンドしたものがほとんどです。しかも同じラベルでビンに入っていても、質の悪いアルコールで作った自家製密造酒が横行しています。公認印紙を貼ってあるのですが、収入印紙は本物をバザールで売っているそうで中身は粗悪品。普通の店で正常なウオッカと一緒に売っているので、飲んでみるまでわかりません。

サマゴンという名前の砂糖から作る蒸留酒があります。個人で作るのはいいのですが売るのは違法です。ソ連時代、身障者に収入を与えるため特例で製造販売を許可していました。2年ほど前までは街頭で売っていましたが、突然街頭から消えました。吟醸酒の味がしておいしいのでよく買っていたのに。販売禁止になったのでしょう、あちこち探してもありません。ロシア人は自家用に作るので、個人的に分けてもらうしかないです。

 

4.電球爆弾

アパートに帰ってきて電気のスイッチを押したら、ボンと音がして何か下に落ちました。電球のねじ込む部分の線がショートし、ガラスが割れて落ちたのです。これは何回かありました。最近は中国製蛍光電球(らせん状に丸い型)を使っているので爆発はありません。

 

5.おからの保冷剤

豆腐のおからを冷凍して保冷剤にしたら、なかなか優れ物です。夏の配達に保冷剤が欲しいとあちこち探しましたがありません。ふと、何年か前にお客さんがおからを冷凍しておくと話していたのを思い出しました。それで、冷凍して保冷剤にしました。

水と違って溶けてもぐちゃっとならないし、形を色々変えられて便利です。買う必要なし、古くなれば交換、廃物利用になって一石三丁。

 

6.中国のゴミ箱か

中国にある外国企業の工場や自国会社の電化製品などが陸路を通って大量に流れてきます。しかし、製品の質は良くありません。年式落ち、在庫、検査落ちなどが持ち込まれています。中央アジアは在庫処分地かゴミ箱扱いです。キルギスには工業製品の会社がないので不良品でも買うしかありません。

チャッカマンは2日で壊れ、電気ポットは分解してしまう、と言った調子でした。最近はだんだん良くなり、ゴム手は長持ち、液晶テレビ、DVDデッキは使えます。

 

6-2.拡大する郊外大型バザール

市の北部郊外にドルドイと言う大型バザールがあります。衣料品から家庭用品、電気製品など多品種の商品を安価で売っているので、安いものを求めて1時間くらいバスに乗って買いに行きます。

しばらく行かないと新しい販売区域ができています。どこも貨車のコンテナーを利用した店舗で売っていて、売り場番号をメモしていないと同じ場所には戻れません。それほど広いのです。中央アジアで一番大きい規模とかで、中国から大型トラックで大量に商品が運ばれています。

 

7.授業は生徒が移動

第一学校では授業毎に生徒が移動します。日本語教室で待っていると生徒がやってくるわけです。しかし、授業と授業の間が5分なので、生徒は移動に忙しいです。授業以外で生徒はどこにいるかというと、学年の教室があってそこにいます。

生徒の成績は5段階評価、学期ごとに生徒の手帳に記入します。授業後、生徒が書いている学科のノートにその日の評価を記入したりします。1クラスで生徒の数が5,6人なのでいいですが、それでも面倒です。

大学で学生が教室を移動するのは日本も同じですね。大学では毎月月例テストがあり、成績は学期ごと手帳に記入するのは生徒と同じ。卒業証書は、見開きになった厚い表紙の冊子で成績が記入してあります。

 

8.「はい」は1回だけにしろ

大学にいた頃、学生が「はい、はい、はい」と続けて返事をします。日本でも言いますが、単なる同意の「はい」と意味が違ってきます。これはロシア語の影響でした。ロシア語は同意・承諾の意味でも「ダー(はい)」を3,4回繰り返してもいいのです。

 

9.パンが美味しい

日本のパンは小麦粉を漂白しているので、小麦粉の味がしません。それでジャムやクリームなどを入れないと美味しくないのです。こちらのパンは薄い茶色、焼いた小麦粉の色です。外国人が日本のパンを見たら驚くでしょう。どうして白いんだ、と。

こちらのパンは、小麦粉の味がして美味しいのでよく食べています。丸いパン、四角いパン、もちろんリンゴやイチゴなどのジャムパンもあります。パンを始め、野菜、果物、ハムなど美味しい物を食べに来て欲しいです。

 

9-2.笑顔がない売り手

店やカフェなどどこでも売り手は笑顔なし、無表情です。最初は売りたくないのかと思いました。買っても無表情、おつりは手渡しではなくカウンターに置くだけ。日本のマニュアルを読ませてあげたい。レストランではハイアットホテルのウエイトレスだけ笑顔を見せます。

 

10.傘がない、帽子がない

雨が降っても傘をささないで歩いている人が多いです。日本と違ってあまり降らないし、降っても小雨で長くは降らない、というので持ち歩かないのでしょう。買う余裕が無いのもあるでしょうけど。それで、たまに強く降った時は、ずぶ濡れになりながら歩いています。

傘をしまう時には干さないで、たたんだままです。それで布がくっついて

すぐ悪くなります。

それと、夏の強い日差しでも帽子をかぶりません。日本人なら、病気になるぞ、と注意されるところです。「カルパック」という民族帽子があるのに、かぶらないのは何故でしょうか。来たばかりの頃、普通の帽子が売っていなくて探すのに苦労しました。

 

11.キルギスは夫婦別姓

キルギスでは、結婚しても夫の姓になるかは選択できる夫婦別姓の制度です。夫の姓になる人がほとんどのようですが、最近は別姓の人も多いとか。別姓でも子供の姓は父親の姓になります。

 

11-1.結婚式は交通事故の元

アメリカ式、ロシア式でしょう、結婚して登録署名を済ますと新郎新婦を乗せた車が町へ繰り出します。飾りを付けた仲間の車が隋送してクラクションを鳴らしながら走ります。しかしスピード違反や信号無視をするので、一般の車と事故を起こした現場をよく見ます。車が少なかった昔と違い、今では危ない行為です。

新郎新婦用の車は、アメリカ製の長ロングボディーの車が使われています。

 

11-2.蒙古班

実際に見たことは無いですが、キルギス人の乳児にも蒙古班があるそうです。モンゴル系の遺伝子があるわけで、チンギスハン以後モンゴル人がウズベキスタンやロシア方面に進行していますから、その辺の関係でしょうか。

 

12.子守は男の仕事?

キルギス人でもロシア人でも若い男性が一人で乳母車を引いて散歩しているのをよく見かけます。夫婦の場合も男が引いています。日本では見ないでしょう。

そうかと思うと、小さい子が赤ちゃんをお守しているのもよく見ます。自分と同じ大きさくらいの赤ちゃんを抱っこしたりしています。感心しますが危なくないの?

 

13.ドルが消えた

10年以上前ですが、アパートからドルが消えてしまいました。消えたと言う表現がぴったりします。誰もいなかった、何も異常は無かったのに、1回に何千ドルが消えたのです。当時、銀行は毎年倒産するところがあって危なかったので、現金でアパートに置いてありました。寝る前に確認して、朝にはなくなっている、ということが何回かあって、合計一万ドル以上が消えました。それも子供の誕生日に、です。

全く訳がわからずショックでしたが最近になって思うに、あれは運命の神様が一時預かりしてくれたのではないか、ということ。金を持っていれば使ってしまう私の性格を知っていて預かった。そして、近年になって豆腐、納豆などの注文が増え、預かり金を還元しているのです。

神様の配慮は有難いことだ、そう考えているこの頃です。

 

14.静岡のビニール袋が

だいぶ前ですが、バザールで買い物をしたらビニール袋をくれました。ふと見ると「生活倉庫」と書いてあります。静岡センター近くにあったデパートのもので、はるばるキルギスまで運ばれて来たのです。

これに限らず、時々日本の袋を見かけます。ひらがな、カタカナはどの国の文字か誰もわからなないでしょう。

 

15.引越しは10回近く

これはショックではないものの、少し関係します。

  • 最初のアパートで何千ドルか消えたので引っ越しました。
  • 引越し先で大家が泥棒をしてまた引越し。
  • 次のアパートは大家夫妻が離婚してアパートを売ることになり、2ヶ月でまた引越しに。泥棒大家と離婚大家のアパートは、ダミーラに探してもらった場所です。また頼むと良くないことになりそうなので止めました。

次は、④ちょうど三井先生が一時帰国するというので留守番を兼ねて同居しました。次のアパートを探していたら、

  • たまたま人文大学の先生から紹介があり引越し。そこは半年の約束だったので⑥次はアスカルの母親が持っているアパートに行きました。2年位してアスカルの両親が離婚、母親と娘たちが住むことになり突然の引越しになりました。当時、民間日本語学校で教えていたので、
  • 学校で探してもらい市の東端地区のアパートに引越し。1年位して、日本へアルバイトに行くためアパートを引き払い、荷物を彼女の家に頼みました。

⑧帰ってきて人文大学の教師用アパートに引越し。そこは氏原氏が入居していることになっていたのですが、大学に又貸しがばれ、移転を余儀なくされました。

次を探しているところで、

⑨たまたま今のアパートが空いていたのです。日本人教師が住んでいたのですが、一時帰国中に発病して国外には出られなくなりました。在住日本人からの情報で滑り込みセーフ、いい所が見つかりました。神様が用意してくれた気がします。

交通や生活に便利な場所なので、もう4年住んでいます。これは今までで居住の最長記録です。

 

16.逮捕者や裁判風景を放送

逮捕された人物を取調べる様子や裁判が行われている様子をテレビニュースでよく放送しています。手錠をかけての写真撮影やインタビュー、調書作成風景などです。ソ連時代からの慣習なのでしょうが、日本ではあり得ません。

 

16-1.変に長く映す

テレビニュースの記者会見では変な撮り方をしています。会見している人より取材に来ている関係者をよく撮っているのです。美人系の取材者が多く、たまに撮影している他局のカメラマンを撮ったりします。しかも時間が変に長い。

ロシアのニュースもそうなので、ソ連時代に教えられてそうなったのでしょう。時間が余ったからと思ってしまいます。ニュースの違和感は未だに消えません。

 

17.キルギスにあって日本にないもの

日本にあってキルギスにないものはたくさんありますが、キルギスにあって日本にないものは。

1.トロリーバス(バスの天井に架線を付けた型式の電車)

2.マルシルートカ(乗合の路線マイクロバス)。バス停以外でも停車

3.バザール         4.ボズイ(移動式テント)

5.プレハブのキオスク

6.カイマック(ロシア語はスメタナ)、(サワークリーム)

7.セミチカ(ひまわりの種を炒った物。ペットではなく人が食べます。)

8.密造酒(ウオッカ等)、密造薬    9.氷河を抱く高山

10.東西180kmの湖や標高3000mにある湖

11.交通警察(賄賂徴収)

12.市内のアパートに熱水を送る熱供給センター

13.路上でタバコ一本、ガム1個売り

14.路上で木樽に入れた飲料水のコップ売り(ショロ社)

15.料金メーターがない個人タクシー

16.石炭で焼いて売る串焼き肉

17.美味しい生ハム、乳製品、釜焼き丸パン

18.通常湿度50%前後の気候

19.10カ国以上の人種が居住する町(キルギス、ロシア、カザフ、ウズベク、

トルコ、中国、韓国、ドゥンガン、ウイグル、タジク、パキスタン等)

20.国内ニュースでも2カ国語(キルギス語版、ロシア語)のニュース。

21.いつも口パクで歌う歌手

22.冷たいのを飲んでも腹を下さない牛乳

23.音程がずれている国立オーケストラ

(2015年2月、12~追加)

 

18.アパートは北向きが良か

ビシケク市は130年ほど前、帝政ロシア時代に都市計画決定されました。公共施設、アパートなど実際の建設は1950年代になってからです。設計は白夜の都市モスクワで行ったので、何千キロも離れた暑い国の様子はわからなかったのでしょう。アパートの向きは東向き、西向きなど様々。北向きもあります。土地は十分にあるのに、南向きではなくわざわざ西向きにして西日が当たるようにしてあるのは何とも不便です。今でも新しく建設するアパートを西向きにしているのを見かけますが理解できません。

19.頭上注意

これはショックな出来事です。大きな交差点で人を待っていた時、広い道をトロリーバスが通り天井の架線が外れて止まりました。その振動が道の向こうから電線に伝わり私が立っている方にやってきて、頭上の街路灯がギシギシと揺れました。何となく危険を感じて数歩移動した途端、つい数秒前に私が立っていた場所に街路灯の大きなランプとカバーがドスンと落ちました。あの場所に立っていたらどうなったことか。

他に人がいなかったのは幸いでした。帰りにカフェでウオッカを飲んで厄払いしました。

 

20.新築アパートは自分で内装を

最近まで日本語の勉強に来ていた生徒(主婦)がアパートを買いました。それで毎日修理に行っていると言います。新築なのになぜ、と思ったら、内装は自分たちで行うというのです。設備のあるアパートは高いので、内装も何もないアパートを買って、電気、ガス、水道も自分たちで設置すると聞いてびっくり。これが一般的な売買のようで、今まで知りませんでした。

生徒が買ったのは12階のアパート、しかもまだエレベーターが動かず毎日階段を上がっているそうです。

 

21.豆腐、納豆作りは「石の上にも4年半」

私の豆腐、納豆作りについて書きます。

キルギスに来た当初から日本の食べ物が欲しくなって何かを作ろうと考えました。今のように日本のカフェはなかったですから。それで豆腐、納豆がいい、と決めました。

まず、作る方法と材料、道具探しから始めてバザールをあちこちしました。当時働いていた人文大学の春休み、夏休みなど長期の休みだけに作ったので、豆腐が固まるまで、納豆が糸を引くまで4年以上かかってしまい、途中何度もやめようと思いました。

できなかった最大の原因は大豆です。バザールで一般的に大豆として売っているのは大豆と何かの掛け合わせなので大豆成分が少なく、韓国大豆という種類でないとだめだったのです。

失敗の原因は他にもいろいろあって、豆腐では大豆の粉砕が弱かったり、納豆では大豆が乾燥しすぎたりでした。豆腐が固まった時と納豆が糸を引いた時は本当に喜びました。

その後、これは売れるかな、と思い、知り合いに声をかけ売り始めてからもう10年です。初期の製品はあまり良いものではなかったものの、珍しさから買ってもらえました。といっても日本人が少なかったので(当時は20名以内)、注文は細々でした。今は150人くらいになって、日本食カフェができたりしているので注文は多くなりました。

常に作り方や容器を改良し、より良いものをと心がけています。カザフやロシアにも売っている人はいないようで、お土産に買っていく人もいます。試行錯誤で悩みましたが途中で止めなくて良かったです。

 

22.エンジンを止めろ

ガソリンスタンドで燃料を入れる際でもエンジンを止めません。爆発でもしないかと心配になりますが、事故はないようです。それより水が混入したガソリンを売っている方が困るかも。タンクの防水が悪く水が混ざっているガソリンを売っていたりします。今はないでしょうが。(2014年3月追加)

 

23.薬を量り売り

薬局に風邪薬の錠剤を買いに行ったらいくつ買うかと聞きます。いくつだって?と聞き返したら薬が入った新しいビンを見せて錠剤をいくつ買うのかと言います。それでビンを開けてから袋に分けてもらいました。何回か買っている薬局ですがこういう売り方は知りませんでした。タバコを一本ずつ売っているのは知っているけど何年いても驚くことは出てくるものです。(2014年10月追加)

 

(カルチャーショックⅣ に続く) 大滝

カルチャーショック 第 1部 4

キルギスのカルチャーショック Ⅳ     2015年2月

Ⅰ~Ⅲを書いてから時が過ぎました。今月、お客様と豆腐、納豆の話をしていたらまた書く気になったので続編を執筆します。新しいショックやまだ書いていなかったものなどいろいろです。

 

1.ムーシ・ザ・チャス

ビシケクに「ムーシ・ザ・チャス」という会社があります。ロシア語ですが直訳すると「1時間だけの主人」となります。最初は主婦向けのホスト派遣会社かと勘違いしました。派遣は派遣でも実は家庭の電気、水道などを修理する職人を派遣する会社です。

修理屋を頼むと金がかかるから一般には家庭の主人があちこち修理するので、修理職人は「1時間の主人」となります。

 

2.入院は大変

入院患者の食事は家族や親戚が作って持っていきます。それと患者の付き添いは終日必要です。これは交代ですることになります。

それに担当の医者や看護婦には心づけを持っていかないと禄に看てくれません。医者は給料が安いので患者からの収入が頼りなのです。最近は患者にうまいことを言って高い薬や用品を売っている医者がほとんどのようで医は算術を実践しているわけです。手術しても効果はないのにとにかく手術、手術だと言い張り自分の収入を増やそうとする。騙される患者はいい迷惑です

 

3.お産は大変

出産前の検診時から医者に心づけを渡さないとよく看てくれません。それに出産して3日もすると退院だ、と追い出されます。医者は新しい患者が来れば実入りがあるのでどんどん入れようとするからです。それに何かと理由をつけて帝王切開を勧めます。これも自分の収入のためです。妊娠後9ヶ月で産めと医者が言っているとか。生まれないのはおかしいから手術だという言い分です。ひどいものです。

帝王切開後1週間で退院させられたキルギス人を知っています。キルギスで医は算術、医者は収入のことしか考えていません。

キルギス女性は昔の日本人のように出産の直前まで働きます。大きなお腹をしてふうふうしながら大学で働いている人を何人も見ました。

4.ぎっくり腰は大変

もう何年も前ですが重症のぎっくり腰になりました。民間の日本語学校で教えていた時でその日はどうも背中が痛かった。生徒の親に塗り薬を教えてもらったのですが買わずに帰って来ました。

次の日の朝、起きようとしたら体が動かない。金縛りにあったようにどうしてもだめなので、ベッドを転がり床に足を着いて降りました。しかし起き上がれない。這ってトイレに、しかし立ち上がるにも大変。ドアに手をかけてみても力が入らない。しかも何かの拍子に背中を電気が走って、あまりの痛さにしばらく動けない。

当然、学校へは休みの電話をしたものの何があったのか訳がわからず、当惑したまま這ってベッドに戻りました。近くに知合いのキルギス人がいたので電話して塗り薬を買ってきてもらいました。

ちょうど豆腐のお客さんにJICA協力隊員の鍼灸師がいたので電話したら来てくれるといいます。診断はぎっくり腰、しかし原因がわからない。そんなに力を入れた覚えはないし・・。ふと思い出したのが何日か前、公園の腕相撲の機械でよせばいいのに力試しをしたこと。背中の筋が痛んだ覚えがありました。

それから1週間、ひたすらベッドに寝ていました。床を這うのと背中に電気が走る苦しみはもう御免です。協力隊員に教えてもらったストレッチなどをいまだにやっています。私は背中の筋肉が弱いのです。

 

5.風邪薬も一大事件

風邪を引いて日本の薬を飲んでいたのですが1ヶ月すっきりしません。知合いのキルギス人に町の薬局で売っている風邪薬を買ってきてもらい飲んだら1発で治りました。念のためともう1回飲んだら目眩がして、1,2日経って目眩が治まるまで寝ていました。

薬局で売っている薬は日本人には強過ぎです。というより日本の薬が弱すぎるのかもしれません。薬害を心配して弱くしてあるのでしょう。

何年かして、また風邪が治まらないので頼んで買ってきてもらった薬を飲んだらまた副作用が。今度の目眩は強烈で3日ほど外出できず寝ていました。日本人には強い薬を買うなと言ってあるのにまた強いのを買って来た。イギリス製とか書いてあるものの、薬はバザールの路上で密造薬を売っているほどなので薬局の薬も安心できません。風邪で寝ているより副作用で寝ている時間の方が長くなります。

余談ですが、薬局や路上で注射器と液を買って病院で注射だけしてもらう。または注射できる人に頼んでやってもらうなど行われています。この方が安いからです。

6.ロシア語それにキルギス語も・・

キルギスに来て大学で日本語を教えているとき、学生がキルギス語と日本語は文法が同じですと言いました。そうか、じゃあ勉強してみるかと思いキルギス人の日本語教師に頼んで始めました。しかし文法が同じというのは大きな間違いだとすぐ気がつきました。語順が同じだけであって、名詞の複数形はあるし動詞の人称変化はあるし文法は全く別。学生の言葉に乗ったのは間違いだったと反省したものの後の祭りです。キルギス語で「同じ」と「似ている」は同じ言葉です。学生は「文法が似ている」というところを「同じ」と言ってしまったのでしょう。どちらを言われても勉強したとは思いますが。

キルギス語・日本語の教科書がないので小学校1年生の教科書で始めました。日本にいるときは日本語だけで生活していたので言葉の学習能力は錆付いていました。覚えられなくて頭の中が真っ白になり夢に見たりもしました。

ロシア語で説明してある教科書を使うようになるとまた大変。キルギス語を露和辞典から調べることになりました。ロシア語、キルギス語の両方を覚えることになってしまったのです。キルギスでは生徒のときから両方を勉強していますが私には無理。やはり何度も止めようと思いながら続けたのは何だったのでしょうか。

今では勉強して良かったと思っています。反面、英語は頭の隅に追いやられてしまい、英語で聞かれてロシア語で答えたり、キルギス語でいいですかと相手に聞いたりしています。とはいえキルギス語で買い物するとキルギス人は喜びますね。

 

7.逆転の発想が必要

もう買い換えたらと言われそうな7年前に新古品で買ったノートパソコン(東芝製)を使っていて、以前はよくプログラムが止まりました。最初は不安定な電圧のせいだと思い整流器を買ったりしました。しかしまた止まったので内部の熱が原因と考え小型ファンを買って送風しました。一時は良かったもののまた停止。

ふと思いついて送風の向きを逆にしました。パソコンに向けていたのを排熱口から外に向けたのです。これは大成功。止まらなくなりました。

他にインクジェットプリンターを使っていますがカートリッジは交換が必要です。

日本で買ったり送ってもらったりしたもののいつまでもこうではいけないと考えていました。こんな時、中国ショップでキャノンの詰め替えインクを見つけました。試しに買って入れようとしたらカートリッジに注入口がない。せっかく買ったのにと思いつつ、裏返しにしてインクが出るスポンジから試しに注入して印刷してみたらうまくできました。これも大成功。逆転の発想でうまくできた例です。

8.キルギス15年記念に禁断の食べ物を

昨年の初めにふと考えたら1999年2月にキルギスに来てから丸15年経とうとしていました。それで何か記念のことをと考え、それまでキルギスでは一度も食べたことがなかった生卵を食べることにしました。最近は卵を洗って売っていますが以前は産みたてを汚れたまま売っているのが多く、とても生で食べる気がしなかったのです。少し前から何人かの日本人から生で食べているとちらほら聞いていたのも決心するきっかけになりました。

自家製として売っている新しい卵の殻を熱湯で洗い念には念を入れ、いざ禁断の食べ物に挑戦。熱いご飯にかけて食べました。腹は痛くならなかったのでそれ以来よく食べています。

日本では一般的な食事で生卵を食べますが世界的には特別な食べ方と思います。キルギスではオペラ歌手が声の調整用に食べる程度のようです。

9.サマゴンに再会

去年、知合いのキルギス人にサマゴンを造っているロシア人を紹介してもらい飲むことができました。何年も探していたので美味しかった。

 

10.日本食にも必ずパンを食べる

大学で教えていると学生をアパートに呼んで日本食をご馳走したりします。しかしどうしてもパンを食べたくなるようで、寿司を食べてもカレーを食べても自分たちで買って来たパンを食べます。

食習慣は変えられないようで日本人からみるとえー!となります。パンを食べないと食べた気がしないのでしょう。とはいえ、パンは日本よりずっと美味しいのに米でないと食べた気がしないのは日本人の食習慣といえますが。

11.キルギスは呪術の国か

知合いのキルギス人は病気になった人の話を聞くと悪い人がその人をじっと見たからだと言います。自分が病むと誰かが見たからだとも。みんながこう言うか知りませんが一般的な言い方に思えます。

 

12.キルギス式マッサージ

マッサージなるものを2回、別の人にやってもらったことがあります。どちらも

ぎゅうぎゅう力任せに体を揉んで筋をグリグリいわせます。もう少し別のやり方があるだろうに、と言いたくなります。

去年の秋から大学の職員相手に週1回ほど指圧をしています。指圧を日本式マッサージと説明してもマッサージと聞くとグリグリやるイメージがあるのでしょう。知らない人に指圧しますかと聞くと、えー!という顔をします。

 

13.町のエチケット

ソ連時代からの町のエチケットで非常にいいことがあります。タバコを建物の中で吸わない。バスでお年寄りや妊婦に席を譲る、などです。

日本ではタバコを職場で吸うなと最近うるさくなったでしょうが、吸わない人にとっては迷惑千万な状況でした。しかし、バスの運転手は今でも運転中に吸っているし携帯電話をかけて運転してます。これはどういうことか。労働者の権利というやつですか。

 

14.町の交通量

ビシケクに来て何年かしてから大通りの舗装工事がありました。それまでは穴だらけでしたが、交通量が少なく道を渡る時左右を見なくてもいいくらいでしたから影響は少なかったです。それに車は古く、ソ連時代の「ラダ」、「ニバ」製中古車、ドイツのVW、ベンツ、日本のニッサン、マツダの中古車も走っていました。

交通量は今では10倍くらいになったし車の年式が新しくなりました。ビシケクの中古車は地方の町や村に売られていったのでしょう。車の量が増えたので事故や工事があるとすぐ渋滞に。以前は多少工事していても渋滞にならないほど車は少なかったです。今いる人は昔からと思うでしょうがこの7,8年で随分増えました。

 

15.町のトイレ考

公衆トイレを始め大学のもそうですが仕切りが低く膝の高さしかありません。

隣に座った人と話しながら用が足せます。女性用トイレも同じように仕切ってあるそうです。

ある公衆トイレでは便が床中に高く積もっているトイレがあって入る気にはなりませんでした。もちろん男性用小トイレには仕切りはありません。シドニーの高級デパートの小便器は円形に向かい合って用を足していたのを思い出しました。

 

16.町の生活は何語で

ソ連時代はロシア語主体だったので、独立以前はキルギス語で勉強する学校はビシケク市内に1校しかなかったそうです。今はキルギス語主体ですが当時の教育を受けた親はキルギス語が苦手、ニュースや番組はロシア語で見ます。その子供たちはロシア語主体が多く、世代が代わって状況が変わるには時間がかかります。

もっともこの話は首都ビシケクでのことで、地方ではキルギス語主体です。村から働きに来たバス運転手にロシア語で停車を伝えても「はー?」となります。

アパート向かいにある店でのこと。ロシア語で買い物をしたら、どうしてキルギス語ではないのかと注意されました。そうか、と思いキルギス語に切り替えましたが、外国人でキルギス語を話す人はまずいないと言いたい。キルギス語はマイナーだから勉強する人は少ないでしょうに。

公共放送は同じニュースをキルギス語、ロシア語と2回放送しています。取材を受けた人で両方話せる人は多くないので、その場合は放送で翻訳音声をかぶせています。

 

17.キルギス人は算数が苦手

人文大にいた頃、旅行の費用を幾通りか比較しようと2人の学生と計算しました。学生2人がそれは違う、これが正しいと言い合っています。何かと思ったら1日の総計を出すのにどれを足した、まだ足してないと言い合っているのです。そんな事は表を作って項目を書いていけばすむ事で、日本では小学生か中学生の授業です。

別の大学でのことです。日本語の授業は何曜日の何時間目か教えて欲しいと言ったらメモをくれました。しかし、見ても何年生がいつなのかわかりません。これも表を作ればわかり易いことなのにと教えてやりました。大学を卒業した人間2人がいたのにわからないメモしかくれませんでした。キルギス人は表を作らないようです。

 

18.家造りは苦手

遊牧時代のイメージがあるのでしょうキルギス人が造る家のトイレは外です。日本も昔はそうでしたけど。一方、客用のホールはやたら広く豪華に造ります。ところが台所は貧弱。これはキルギス人が経営するカフェやレストランも同じで、客席は多いのに厨房に入ると驚くほど設備がありません。さすがに中国、韓国の店では揃っています。

もう一つ、大きな家なのにどうして風呂とトイレを一つに造るのでしょう。それに2階、3階に客用の寝室があるのに洗面台は1階に1箇所だけです。キルギス人の家に行くと「うーん、不便だな」と思ってしまいます。

 

19.冬の朝の珍入者

何年か前の冬、朝5時頃1階インターフォンから呼び出し音が鳴りました。その時間はいつも起きてますが通常呼び出しには出ません。しかし、その時は何となく出たら女性の声で「隣に来たので開けてくれ」と言います。こんな早く泥棒に来る人はいないと思い1階入り口を開けました。

これで終わりと思ったら次にドアのブザーが鳴りました。ドアの覗き穴から見ると若い女性2人です。返事をすると「隣に来たが寝ていて開かないので休ませてくれ」とのこと。部屋に入れるのはちょっと考えましたが寒いことだし女性ならいいかとドアを開けました。

キルギス人2人でさっきまで飲んでいたらしい様子、酔っています。隣のブザーを鳴らしますが誰も出ません。その内にビールはないか、ウオッカはないかと言い出す始末。ないというと、どうしてないとか言います。人の部屋にきて何を言うかと頭に来たので、ここは私の部屋だと言い返しました。

だんだん疲れが出たらしく休みたいというので2人を私のベッドに寝かせました。

台所で豆腐を作っていると起きだしてきて、やがて隣が開いたのでそちらに行かせました。ドアを開けたばかりに珍入者の侵入でしたが刺激になって少し面白かった。

 

20.乗り合いミニバス

中国から7,8年前に寄贈された大型バスはいつの間にか消えていました。大型バスはバザールや配達に便利な路線があり利用していたのに。聞いた話では故障して部品がないので駐車場に眠っているようです。そういえば床が錆びて穴が空いていたり窓が壊れたりとか不備が多かったです。中国は格好だけで使い古しのバスを寄贈しました。

交通は市内を網の目のように走るミニバス路線があります。ミニバスは便利ですが路線番号を覚えていないとどこに行くかわかりません。行く場所を表示してあっても順番が違う。とんでもなく遠回りということになります。この表示は何とかしてほしい。

ミニバスは車内が込むのでスリが多いです。スリはペアで乗って一人が降りる道を邪魔して後ろから盗るのです。被害をいろいろ聞きます。

 

21.バザールは気をつけて 1

市内のオシュバザールで2回閉じ込められたことがあります。買い物をして帰ろうとしたら門が閉まっています。別の所も同じで閉まっています。来た時に売っている店が少ないし売り手たちが集会を開いていていつもと違うとは思いました。原因はバザールの店賃値上げに対して売り手が反対行動を取り、経営者側は門を閉めたわけです。

門をよじ登って出る方法もありますが落ちたら大変。しばらく待つと門が開いたので良かったです。こんなことがもう1回ありました。

22.バザールは気をつけて 2

やはりオシュバザールですがスリの未遂に遭いました。買い物をしていて売り手がどこから来たのかと聞くので日本だと答えたら、その売り手が大げさに驚いて日本からだってと大きな声を出したのです。それを近くにいたスリが聞いていたのでしょう。私が歩き出したら道を塞ぐように邪魔する人がいます。一度立ち止ってまた歩き出すと邪魔します。その時、肩に掛けていたウエストバックに何かを感じたのでふっと後ろを振り返りました。すぐ後ろにイラン系の男が立っていて困ったような顔をしました。私はその場を立ち去りましたが、その日の財布には100ドル札が入っていて盗られたら被害大でした。

別の日にまた同じ売り手のところに行ったら、あの日不審な男2人が私の後に歩いて行ったといいます。原因はアンタが大きな声を出したからだと言いたかった。

 

22.図書室は気をつけて

人文大にいた時です。大学の図書室で本を読んでいて、図書室の係員がドアの鍵を閉めて外に出て行く音がしました。昼時だったので食事だと思い待っていましたがなかなか帰ってきません。もしかしたらこのまま来ないのかと心配になり自分で出る方法を考えました。窓を開けて外に出るか、しかし3階で足場もない。外で掃除をする人の気配があったので、もう仕方なくドアを叩いて開けるように頼みました。鍵を持ってきて開けてくれた時はほっとしました。

後で聞くと他の人も閉じ込められたことがあったとか。図書室に誰もいないことを確認してから閉めてもらいたい。自分の都合でしか仕事していない係員でした。

 

 

(カルチャーショック Ⅴに続く)

 

 

カルチャーショック 第 1部 5

キルギスのカルチャーショック Ⅴ   2015年2月

このシリーズはⅢで終わると思っていたら続きを書く気になったので増えました。今まで同様、頭に浮かんだ内容を順に書いているので起こった時期も内容もはばらばらです。

 

1.ドルはポケットに入れて

もう6,7年前、日本の会社の仕事で中古車を売ったことがあります。大学の教え子と一緒に売りましたがこの教え子はかばんを持たないのです。書類など運ぶのに危ないのでかばんを買って渡したのに使わないで手で持って行きます。

ある時、売れた車の代金5000ドルを郊外の自宅からズボンの後ろポケットに入れて乗り合いバスで持ってきました。これには怒るというより呆れました。夏だったのでドルが温まって汗で湿っていました。

ポケットのボタンを閉めたから大丈夫と涼しい顔でしたが、以前私が預けた金をバスの中で盗られたとしょんぼりしていたのは誰だったのか。この彼に限らずキルギス人はトラブルがあっても学習能力がないと常々感じています。

 

2.女性で「おう!」はないだろう

キルギス人女性で返事をするとき「おう」と言うのをよく聞きます。最初はちょっと驚いてこちらが「おう、なんと!」と思いましたが、あちこちで聞くので慣れてきました。静岡でも聞いた覚えがあるので静岡の女性はキルギス人?

 

3.2010年クーデターでは私も危なかった

2010年4月のクーデターでは旧大統領側がデモ隊に発砲しました。その前、2005年のクーデターは無血だったので他の人も私もまさか発砲するとは思いませんでした。

その日はJICA事務所に配達に行く日でした。アパートは大統領府に近いので、パンパンという音がして黒煙が上がっています。最初は花火かと思ったのですがそうではないとだんだんわかりました。

近くにある機動隊学校から200~300人の隊員が終結して大統領府に向かうなど朝から騒然としていました。配達は大統領府から遠い道を通ることにして歴史博物館東側を通りました。デモ隊や機動隊が移動していて空気がピンと張った異様な雰囲気です。チュイ通りに入る前にお客様から携帯に電話が入り、この騒ぎで事務所は閉めるのでもう配達に来なくてもいいと言います。それで引き返すことにしました。

その時は、大統領府の屋上に狙撃手がいて近くにいる人を無差別に撃っているとは考えもしませんでした。新聞を買っていた人、通勤途中の人などデモに関係ない人が撃たれのです。

アパートに近くなるとまた機動隊の部隊に遭遇、その横を通って帰りました。後で狙撃手の発砲があったことを聞いて、もし歴史博物館の100メートル大統領府寄りを歩いたら撃たれたかもしれないとぞっとしました。実際にその辺りで撃たれた人がいるわけですから。

追放されたバキエフ大統領側の発砲で500人以上が死傷しました。その中に私が入ったかも、などと知り合いに話しました。

 

4.ドアの鍵が折れた

2年ほど前のこと、アパートに帰ってきてドアを開けようと鍵を差し込んで回したら真っ二つに折れました。前からうまく差し込めず何回もガチャガチャやっていたので金属疲労です。これには困りました。スペアキーは部屋だし入れないと何もできない。知り合いに携帯電話をかけたらセンターの地下街で合鍵を作ればいいと言います。折れて鍵穴に残った鍵は取り出せたので幸いでした。

スペアキーを作って来たものの開くか心配でしたが開いた時はほっとしました。開かなければドアを取りはずすとか大仕事です。それ以来いつもスペアキーは持つことにしました。

 

5.偽タクシーが多くなった

タクシー会社が増え、もう20社近くあるかもしれません。みんな車の屋根に会社の表示灯を着けていますが会社の古い表示灯はバザールで売っているとか。もちろん実在する会社の表示灯ですが割れてテープを貼ったりしています。

バザールで買った表示灯を着けて営業しているタクシーがいます。しかし、表示灯だけの偽タクシーにはメーターがありません。行く先を言えばいくらと答えますが高い。会社名なしで「タクシー」とだけ表示してある個人タクシーと同じ料金です。会社の名前があればお客が多くなるという訳でしょうか。この偽タクシーは結構増えました。

 

6.欲しいもの

手に入らない物。以前は圧力鍋でした。バザールや店で探したり聞いたりしてもなし。見つけたのは野外のガレージセールでソ連時代の鍋。これで大豆を蒸して納豆を仕込みました。しかし圧力がかかりにくく時間がかかるし扱いが難しい。それで日本に行ったとき買ってきて今も使っています。

今では圧力鍋を中国や韓国の店で売っています。中国製は安いですが心配、韓国製はかなり高いので買わずじまいです。

他に欲しい物は自動点火のガス台で今でも売っていません。みんなマッチか乾電池式の点火器を使っていますが私は中国製チャッカマンです。以前は程度の悪いチャッカマンしか売ってなくて2日とか数日で壊れマッチに切り替えていました。  どうして自動点火がないのか。たぶん日本の会社のガス台は売ってないからでしょう。あと味醂も売っていません。味醂は日本だけなんですか。中国、韓国の食料品部門にもありません。それとキッチンタイマーもないので日本から送ってもらってます。こちらで時間を計って作る料理はないということです。

 

7.中国うどんのラグマン

手打ちの太い麺を使ったラグマンという料理があります。手打ちというか手で糸のように伸ばして作るので麺は太くなったり細くなったりしています。元は中国ウイグル料理らしいですがもう民族料理になっていて市内のどのカフェでもメニューになっています。

ある日本人にここが美味いと教えられて郊外にあるウイグル系バザールにある店で食べてみました。何と・・麺が柔らかく美味い。今まで食べていたラグマンは何だったのかと目からうろこの思いでした。市内のラグマンは作り置きの麺でバザールのは自家製、しかも毎日たくさん売れるので茹でたばかりで新しいのです。

バザール内には店が10軒以上あるので何ヶ月かかけて全部の店で食べました。やはり味はいろいろ、美味い不味いがあります。バザール入り口の大きい店は不味いし高い、並びの2軒目は味が濃く辛過ぎ、3軒目~5軒目が気に入りました。お客は正直でこの店はいつも込んでます。

時々無性に食べたくなって行くのですが問題は平皿で出てくるので汁が飛んで着ている物に付いてしまうこと。麺は手で撚って伸ばして作り、途中で切らないので一本が何メートルかにつながっています。食べる時は噛み切るしかないのでそのせいもあるでしょう。箸でもフォークで食べても同じ。どんぶりかエプロンを持参した方が良さそうです。

 

8.おつりは手に渡せ

バザールは売り場が狭いのでおつりは手で渡しますが、店ではどこでもおつりは台か机の上に置いています。これでは受け取っていいのかな、などと考えてしまいます。代金を受け取る時は手なのでこの習慣はどこからきたのでしょう。日本の習慣を教えてあげたい。

 

9.ウオッカの一気飲み

慣れとは恐ろしいもので、あんなに度数が強くて飲めなかったウオッカをコップ一杯200ccくらい一気飲みできるようになりました。パーティーなどでの乾杯は小グラスですが一気飲みはロシア人がよくやります。ただし、ロシア人はそれからまた飲みます。私は限界なので終わり。

ロシア人の平均寿命は50歳代と聞いたことがあります。原因はウオッカかもしれません。

 

9.DVDディスク

路上で映画、ドラマなどが入ったDVDディスクを売っています。全部違法コピーのディスクで今は1枚70円くらい。昔は300円くらいだったので安くなりました。安くなったので買っていくうちに増えて箱一杯です。

日本の映画も出ていて北野たけし監督作品や勝新太郎の座頭市などもあります。

 

10.列車は日に3便

市内にある鉄道駅は一つ、ここからロシアへ毎日3便くらい出ています。電化されていないのでディーゼル列車で単線、内部は空調設備がないとか。商売などで大きな荷物を持った人たちが乗っていきます。東のイシククリ湖に向けての便がありますがまだ乗ったことはないです。

 

11.店の自動ドアは

キルギスに来た当初は、個人商店以外の大きな店は「ツム」というデパートしかありませんでした。それも売り場は2階までです。その内にトルコ系のベータストアーが開店し、初めて入り口に自動ドアが登場して「おー」と驚きました。ツムは回転ドアで自動ドアが付いたのはベータができて何年かしてからです。今ではデパートが多くなりどこも自動ドアなので見慣れてしまいました。

 

12.集中暖房

郊外にある熱供給センター(通称「テツ」)から送られる熱水を利用した集中暖房は暖かくて便利です。ただし熱水供給はアパートなどの集合住宅だけなので、一戸建ては電気や石炭を使って自分で供給しないといけません。

集中暖房の欠点は寒くなり始め、暖かくなり始めに供給が1ヶ月ずつずれるということ。10月に建物が冷えてきても雪が降って本格的に寒くならないと入らないし、3月に少し暖かくなると切れて建物が温まるまでの1ヶ月は冷え冷えします。経費節減でしょうが毎年困ってます。

熱水は暖房とは別に風呂や台所でも使います。これが5月の1ヶ月間供給停止します。点検・修理と言いますがこれも経費節減でしょう。モスクワでもこの時期停止するらしいですが白夜の都市で5月はまだ暑くない。中央アジアはもう30度近くになります。ソ連時代の画一基準は訂正してほしいものです。

 

13.中国は嫌い

もう10年以上前から中国人が経営する店、バザールやレストランができています。次にトルコ系の店やレストランができ、最近は韓国系が増えています。

ところで、キルギス人は中国人が嫌い。チンギスハンの時代にキルギスの村々を襲いながらウズベク方面に進出した歴史があるからです。それで2回の大統領追放クーデターの際に中国人経営の店とホテルが焼き討ちに遭いました。略奪は中国系以外にもトルコ系やキルギス系の店が被害に遭ってますから中国系だけを狙ったわけではありませんが。

 

14.信号から音声案内が

アパート近くのジベックジョルという大通りの交差点に「横断は終了です」という音声案内が付きました。こんなのが付いたのかと日本の交差点を思い出しました。しかし終了案内のタイミングが少し早い気がしますけど。もう1箇所マナス・トクトグラ通りの交差点にあるのを知っています。

 

15. 朝4時起きが普通に

1年ほど前から豆腐、納豆の注文がだいぶ増えました。それはいいことですが豆腐は1回に2個しかできないので作るのが間に合わない。それで朝4時起きで6時から作ることになりました。

最初は目覚ましをかけましたがだんだん習慣的になり、歳のせいもあってもう不要になってます。早起きは3文の得、色々用事もできます。ただ昼過ぎ眠くなるので昼寝が必要です。

 

16. 電気ポットを壊したのは誰だ

去年、中国製電気ポットを空焚きしてしまいました。いつも注意していたんですがなぜかやってしまった。その前、ベッドで背伸びしたら水を入れて枕元にあったポットの水を浴びてしまいました。これは何かの警告だったか?

ふと考えて、いつも枕元に置いてあったので、こんな所に置くな、と運命の神様が壊したのか。それともプラスチック製だったので質が悪いからという理由かも。

枕元に置くなという警告と考えて新しく買ったポットは台所にあります。

 

17.牛乳

日本で牛乳を飲むと冷たいのはもちろん温めて飲んでも腹がグルグル鳴って腹を下したりします。こちらでは冷たいのを飲んでも何も影響なし。牛乳の質が違うのかそれとも製造方法かと考えていますがわかりません。

乳製品はチーズ、プレーンヨーグルト、サワークリームなど多種類あってどれも美味しいです。日本ではまだ乳製品の文化が浅いので味はまだまだです。

 

18.2000円札は消えていた

これはキルギスではなく日本でのショックです。何年か振りに日本へ行き、関空で電車の切符を買おうと2000円札を自動販売機に入れたら・・戻ってきました。もう一度入れても同じ。偽札でもないし、と不思議でたまりません。駅員に聞いたら現金窓口で買って欲しいと言われました。

もう自動販売機では使えなくなっていたのです。こんなに変化が早いとは、浦島太郎の気分でした。

 

19.物価は上がって

現地通貨でいうと15年前は米1キロ15ソム、砂糖8ソムでした。現在、米90ソム、砂糖55ソムです。ソムと円のレートで見ないと正確ではありませんが米は6倍、砂糖は7倍高くなりました。肉マンに似ている「サムス」は5ソムが50ソムに、ハンバーガーは8ソムが80ソム、両方とも10倍になりました。

アパート代も高くなって以前は2部屋のアパートが月50ドルでしたが今は1部屋で200ドル以上。アパートの販売額は外国人が買えるようになってから上昇の

一途、2部屋で3000ドルだったのが三万ドル以上になり10倍以上です。

 

20.レーニン像は残った

ソ連が崩壊してそれぞれの国が独立する時、各国のレーニン像が倒され壊される場面がニュースで流されました。しかしキルギスでは無傷で残っています。ビシケクの国立博物館南の中央広場にあった像は博物館のすぐ裏側に移されましたが無傷で建ってます。

キルギスではどうして?ソ連時代、キルギスは最初自治州でしたが国として独立させる際にレーニンが賛成し尽力したから独立できた、というのが理由です。キルギス民族念願の国が成立する際、レーニンが反対したらどうなっていたか。それでビシケク市内でも地方でも像は残されています。

 

21.生水でも大丈夫

海外に行ったら生水は飲むな、というのは皆知っています。しかしビシケクの水は問題なしで腹も痛くなりません。地元の人は飲んでいるので免疫があると思ってましたが試しに水道水を飲んだら特に問題なしでした。もちろんいつもは沸かしていて、たまに急いでいる時そのまま飲んでます。

 

22.紅茶きのこ飲んでます

キルギス人の家に行ったら広口ビンからカップにジュースを入れてくれました。何か上の方に丸いふわふわしたものが浮いています。何だと聞いたら「チャイニー・グリブィ」だと言います。訳せば「紅茶茸」。日本でブームになったとき言葉は聞いた事があってもどんな物かは知りませんでした。インターネットで調べたら写真が出ていてまさにそれでした。作ってみたくなって丸い円盤をはがして分けてもらいました。以来2年くらい毎日飲んでは注ぎ足しています。

しかし「紅茶きのこ」という名称が良くない。きのこではシイタケのように足があるイメージになります。シベリアあたりが発祥で欧米では市販されているとか。最初の名前が「紅茶きのこ」だったので各国で使っているのでしょう。しかし形状はクレープ、とはいえ「紅茶クレープ」ではまたイメージが違うし。頭を悩ませます。いっそ「UFO紅茶」の方がいいかも。

 

(カルチャーショック Ⅵに続く)