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キルギスのカルチャーショック 第3部7 

キルギスのカルチャーショック 第3部7     2019年6月 日配信

2019年4月~6月

キルギス20年記念の続きを少し。

1.動物の不思議な行動

①子猫が10キロ以上の旅を

知人の家に子猫が2匹もらわれてきましたが手がかかるので友達の家に頼むことにしました。行った先は車で30分ほどもかかる所でしたが何と子猫たちは歩いて戻って来たのです。行った先が嫌だったのでしょうか、途中車や野良犬の危険もあったのによく戻ったと驚いたり感心したり。

②元の家が恋しくて涙を流す犬

近所で犬が欲しいと言われ自宅の犬をあげた知人がいました。庭も広いし環境が良くなったはずなのに元の家に戻りたいと毎晩鳴いて涙も流すほどだったとか。ついに近所から返されて元気になりました。どうして狭い庭の方がいいんですかね。

③私の膝に乗って寛ぐ猫

知人の家に産まれて間もない子猫が拾われて来ました。撫でてやったらいつの間にか私の膝に乗って休むようになりました。最初はチョコンと乗っていたのに段々大きくなって私の太腿からはみ出す位になっても乗って来ます。落ちそうになると爪を立てて掴まるのでイテテ・・。

 

2.中央アジア日本語弁論大会

先日4月27日に第23回中央アジア日本語弁論大会が開催されたと聞き20年前の第3回大会を思い出しました。ちょうど私が来た年ですが大会を開催することになっているというので日本語教師が集まって打ち合わせをしました。打ち合わせ最初の話題はどうしてキルギスで大会を開催することになったのか、ということでした。どうも中央アジア大会はタシケントの大学がロシアのCIS弁論大会に対抗して第1回を実施、第2回はカザフだったので第3回がキルギスになったことがわかりました。

とにかく会場は民族大学、実施は4月下旬の土曜日と決め、会場横断幕の字は民族大学美術担当がメモ書きの日本語を見ながら拡大手書きするなどまさに手作り大会でした。当時まだ日本語教師会がなかったので大会開催を機に設立。大会前日まではポカポカ陽気で当日なんと雪が降って10cmくらい積もったのです。これはキルギスでの驚きの始まり、ショックの始まりでした。

 

3.大通りから見えるバザールは撤去された

モスソビエトと呼ばれるソビエト通りとモスクワ通り交差点に深夜営業のバザールがありました。2000年代の初めころ当事者の反対を押し切って撤去され警官隊と揉める様子がニュースで流されていました。それとミラ通りとアフンバエバ通り交差点近くにあったバザールもマナス通りとボコンバエバ通り角のミニバザールも撤去されました。大通りから見えるバザールは撤去ということでしょうか。キオスクも同様撤去され数が減りました。

(ここからはいつものシリーズです。)

4.腰痛予防

私は疲れると腰が重く感じ危険信号とわかるので休養します。ユーチューブでたまたまNHKの番組「試してガッテン」を見たら腰痛対策が出ていました。寝る前に4種類のストレッチ体操をすれば良くなる又は予防になるようです。詳しくは「試してガッテン 腰痛」を検索してご覧ください。

 

5.ロシア語のニエット

ロシア語で「いいえ」という意味で否定を表現する言葉「ニエット нет」があります。この発音は「ニエットゥ」が正しいですが「ニエッ」と語尾を「ト」それもはっきり言う例が多くなりました。テレビやビシケクの会話でもよく聞きます。モスクワ市民の間で使用が増えてきたからでしょうか。首都から地方に広がるのはどこの国でも同じですね。それとモスクワの「イーイー弁」というのがあって「ヤ」と発音すべき「я  ヤ」を「イ」と発音します。例えば「日本」は「ЯПОНИЯ」で「ヤポーニヤ」ですが「イポーニヤ」になります。モスクワ方言というわけです。

 

6.日本ではあり得ないテレビ番組

ロシアのテレビ番組で生放送番組や裁判番組を毎週放送しています。生放送番組では少女を妊娠、出産させた男が出演し少女の両親に張り倒され、一方、女性の子供は俺の子だと言い張る青年が出演し相手の青年にやはり張り倒されていました。裁判番組ではスタジオに裁判法廷を作り原告、被告が登場、本物の裁判官が判定を下します。争いを好まない、争いの姿を見せたくないという日本ではあり得ない番組でしょう。

 

7.幼児の勘は鋭い

市内の移動はバスやミニバスを利用しています。車内で親に抱かれた幼児が私の方をまじまじ見ていることがよくあります。どうもいつも見ている人とは違う、外国人のようだ、と感じているのでしょうか。ばー!と挨拶すると喜んでいます。最近、長距離バスに乗った時も同じことがありました。幼児の勘は鋭い、今日は外国人に会ったなどと考えているのか、どうなんでしょう。

 

8.キルギス文字、ロシア文字

キルギス語はロシア文字(キリル文字)を使っていますが ң、ө、ү の3文字多いです。ңは「ング」という音、өは日本語の「オ」の口腔内を広げた音、үは日本語の「ウ」に近いです。言葉を例示すると

жан(ジャン)は「心、気持ち」、жаң(ジャング)は「新しい」

тоо(トー)は山、төө(トー)はラクダ

уй(ウイ)は「馬」、 үй(ウイ)は「家」です。

発音をカタカナで表記すると同じになってしまいますが実際は違います。聞いてもいまだに違いがはっきり分からないので困ります。

 

9.今年は熱水停止が早かった

例年市内の熱水が1カ月供給停止しますが今年は時期が少し早かったです。私の記録では今まで5月20日前後から6月20日前後でしたが今年は5月6日前後から1か月でした。6月は暑くてシャワーを使いたいので早まったのは良かったです(私のアパートには電気温水器がないので)。変更になったのはどうして?来年もそうなのか?ご存知の方は教えてください。

 

(キルギスのカルチャーショック第3部8 に続く)

キルギスのカルチャーショック第3部6 

キルギスのカルチャーショック第3部6

2019年4月作成

キルギス20年記念第2弾です。1999年から今までに変化したこと、しないことを列挙してみます。

1.変化したこと

①車の渋滞、路上駐車が多くなった

市内の車は10倍以上になりました。最初の頃、ソ連、ドイツ、日本の中古車がゆっくり走っていて数は少ないし渋滞など起こらなかったのですが今では少し事故や工事があるとすごい渋滞です。古い車は地方へ売られたのでしょう。ビシケクでは新しい車がたくさん走っています。道路も凸凹だらけでしたが良くなりました。

②物価が上がった

下記の「キルギス七不思議」に物価の例があります。2003、04年頃までは同じくらいでしたが05年のクーデター以来上がりました。アパート家賃や不動産価格も高くなりました。アパート価格は1部屋が3000~4000ドルくらいでしたが今では10倍以上。

③町は明るく鮮やかに、高層の建物も

建物は灰色にくすんで夜は明かりが少なく歩くのに苦労しました。05年の出来事から鮮やかな色が登場しましたがけばけばしい色もあります。以前は高層(?)建築物はツムデパートとアパートが2棟ほどでした。買い物は個人商店やキオスク、後はバザールへ。やがてベータストアやキャラバン、ドルドイプラザが開店しました。

④外国企業の宣伝が急増

最初にテレビで聞いた外国企業の宣伝はコカ・コーラだと思います。さすが早い、一番乗りだと感心しました。

⑤外国人料金

ソ連時代の習慣?外国人からは割増料金を取るカフェやレストランが多かったです。そんな店は早く潰れましたけど今はもうないでしょう。

⑥夏はより暑く冬はより寒く

去年、一昨年は特に暑く寒くなりました。以前は40度の暑さが続くことはなかったし昼間のマイナス10度もそうです。もっとも昔は雪が1メートルくらい積もったそうなのでこれでも暖かいのかもしれません。

⑦キルギス語使用が多くなった

町の買い物などがロシア語主体からキルギス語主体になりました。ミニバスに乗ってロシア語で言うと「え!」と聞かれることが多くなりました。地方から移って来た人たちが多くなりキルギス語への意識が高くなったのでしょう。しかし育った環境からキルギス語は苦手と言うキルギス人は多いです。両親がロシア語で育ち学校もロシア語主体だとやはりそうなります。

⑧イスラム式服装が増えた

05年のクーデターはオシュ州出身の人たちが起こしました。オシュ州はウズベキスタンに国境を接していてビシケクよりイスラム教が厳格です。クーデター前後にビシケクに移って来た人たちが多いのでスカーフ、ロングスカートの女性が目立つようになっています。

⑨バザールは毎日の人出が多くなった

これも05年のクーデター以降人口が増えました。オシュからクーデターに参加した人たちはバザールで働いて決行の時期を待っていたそうです。そのまま残ったり地方から来る人たちも増えて人口が増加。平日は閑散としていたバザールは毎日にぎわうようになりました。キルギス人は遊牧時代の移動テントの感覚でアパート1部屋に10人近くが寝起きして生活するようです。この様式で親戚が集まって来ます。

⑩日本人会が設立、大使館、JICA事務所が

日本人会規約をみればわかりますが設立は2000年と思いました。当時の名簿には20人くらいしか登録してなかったですがその後大使館、JICA事務所が拡大充実して増えました。当初日本大使館はなく日本センターがアルマータの日本大使館への取次事務を行っていました。ビシケクの大使館は当初アッケメホテル内にありJICA事務所はゴイン向かいの建物にあったのを覚えています。

2.変化しないこと

①腹が出ている体型

肉食が原因で若い人でも腹が出ていて男性はズボンのベルトから肉がはみ出しているのをよく見ます。女性もどうしてと思うくらい太りますね。

②席を譲る

これはソ連時代の良い習慣です。バスで老人や幼い子連れなどにすぐ席を譲ります。

③運転手がタバコを吸う

室内で禁煙は良い習慣ですがなぜかバスの運転手が運転中に吸って乗客に文句を言われます。仕事中の労働者は吸ってもいいと言うことでしょうか。最近公共の場での飲酒を罰する法律ができたそうですが運転手の喫煙を罰する法律を作ってほしいです。

④ニュースは2か国語で

テレビニュースは同じ内容でキルギス語、ロシア語と2回放送します。インタビューに答える人が両方話せればいいですが片方だと翻訳されることになります。

⑤信号のない道路を横断

車が増え危険になったのに相変わらず道路を渡ります。私も同様に渡るようになったのは困ったことです。

⑥時間を守らない

キルギス人は半日単位で生活しているのでしょう。約束時間の5分や10分遅れは誤差のうち。時間を過ぎたので電話するとまだ家にいたりします。もっとも日本人が細かすぎると思います。色々な面で日本は世界的にみると特殊な国です。

⑦車の罰金

毎日見る道路警察(略してマイやガイと言います)の検問。昔罰金は20ソムで値上がりして30ソムになったのは知っていますが今はいくらなんでしょう。違法駐車を取り締まってほしいと言っても管轄が違うからだめ。

⑧エイズセンターの証明書

エイズセンターで検査して証明書を受け取る時に20年前と同じで手書きなので時間がかかる。受付はコンピューター入力しているのにどうして手書きなんだと。ソフトがないのか、もしかしたら証明書は手書きでないと無効となっているかも。大学の契約書類は手書きでないとだめですから。

⑨テストの答えを聞く

学校でも大学でもテストの答えを友達や何と先生にも聞く、教え合うことは変わらないです。テストの前は教え合っても当日も教え合うのは何か勘違いしているんじゃない?

⑩バザール商法

バザールなどでいつも同じところで買うと、どうせまた来るだろうということか悪い物を売ったりお釣りを品物で寄こすということはよくあります。そういう店はもう行きませんが日本とは大違いです。

⑪新しい店はできても

カフェや商店など新しい店ができても半年しないで閉店するのは相変わらずです。派手に宣伝して最初に儲けようとするので客は二度と来ませんね。どうなるかわからないから早く儲けようとするのはキルギス人気質でしょうか。

⑫大事なことを教えない、知らないと言わない

キルギス人に質問すると聞かれたことだけ教えて関係する大事なことは言いません。まさかこんなことを言わないなんてと後で驚くのです。それとソ連時代に知らないと言うなと教育したのでしょうか道を聞いても間違ったことを教えます。知らない、わからないと言えばいいのに。

⑬1カ月の温水停止

5月から1か月の温水停止は相変わらずです。5月はもう暑いのでもう少し早い時期にやったらどうかと思いますが。ソ連時代からでロシアも同様だそうなのでキルギスだけ止めることはなさそうです。

⑭歌手の口パク、テレビ番組はロシアのパクリ

歌手の口パクはロシアでもそうなので当分なくならないでしょう。テレビ番組ではタレントがサーカス演技をする、一般人が1分の特技をする、生放送の番組、最近では対談形式の番組をパクっています。形式は似ていますが予算も時間もないのでしょう内容がありません。

3.危なかったこと

ついでに危なかったことです。このシリーズで以前書きました。

1)頭上から街路灯が

2)トロリーバスを2回停めた

3)アパート大家が泥棒だった

4)クーデターの狙撃現場近くを通った

5)知人の飼い犬に噛まれた

 

4.キルギス七不思議

下記はこのシリーズの元となった文章でキルギス紹介のため日本にいる知人たちに送信しました。

キルギス七不思議

1998年8月に初めてキルギスに来てから、不思議だと思った事項です。  1999年10月

1.日本にもいるぞ、という顔がたくさん、でも日本語を話さない。

日本人と似ている、どう見ても日本人、という顔がたくさんいるけれど、キルギス語やロシア語で話している。不思議です。中国や韓国の人より日本人に似ているのは、どうしたことでしょうか。

2.日本にもあるぞ、という物がたくさん。

うどんに似た「ラグマン」、餃子に似た「マンティ」、肉まんに似た「サムス」、おこしに似た「チュクチュク」、炊き込みご飯に似た「プロフ」などがある。楽器のコムスは、三味線と同じ三弦楽器である。米では、オシュに近いウズゲンで作っている「ウズゲン米」は小豆色で、赤飯の色である。この米を見たとき、「赤飯だ」と叫んでしまった。日本人が赤飯にしているのは、これが原型ではないかと思う。

中国系ドゥンガン人の踊りは、盆踊りの手の形にそっくりだ。夏に食べる「アシランフー」は、冷しソーメンという感じがする。ドゥンガン人の作る麺は、手で引き伸ばしていく。ラグマンにはこの麺がよく合う。似ているものがたくさんあって、日本人のルーツを感じてしまう。

3.風が吹くと天気が変わる。気温の変化が大きい。

風は、いつもはあまり吹いていない。そよ風程度しか吹かないけれど、木の枝をゆするほど吹くときがあって、その後に天気が変わる。雨や雪になることが多い。風が吹くと桶屋がもうかる、ではなくて、天気が変わるビシケクである。気温は、昼間でも日が隠れると、10度以上気温が下がってしまう。夏では、昨日は40度、今日は20度で肌寒いことがよくある。

4.車道をどこからでも横断する。信号の間隔は短い。

交通量が多くないとはいえ、信号にはお構いなし、途中からでもどんどん渡る。日本と違って、人間優先だからなのか、また、車はゼイゼイ言いながら走っていて、スピードが出せないし、という条件があるからなのかわからない。母子が手をつないで、道路の途中から渡っていくのを見ると、親子心中かと思ってしまうのは、私だけでしょうか。

信号は、「青」から「青」の間隔が10秒ちょっとくらいしかない。「青」が点滅してから「黄色」に、そして、すぐ「赤」に変わる。人は「青」が点滅すると渡り始める。車は点滅すると停止する。間隔が短いので、このタイミングでないと反対側まで渡ることができない。途中で信号が変わってしまっても、道の中央で待っていれば、車は避けてくれるし、すぐ次の信号になる。渡りはじめのタイミングに慣れるのが大変で、最初は地元の人がいるときにしか渡らなかった。

5.食料品は安い。

大体、日本の10分の1から20分の1くらいの値段である。野菜など、きれいにして売ってはいないし、米はごみやシイナが混じっているが、じゃがいも、にんじん1k10円、トマト1k5~10円、米は1k75~100円くらいで売っている。乾めん1k40円、紅茶100g50円。

カフェで、二人で昼食を食べて300円くらいだろうか。ラグマン50円、ペリメニ70円、ナンと紅茶で10円、皿に肉とご飯で120円くらい。レストランは少し高い。食料品以外は、相対的に高くなる。それでも電気製品は、日本より安いものがトルコ、韓国、中国からたくさん入っている。

6.バザールは大小たくさん、キオスクはそこら中にある。

市場(バザール)では、朝市のような形式で食料、日用品、電気製品などを売っている。大きなバザールはルイノックと呼ばれていて、市内に四つある。小さなバザールは、あちこちにある。新聞、飲み物、パンなどは専門のキオスクがあり、交差点やバス停などにたくさん立っている。

7.ホテルの庭で、羊が草を食べている。

首都の大通り、日本でいえば新宿辺りを馬に乗った人が渡ったり、大通り脇の歩道で羊が草を食べている。田舎の雰囲気をたくさん残している。「イシククリホテル」の庭で、牛が草を食べていた。大学近くの歩道で、よく羊や牛が草を食べている。人が歩いているのに、街路樹をリスが行ったり来たりしている。こういう感じは、非常に好ましいと思う。アルマーティでは車や人が多くて、羊がのんびり草を食べるどころではない。

8.道路に穴が開いている。下を向いて歩こう

歩道の真中にあるマンホールのふたがなくなっていて、ぽっかり穴が開いている。それから、橋の踏み板が落ちていたりする。夜は明かりもなく暗いので、落ちる人もいるだろう。夜は特に、昼間でも下を向いて歩かないと危険。

9.町は、ひまわりの種で埋まっている。

歩きながら、ぽりぽりと食べている。最初は、何を食べているのかわからなかった。セミチカという、ひまわりの種を炒ったものを、歯で殻を割って食べる。

上手に食べるが、殻をそこら中に捨てていくのが困る。町が埋め尽くされるのでは、と思うほどだ。

(以上 キルギス七不思議)

5.カルチャーショック第1部 初回序文

以下は「キルギス七不思議」を元にこのシリーズを書き始めた初回序文です。きっかけは学生にキルギスで日本と違う所、驚いた所は何ですか、と聞かれたことでした。たくさんあるよと言いながらすぐには答えられずどうも生活に慣れてしまったなと感じたからです。書き疲れてこのシリーズが停まるとその都度刺激を与えてくれる人が現れて書き続けています。最初は日本にいる知人にキルギスを紹介するという観点で書き始めましたが少しずつ変化しています。

キルギスのカルチャーショックⅠ           2013年5月

キルギスに来たばかりの頃、七不思議として様々な驚きを書きました。十数年経って慣れて驚きが薄れてきたので、今までの驚きを思い出しながら改訂、加筆し、続編を書きました。生活や習慣は住んでいないと知り得ません。そんな内容を書いてみました。       (以上 初回序文)

 

キルギスのカルチャーショック第3部7 に続く

キルギスのカルチャーショック 第3部5

キルギスのカルチャーショック 第3部5                                    2019年2月~3月

今回は私のキルギス20年特集号です。2月にふと気が付いたのですが’99年にキルギスに来て20年経っていました。大使館の方に20年間日記を気温付きで書いていますとお話したらビシケクの気温を20年前と今と比較してほしいと大きな課題を頂戴しました。それで日記を読み返し四苦八苦して作成した次第です。

ただし気温の測定は自前の温度計をベランダの日影などに置いて測ったもので気象台などの資料ではありません。当たらずといえども・・という程度ですので。比較は2000年~03年と16年~18年の期間で12月~2月の冬期と6月~8月の夏期としました。FDにある99年の日記が古くてUSBにコピーできないので2000年からになります。それと夏などあちこち出かけてデータが少ないので一部省略してあります。

1.日中の月間平均気温(注釈をつけた以外はビシケク市内で測定)

2000年  1月不明        2月 5.4度    3月11度

6月29.4度     7月33.3度    8月データ不足

00年 12月 5.2度  01年1月データ不足    2月 6.7度

01年  6月31.5度     7月データ不足    8月データ不足

01年 12月 3.9度  02年1月 5.9度    2月 9.1度

02年  6月28.5度     7月データ不足    8月29.3度

02年 12月 1.1度  03年1月 7.5度    2月 7.8度

03年  6月30.1度     7月28.9度    8月29.5度

15年 12月 6.5度  16年1月 6.5度    2月11.6度

16年  6月27.5度     7月30.3度    8月28.3度(6月~ソクルク)

16年 12月 5.0度  17年1月 3.7度   2月4.2度(12月~アラミジン)

17年  6月31.2度     7月36.2度    8月33.1度(6月~ビシケク)

17年 12月 6.7度  18年1月 1.3度    2月 6.8度

18年  6月28.4度     7月34.2度    8月31.2度

夏は01年6月、17年と18年の7月、8月が目立って高いです。17年18年には38~40度が続きました。01年は35~36度が続き38℃の日はありましたが連続していません。

冬は18年1月が目立ちます。-10度が続きました。01年、03年も-10度の日はありましたが連続していません。

 

2.1999年から02年の出来事

ついでに1999年から02年の出来事を列記してみます。

1999年  4月第3回中央アジア日本語弁論大会 最初のキルギス主催

8月バトケン州日本人技師人質事件

市内のガスが全面停止(この年に限らず毎年2回、1回2週間ほど停止。国が輸入

代金を払えないため供給元が元栓を閉めるのです。これは何年まで続いたでしょうか。)

2000年  1ドル47~48ソム   アパート家賃は1部屋で月50ドル以下

デパートはツムだけだったのが7月にチュイ通りのベータストアが開店。入口が自動

ドアで感激しました。(ハイアットホテルもこの年営業開始?)

市内の銀行一行が倒産

2001年  1ドル49ソム前後

市内のガスが隣国輸入元から1カ月以上停止

市内の大通り沿いにあるバザールやキオスクが次々撤去された(モスソビエトに深夜

営業のバザールがありましたがこれも撤去)

4月マナス通り、5月チュイ通りの舗装工事実施

前年に続き銀行が一行倒産

2002年  1ドル46~48ソム

エルキンディック通り改修。歩道を改装し遊具やゴミ箱を設置

上記期間以外ですが

2005年3月  1回目の大統領追放クーデター(アカーエフ初代大統領を追放)

2010年4月  2回目の大統領追放クーデター(バキエフ2代目大統領を追放)

1回目、2回目ともベータストア、ドルドイプラザを始め市内の大型、中型店舗が略奪放火の被害に遭いました。2回目の後、臨時大統領に女性が就き3代目、2年後の選挙でアタンバエフが当選し4代目、現職は昨年の選挙で当選した5代目大統領になります。

3.物価

物価では99年当時のアパート家賃が旧いアパートなら一部屋月40ドル以下でした。この頃も商品の価格を付けていたのですがデータが見当たりません。記憶では砂糖1k13ソム、紅茶1箱100g15ソム、米1k15ソム、食用油1リットル25ソムだったかと。100ソムあれば使い出がありました。

手元のデータでは07年が一番古いですが砂糖1k25ソム、紅茶1箱100g25ソム、米1k30ソム、食用油1リットル50ソムです。アパート家賃1部屋で50ドルくらいです。

 

カルチャーショック第3部6 に続く

 

 

 

キルギスのカルチャーショック第3部4

キルギスのカルチャーショック第3部4      2018年11~12月

徒然なるままに・・の心境で書いているこのシリーズですが日本人会の読者?を意識して記事がだいぶ変化してきました。今回は食べ物の記事が多いようです。ここで訂正とお詫びです。前回第3部3の9.キルギスでは何が起こっても・・・の項で「西はチムール帝国」と書きましたが「西はコーカンド・ハーン国」の間違いでした。ちゃんと調べないといけません。

 

1.今日はお祭りです

日本語を話すキルギス人に祝日について聞いてください。これはどういう日ですか、と。答えは大体「お祭りです」と返って来ます。お祭り?うーん?となりますがキルギス語で祝日とお祭りは一つの言葉「マイラム」なのです。キルギス人の先生だとしっかり教えないのでしょう。祝日とお祭りを分けて覚えないといけない。

 

2.スターリン時代の闇

11月7日ビシケク市から南に行ったチョン・タッシという所で追悼式があり大統領がお悔やみの言葉を述べました。ここは1930年代スターリンの命令により殺された120人ほどのキルギス人(他民族もいた)を埋葬している場所です。スターリンは当時の社会的指導者を監禁し暗殺する命令を出したわけで作家チンギス・アイトマトフの父親も含まれています。これ以外にもキルギス全体で何千人以上もスターリン時代に行方不明になり帰らなかった人がいるようです。旧ソ連の各国で同様なことが行われ全体では4000万人が殺されたようです。

チンギス・アイトマトフの作品で登場人物がスターリンは死んだか、と待ち望んでいる記述があります。ソ連第一書記は何と終身制だったので反体制派を粛清し続ける恐怖政治を終わらせるには直接殺すか死を待つかしか方法がなかったのです。ソ連の国民がこぞってスターリンの死を待っていたのでしょう。現在、国家指導者の終身制は北朝鮮とトルクメニスタンだけですか。ところで毛沢東は6000万人を殺したそうです。上には上がある。

 

3.袋を息でフー

イスラム教では人の吐く息はきれいなものとなっているのかどうか。キルギス人、ウズベク人など店で品物を渡す袋を息で膨らめますね。パンや菓子などを買った時これをやられると顔をしかめてしまい買うのを止めようかと一瞬考えます。バザールなどではその日最初に売れた品物の代金に息を吹きかける、というか「プ、プ、プ」と唾を吐く真似をします。次も売れるようにと言う縁起担ぎの動作ですがこれを見ると人の息はきれいだと理解しているのでしょうか。

 

4.即席ラーメンの作り方

なんだ即席ラーメンか、となりますがされど即席ラーメンおいしくなる作り方はあります。特別な材料などを使うのではなく麺とスープを別に調理するだけです。しかしこれだけで随分違います。それと麺を茹でる時、湯が沸騰する少し前(30秒か1分か)乾麺を入れて麺に水を吸わせその分だけ時間を短くします。麺は麺、スープはスープで作って合わせる。これをお試しください。もうやっていますか。

 

5.マグロ刺身もどき

市内あちこちで塩漬けニシン(ロシア語はシリョウトカまたはシリョウトキ)が売られています。来たばかりの頃、三枚に下して塩抜きし刺身で食べるとマグロのようで美味いと教えられました。刺身に飢えていたので早速食べたらうーん!美味い。ただし骨が多いので頭、内臓を取ったら背骨を尾の方から頭の方に向けて取ると大きい骨は取れます。小骨はさらに取ることになります。それと塩抜きは2時間以上、水を流しながら浸けて置く必要があります。

他に冷凍シシャモ(ロシア語はモイバ)を開き、頭、背骨などを取って三杯酢に漬けてもイケます。これも骨抜きは尾の方から背骨を外せばいいです。ニシンはキロ160ソム位、シシャモは140ソム位でマグロブロックの1400ソムに比べてずっと安いです。ただし頭付きなので身はキロ300ソム以上になるでしょう。

 

6.日付が10.10.10

昔アパートの大家に家賃を払いに行って領収の記載をしてもらった時です。何気なく見ていたら日付を10.10.10と書きました。おー!そうか、今日は2010年10月10日だったのか。ロシア語、キルギス語の日付は「日・月・年」の順に書きますから日本語と逆になります。しかしこの日はどちらでも同じ数字が並ぶわけです。大家が来年は11.11.11があって再来年は12.12.12があると言いました。気が付かないで生活していたのは良くないと反省しました。

 

7.日本語の難しさ

日本語を学習する人にとって難しいことの一つに助数詞があります。1枚、2本、3台、4個など数字の後に付ける単位ですがロシア語にもキルギス語にもないので覚えるのは大変です。30や40はありますからこれは何を数える時にと分けて覚えるのは無理でしょう。まずは5種類くらいを覚えれば何とか。

日本語の上手な知人がいて外人とは知らせず日本人とメールをしていました。最初は気づかれなかったのですがある時「え、外国人?」と聞かれました。原因は助数詞で日本人なら間違えるはずがない所を間違えたのです。例えば「テレビを1枚」とか「リンゴを3台」という風に。普段使っているので気が付きませんが日本語は難しいです。

 

8.中国製品は重さでチェック

ビシケク郊外のドルドイバザールに輸入され市内のバザールや商店に出回る中国製家電製品。粗悪品、不良品、在庫品などが多くて買う時は余程注意しないといけません。中国に何年か住んでいた人から聞いたのですが中国本土では不良品を重さで見分けているそうです。例えば電気ポット。あまりに軽いのは材料が悪いから止めて少し重いくらいのを選ぶのです。軽いと板金は薄いしコイルも材質が悪い、ということです。全部に当てはまるわけではないですが中国製品は重さで判断するのが一つの目安かもしれません。

 

9.懐中電灯は枕元に

先日起きて明かりを点けたら暗いまま。電球が切れたかと思いましたがどうも停電のようです。いつも枕元に置いてある懐中電灯を点けてろうそくを探し点火。昔は停電が多かったので懐中電灯、ろうそくは常備品になっています。懐中電灯は充電式が使いやすいでしょう。乾電池式は電池が切れたり数が足りないとお手上げですから。もちろん忘れず充電を。

 

10.中国からの寄贈バス

もう10年位前でしょうか、中国から友好の証として大型バスが何十台も寄贈され市内各路線に配備されました。ちょうどいい路線バスがあったので利用していましたがいつの間にか来なくなりました。今運行しているのはたぶん7、21、35、38番の路線だけ。当初の半分くらいです。原因はバスがすぐ故障してしまい直す部品がないからであちこちの駐車場に放置されています。中国は廃車するバスを修理点検もせず寄贈したのです。これでキルギス人の中国嫌いがまた高まったかも。

 

11.熱水供給センターの責任者

ニュースでちょっと見ただけなので確かではありませんが通称「テツ тец」と呼ばれる熱水供給センターの最高責任者はロシア人でした。ソ連崩壊後独立したキルギスからほとんどのロシア人技術者が帰国し、その後釜にあまり知識のないキルギス人が就きました。しかし「テツ」は自前では稼働できなかった。責任者にはキルギス人しか任命されないと言う制度を作ったもののここだけは例外的にロシア人としたのではないでしょうか。ロシア人は技術をキルギス人に伝えなかったか伝えられなかった。設計・建設技術でいえばキルギス人がどの程度の技術を持っているのか疑問なので新しい高層建築物には住みたくありません。

 

12.アジの開きもどき

5.の項で書いたのとは別の食べ方です。塩漬けニシンの頭、内臓を取り除き開いて塩抜きします。背骨を尾の方から頭の方に向けて取るのはマグロもどきの時と同様。刺身より長い時間塩抜きしないと塩っぱくなるのでご注意を。次に天日干し、陰干しします。半日くらい干したらオーブンかフライパンで焼きます。これもなかなか美味いと思います。

 

13.しめ鯖

市内のバザールや魚の店で鯖(ロシア語はスクンブリア)を売っています。以前は魚と言えば塩漬けニシンかシシャモくらいだったのでインターネットで鯖やマグロを売っている店を見つけた時は感激しました。その後バザールでも売るようになったのは歓迎すべきことです。

鯖は解凍して三枚に下してから刺抜きなどを使って小骨を取ります。次にタッパーに米酢(濃度5%位 ゴインに売ってます)と砂糖少々、昆布少々を入れ漬けます。20分ほど置いて酢をこぼし後は冷蔵庫で熟成します。一晩おけば食べられますからお楽しみください。心配な寄生虫のアニサキスは冷凍輸送されてくるため心配ありません。厚生省の基準では-20度以下48時間以上の処理です。

 

14.キルギス語を習いましょう。

キルギスにいるのだから習うのはキルギス語、ですか。挨拶だけでも話せれば相手の印象が違います。ビシケクではロシア語の使用割合が多いですが地方に行けばキルギス語主体です。それにキルギス周辺に仲間の言語がたくさんあるので旅行でも使えます。カザフ、ウズベク、ウイグル、トルコ、アゼルバイジャンなどが兄弟語で30~50%位は共通になります。カザフ語よりトルコ語の方が近いような。

私もキルギス人の先生とキルギス語を習ったのですが教科書はロシア語で記載、先生は日本語を知らない、ということで頭がパニック状態になりました。まずキルギス語・ロシア語辞典で調べて次に露和辞典で引くので学習は進みません。少し慣れるまで半年くらい経ちました。若い頃ならもっと早かったでしょうけれど。

 

(キルギスのカルチャーショック第3部5 に続く)

キルギスのカルチャーショック 第3部 3

キルギスのカルチャーショック 第3部 3     2018年10月~11月

いつものことですが話題のまとまりがなく突然キルギス国歌が出てきました。頭に浮かんできたことを書いているので・・

 

1.酷寒、酷暑の日は

初雪情報などの続きになります。日中気温で-10度以下を酷寒、38度以上を酷暑とした資料です。なお資料は自前の寒暖計によるので公式記録ではありません。

酷寒では

今年1/25 -12℃、1/26 -15℃、1/27~28 -10℃ になりました。

その前は2008年1/19~24 -10℃、2007年 12/26~28 -10℃ でした。15年間を見ても-10℃は少ないです。

酷暑では

今年7/10,11 38℃、7/22,23 38℃、8/11 38℃

2017年 7/4~9 40℃。(これはオシュですがビシケクも同程度です。)

7/23~24 38℃、7/25~27 40℃、7/28~8/1 38℃、

8/7~10 38℃~41℃ (ビシケク)

例年7月、8月に何日か38℃くらいになりますが連続にはなりません。これほど続いたのは1999年から初めてでした。2017、18年は何十年かの気候変動周期のピークにあるのかもしれません。

 

1-1.去年から気温差が大きい

手持ちの寒暖計で10月26日、27日は気温35度でしたが昨日11月1日は4度になり雪が。1週間で30度下がりました。さすがにキルギス人、ロシア人も体調を崩しています。去年から気候変動が大きいです。

 

2.ロシアの歌手 アラ・プガチョウワ

ロシアの人気女性歌手アラ・プガチョウワをご存知ですか。「百万本のバラ」という題名で加藤登紀子が訳した元歌を歌っている歌手で60歳すぎても精力的に活動しています。この私生活が凄くて何年か前はロシアの有名な若手芸人(物真似、司会)マクシム・ガルキンと結婚、その前はウクライナ出身のロシアで活躍する有名な歌手キルコロフと結婚。

3年位前ガルキンと男の子と女の子の双子の子供が産まれました。え!でもプガチョウワは60歳過ぎなのにどうして?それは現代の先端技術を利用したのです。自分の卵子を冷凍保存しておきガルキンの精子と人工受精、出産は代理母という訳です。金があればできますね。子供たち、リザとガリもyoutube に登場しています。

 

3.丸亀製麺

何年か前モスクワに行った時、丸亀製麺と書いた看板を見つけ入りました。味は期待していなかったので一番安い釜揚げうどんを食べましたがやはり旨くない。麺が作り置きで少し湯通ししただけなので何が釜揚げかと言いたくなりました。客は結構いたので知らなければこれが美味いというのでしょう。店員に日本人はいなくて多分ほとんどキルギス人。キルギス語で話して通じましたから。

 

4.白菜が通年で出現

何年か前から白菜が通年で出回っています。以前は10月から1月の限られた期間だけだったので出回るとたくさん買って漬物にしていました。白菜はどこから入って来るのか。ウズベクか中国南部かもしれません。煮物、炒め物、漬物などにしていつも食べられるので嬉しい限りです。

 

5.キルギス国歌

まだ書いてなかったなと突然キルギス国歌が出てきました。旧ソ連からの独立後1992年に制定され歌詞は三番までありますが一番と繰り返しの歌詞を記載します。アラバエバ大の学生と一緒に訳しました。なおキルギス文字はロシア文字を使用していますが(ң )(ө)(ү)の3文字多く、これらはロシア文字の(Н)(О)(У)として読めば近いです。以下のカタカナは読みで和文は訳です。歌ってみましょう。

1.Ак мөнгүлүү  акса  зоолор,  талаалар,

アク モングルー アクサ ゾオロル タラアラル

白い氷河に 覆われた 岩山よ、ステップよ

Элибиздздин  жаңы  менен  барабар.

エリビズディン ジャング メネン バラバル

われらは 共に生きてきた 心は 一つになっている

Сансыз  кылым  Ала-Тоосун  мекендеп,

サンスズ クルム アラトースン  メケンデプ

幾世紀も 氷河を抱く 山々のもとに 住み

Сактап   келди  биздин  ата-бабалар.

サクタプ ケルディ ビズディン アタババラル

我らは 先祖の土地を 守って来た

 

(繰り返し)

Алгалай  бер  кыргыз  зл,

アルガライ ベル クルグズ エル

さあ 進め キルギス人よ

Азаттыктын  жолурда.

アザットゥクトゥン ジョルンダ

自由な 道だ

өркүндөй  бер,  өсө  бер,

オルクンドイ ベル オソ ベル

さあ 発展させよう、 さあ 変えていこう

өз  тагдырын  колунда.

オズ タグドゥルン  コルンダ

自ら 昔からの 運命に

 

6.一番最後の商品をどうぞ

日本語では「一番新しい」ですがロシア語を直訳すると「一番最後の」となります。英語でも「一番最後の」と使っていると思いました。「新しい」という言葉はありますが「一番新しい」とは言いません。言語ごとの表現感覚の違いですか。「一番最後の」商品、では要らないと言いたくなりますね。

 

7.ロシア語の「世界」と「平和」は

「世界」と「平和」は同じ言葉「мир ミール」です。ビシケクの大通り「プロスペクト ミーラ」は「平和大通り」ですね。今はキルギス語で「ТЫНЧ  トゥンチ」、やはり平和通りです。「ТЫНЧ  トゥンチ」は静かな、平穏なという意味もあります。

日本語で「身につける」という意味の動詞は「着る」「履く」「かぶる」などたくさんありますがロシア語は一つです。食べ物に熱を加えて料理する「焼く」「炒める」「あぶる」もロシア語は一つ。それで日本語学習者は苦労します。

 

8.色の「青」と「緑」

学生がキルギス語の「青」という言葉は昔「緑」の意味だったと言いました。今は「青」の意味でも使っているが昔は「緑」の意味だったそうです。これは日本語と似ています。日本も昔、「青」は「緑」の意味でした。

「緑」という言葉は新しいのでどうも変更できないですね。次の単語で「青」は「緑」の意味ですが「緑」に変えると・・。「青果物」「青物」「青果市場」「青くさい」「青海苔」「青信号」「青虫」「青カビ」「青畳」「青葉」「青山」など。

 

9.キルギスでは何が起こっても不思議ではない

これは私が言っているのではなく在留の方からも聞いている言葉です。何が起こるかわからない、何が起こっても不思議ではないと。大きくは大統領追放の2回のクーデターがあったし、小さくは手続き書類や生活習慣など、えー!と思うことが多く起きます。

ビザ手続きでいえば国の都合で手続きが遅れビザ期限が切れるようになっても罰金を払えと言います。日本では他の省庁と連携措置を取りますがそういう思考ができないのか。キルギスは100年経ってどうなっているのか。

キルギス人は19世紀後半の帝政ロシア時代に自らロシアとの同盟を望み出て国を認めてもらったと言います。当時は西のチムール帝国(ウズベキスタン)、東の中国清国、南のインド、北のカザフと四方の大国に脅かされていたからです。そしてソ連になり1920年代は自治州、1930年代にソ連の構成国になりました。ソ連が崩壊した後はかつて国を創ろうとした精神はどこへやら。特権を利用し公金横領、収賄に一生懸命になっている人ばかり。キルギス人のみなさん、国は消えますよ。ソ連かどこかに吸収されているかも。

 

10.キルギスにもスミレが

毎日忙しく働いて移動は車となると歩道や公園の草花を見る時間がないと思います。道端をよく見ると日本にもある雑草がたくさん茂っています。さすが雑草で風や人・物の移動に紛れて世界中に広がります。スミレやタンポポはお分かりでしょうが他にナズナ(ペンペン草)、オオバコ(カエルっ葉)、シロツメクサ(クローバー)、カラスノエンドウ、スベリヒユ、クズ、オナモミ、ネナシカズラ、ヒルガオなど、まだまだあります。まずは足元を観察してください。

 

11.カレーの香辛料

10何年ぶりにカレー用香辛料を買いました。昔作ったレシピは捨ててしまったので最初からやり直しです。とりあえず1.トゥミン(クミン、ウイキョウ)、2.バディアン(シキミ)、3.クルクマー(ウコン、ターメリック)、4.グバジディーカ(チョウジ、丁子)、5.粉ショウガを買い、あと6.唐辛子、7.コショウで調合。しかしまだ足りないので8.カルダモン、9.カリツァ(シナモン)、10.ローレル、11.ガリツァ(洋辛子)を追加。まだ生ニンニクも必要です。これで調合してみます。香辛料は今回ビシケクシティーで調達しましたがオシュバザールの一角には香辛料売り場が何軒も固まっています。

 

12.ファレーリをどうぞ

何年も前から売っているのを見かけていましたが買ったのは最近です。ファレーリと呼ばれて日本ではニジマスですね。しかし日本よりずっと大型です。トクモク市で養殖してビシケクに出回っています。最初三枚に下してホイール焼きにしたら泥臭さがあってだめ。次は三枚にしてから半日薄い塩水に漬けて置いたら臭みが消え美味しかったです。私が買った店は一匹丸ごとでキロ330ソムでした。

 

13.キャッチセールスではなかった

前回、日本人か?と言って電話が来たのはキャッチセールスだったのかと書きました。しかし違いました。知り合いのキルギス人が日本人から情報を得たいと言う人に教えたのです。言ってくれればいいのに。どちらにしろ会わなかったでしょうけど。日本製品を輸入販売するらしいですが本物が手に入るのか、中国製コピー製品かも。

 

 

(キルギスのカルチャーショック 第3部 4に続く)

キルギスのカルチャーショック第3部 2 

キルギスのカルチャーショック第3部 2          2018年10月

初雪の話題を書いたら本当に降りました。関連して、集中暖房の開始・停止日、最終降雪日など日記を調べて書いてみました。今月初めは気温30度以上だったのに2週間ほどで30度下がったわけです。さすが中央アジア、いつもながら驚かされます。今回も雪の記事があるので早めに発行します。

1.集中暖房の開始、停止日等

下記のデータで降雪の前日気温を書いたのは暖かいのに降るという気温の差を表したかったためです。99年には4月25日頃に降り本当にショックでした。5月に入ってから降ったことがあるとか。その時はイシククリ湖でも降って、栽培しているリンゴの開花期だったため花が落ちてしまい大打撃だったそうです。

次の降雪は今月終わりころでしょうか。いつも2回目は間隔が開きますから。それから集中暖房はもう一度降らないと入らないでしょう。昼間の気温が0度にならないとだめなようです。なお集中暖房の開始、停止は温水配管の関係で地区により多少(2,3日)違いがあります。

(年) (初雪) (前日気温) (暖房始)   (終雪)  (前日気温)  (暖房停)

2018 10/16   14℃     ?        3/16     4℃      3/22

17   9/30    10℃    10/20        4/06      7℃      不明

16   10/18    14℃     不明        3/19      6℃     3/11

15   10/22    18℃    11/1?       4/02      8℃      不明

14   10/27    18℃    10/27       4/13      13℃      3/28

13   10/27(*) 13℃    10/27      3/09      2℃     3/25

12   10/18    14℃     不明      3/19      10℃      3/30

11   10/28    14℃    10/30      4/03     24℃     3/29

10   10/21    20℃    11/13     3月不明    不明       不明

09   11/09     8℃    11/11       3/19     14℃      3/25

08   11/11     8℃     不明      4/17     16℃       不明

07   11/09    19℃    11/09       2/27     12℃       3/27

06   11/21     8℃    11/13      4/09     25℃       3/29

05   11/14     9℃    11/02      4/05     28℃       3/26

04   10/15    24℃    11/06        4/07     10℃       4/01

(注)上記(*)の日付は、前回11/20と書きましたがこの日に雪が舞っていました。

(注)2010年3月の日記がないので日付等不明です。

 

2.宇宙船

現在はロケットで打ち上げている宇宙船ですがなんとも前時代的な物に見えるのはどうしてでしょう。それに打ち上げの度に燃料タンクや付属品を捨てるので宇宙はゴミの山になっています。宇宙ゴミ回収の話も出たり消えたりで進みません。地球の重力を脱出するためにロケットではなく別の方法が開発されればゴミは出なくなります。将来、重力子とでもいうのか重力の粒子を制御できるようになればいいのです。飛行機も重力制御になれば飛行場の滑走路がなくても済みます。

 

3.日本ではロボット犬と散歩する?

日本で試作されているロボットがニュースで紹介されるともう一般的に使われていると思う人が多いようです。日本で町を散歩する人は皆ロボット犬を連れているのか、と聞かれたことがあります。あれは試作だからと説明しましたが納得しない様子。介護ロボットや自動掃除機も登場していますから家のペットもロボット、食事や掃除もロボットが、そんな時代が来るのも近いかも。

 

4.キルギス蕎麦

昔ですが蕎麦を食べたくなってバザールのそば粒(グレーチキ)を挽いてもらい手打ちしたことがあります。つながって麺になったものの・・香りも味もなく不味い。中央アジアでは粒を茹でて食べるので麺にするにはそば粒の保存方法が合わないのでしょう。ソバは世界的に栽培されていますが、食べ方は粒で茹でる、粉にして焼くなどが大半で麺にするのは少数派。今のところ中国製、韓国製の乾麺を利用するしかないです。

 

5.サンタクロースはキルギスから?

サンタクロースはキルギスが発祥の地だ、キルギスでは「アヤーズ・アタ」と言って昔から言い伝えがある。ということでアラトー広場に学生を動員して大規模に宣伝したのは何年前だったか。今でもやっていますか?サンタクロースをキルギスでは「アヤーズ・アタ(寒さの父)」、ロシアでは「デット・マローズ(寒さのお祖父さん)」、その娘は「スニェ・グーロチカ(雪娘)」と呼ばれます。

サンタクロースの起源はキルギスだ!と思い付きで始めてすぐに終わるのではなく何十年も続ければそれなりに効果があるのに。気まぐれですから。

 

6.景品のグラスが割れていた

バザールの路上で紅茶を安売りしていました。欲しかったので買って家で見たら中に入っている景品の小グラスが割れている。これでは危なくて飲めないので捨てました。X線検査で割れているのがわかった不良品を中央アジアに輸出したのです。中央アジアは中国のゴミ箱と思っていますが本当です。バザールの安売りは要注意、何か問題がある商品です。

 

7.自動販売機

日本は自動販売機の展示会のように様々な種類がありどんどん変化しています。音声付きなどは当たり前でしょうか。しかしビシケクでは見たことはないです。空港に飲み物の販売機があったくらい。街頭に設置したら危ないでしょうね。すぐ盗まれるか金を奪われます。治安の良い日本だから設置できるともいえます。

自動販売機は24時間暖・冷の保温状態なので電力の無駄遣いと思いますがどうですか。それと販売機設置は販売会社負担ではなく設置者が機械を買取ると思ったのですが。品物が売れた時に設置者の収入になる訳なので販売会社は損がないようにできている。

 

8.村の土地を売ったのは誰?

キルギスの来たばかりの頃、学生とオシュ方面に出かけました。立ち寄った村で最近ウズベキスタンとの国境が変更になって村の土地が狭くなった。どうして変更になったのかこれについて誰も知らない、と言います。誰も知らないのではなく誰も真実を言わないのだろう。地元の役人が金欲しさに中央を巻き込んで土地を売ってしまったのではないか、などと想像しました。金のために土地を売ったのなら本当の売国奴ですが。

 

9.カルパックは正しくかぶれ

カルパック(キルギスの民族帽子)をよくかぶっています。薄い材質のは夏に、厚いのは冬にと分けていますが薄い材質は中国製の土産用なので本物ではない、本物は通気性がいいので夏も冬も同じカルパックで大丈夫と言います。私がかぶっていると、ほー、と感心して見る人が多いものの、かぶり方が間違っているようでよく直されます。裾の切れた部分を前にして外側に折ってかぶるのは知っていますがそれだけではだめ。折り方がどうの、切れた部分は正面にとか細かいです。バザールなどへ行くと似合うよ、と言ってくれる人もいて自分はキルギス人だと喜んでいます。

 

 

 

(キルギスのカルチャーショック第3部 3に続く)

キルギス共和国について

キルギス共和国について  (ウィキペディアより)

キルギス共和国(キルギスきょうわこく)、通称キルギスは、中央アジアに位置する旧ソビエト連邦共和制国家である。首都はビシュケク(旧名フルンゼ)。かつての正式国名はキルギスタンであり、改称以降も別称として公式に認められている。

内陸国で、北から時計回りにカザフスタン中華人民共和国タジキスタンウズベキスタンと国境を接する。西部のバトケン州内にはタジキスタンとウズベキスタンの飛び地がある(「バトケン州#飛地」参照)。ソビエト連邦から独立したウズベキスタン、カザフスタン、トルクメニスタン、タジキスタンとともに中央アジアを形成し、独立国家共同体 (CIS) 加盟国である。旧ソ連を構成していた中央アジア5カ国で「最も民主的」といわれるキルギスでは、2005年と2010年に野党勝利による政変があった。しかし、キルギスの大統領たちは政権交代による第一野党勝利後にそれぞれ国外に亡命している

国名[編集]

正式名称はキルギス語では Кыргыз Республикасы(Kyrgyz Respublikasy; クルグズ・レスプブリカス)、ロシア語では Киргизская Республика(Kyrgyzskaia Respublika; キルギースカヤ・リスプーブリカ)。別称は Кыргызстан(Kyrgyzstan; クルグズスタン)。

1991年の独立時にキルギス語の国名を Кыргызстан РеспубликасыKyrgyzstan Respublikasy; クルグズスタン・レスプブリカス)としたが、1993年に憲法を改正して正式国名を現行の Кыргыз Республикасы に改めた。ただし、国名変更以降も旧称 Кыргызстан が別称として公式に認められている。

公式の英語表記は Kyrgyz Republic。別称 Kyrgyzstan。 国民・形容詞はKyrgyztani。

日本語の表記はキルギス共和国[3]通称キルギス

クルグズ(キルギス)の語源は「кырк(クルク)」が40の意味で、40の民族を指し、また中国人にかつて「гунны(グンヌィ、匈奴)」と呼ばれていた背景から、それらを合わせてクルグズとなったと言われている。 ちなみに、テュルク系言語で40を意味する「クゥルク」に、娘や女の子を意味する「クゥズ」を合わせた「クゥルク・クゥズ」は、“40人の娘”という意味になり、中央アジアに広く伝えられるアマゾネス伝承との関連をうかがわせる。したがって、「40の民族」というよりも、「40の部族」ないし「40の氏族」という意味のほうが適切である。

日本語名のキルギスは、ロシア語表記の「Киргиз」に由来する。

独立時に、キルギスのロシア語表記・英語表記は、キルギス語の自称に基づいた КыргызKyrgyz に改められたが、日本語ではそのままキルギスと呼び続け、正式国名の日本語名はキルギスタン共和国と表記された。その後のキルギス共和国への国名変更を経て、依然キルギスと通称されている。タジキスタンやカザフスタンなどにみられる「~スタン」とは、ペルシア語で「~が多い場所」を意味する言葉である。詳しくはスタンを参照。

本項では「キルギス」の国名を使用するが、中央アジアの研究者には正確な発音に近い「クルグズ」と表記すべき、との声もある。

 

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国際関係[編集]

ロシアと密接な関係を保ちつつ、中国や欧米、日本などともバランス外交を展開している。ロシア主導のユーラシア経済連合集団安全保障条約に加盟している[3]

上海協力機構の加盟国でもあり、中国はキルギスを「一帯一路」の対象国を一つに位置付けている[5]。 一方で、経済の過度な対中依存や中国人の流入などへの不満から反中デモも起きている[6]

日本は1991年12月28日に国家承認し、翌1992年1月26日に外交関係を樹立。大使館は日本が2003年1月27日に、キルギスが翌2004年4月にそれぞれ置いた。日本はキルギスに政府開発援助(ODA)を提供し、ビシュケクに「キルギス日本人材開発センター」を開設した[3]

地理[編集]

キルギスの衛星写真

キルギスの地図

国土全体の40%が標高3000mを超える山国。国土は東西に長く、中国との国境には天山山脈が延びる。南に位置するタジキスタンに向かってパミール高原が広がる。

国土の中央など東西に山脈が走り、国土を数多くの峡谷に分断している。最高峰は、中国国境にそびえるポベティ山(Pobeda または Jengish もしくは 勝利峰、7439m)、ついでハン・テングリKhan-Tängri または Kan-Too、6995m)である。4000m級の峰は珍しくない。各都市の標高は首都ビシュケクが800 m、フェルガナ盆地に位置するオシュが963 m、イシク湖畔のバルイクチが1610 m、カラコルが1745 mとなっており、ナルイン州の州都ナルインは2044 m、中国やタジキスタンとの国境に近い南部のサリタシュは3170 mもの高地に位置している。

主な河川は、シルダリア川支流のナルイン川。主な湖は国内北東部に位置するイシク湖 (Isik-Köl)。東西180km、南北60km、周囲長700kmに及ぶ。湖面の標高は1600m。イシク湖とナルイン川は水系が異なる。

ビシュケクと第2の都市オシュ、中央部のナルインにはソ連共和国時代に大規模な灌漑施設が敷設されているため、綿花を中心とした耕作に向く。これらの灌漑地はシルダリア川、ナルイン川の支流から水を得ている。

気候[編集]

隣国のカザフスタンや中国とは異なり、国内に砂漠は存在せず、この地方の中では気候に恵まれている。人の居住に適した東西に伸びる渓谷部分はケッペンの気候区分では、夏季に雨が少ない温帯地中海性気候 (Cs) に相当する。これは、イタリアローマアメリカ合衆国サンフランシスコと同じ気候区である。山地は亜寒帯湿潤気候 (Df) 、特に高地は高山気候 (H) となる。天山山脈をはさんで南方の中華人民共和国と、テスケイ・アラ・トー山脈英語版を挟んで北方のカザフスタンには、ステップ気候 (BS) と砂漠気候 (BW) が広がる。

実際に降水量を比較すると、天山山脈の100km南方に位置する中国新疆ウイグル自治区喀什(カシ、カシュガル)の年降水量は60mmだが、ビシュケク(北緯43度、標高800m)の降水量は450mmに達する。これはローマやサンフランシスコと同水準である。ビシュケクの平均気温は、1月に-20度、7月に30度で2017年度は7月に最高気温43度、2月に最低気温-31度を記録している。

地方行政区分[編集]

キルギスは7つの州 (oblast) と1つの特別市 (shaar) から成り立つ。州はさらに地方 (raion) に分かれる。地方長官は中央政府が任命する。aiyl okmotu と呼ばれる自治体は、最大で20程度の集落から構成されており、選挙で選ばれた村長のほか議会が設置されている。

主要都市[編集]

経済[編集]

色と面積で示したキルギスの輸出品目

農業および牧畜鉱業が主である。農業は主として輸出品目にもなっている綿花タバコの栽培が活発に行われている。鉱業は水銀アンチモンなど。1997年に採掘がはじまったクムトール鉱山は、世界屈指の金鉱山である。また水銀(ハイダルカン鉱山)は2002年のデータで世界第3位の産出量を誇っている。

ソ連から独立後は、観光産業に早くから注力する。旧ソ連邦でも先駆けてヨーロッパや日本からの観光目的の入国に際し、査証不要を打ち出した。

キルギスは石油製品、天然ガスを輸入し、水力発電による電力、葉タバコ綿を輸出している。ただし、金の輸出が急速に伸びている。2000年における輸入相手国は、ロシア、ウズベキスタン、カザフスタン、アメリカ合衆国、中華人民共和国の順。輸出相手国は、ドイツ、ウズベキスタン、ロシア、中華人民共和国、スイス。キルギスの対日本への貿易は2012年の財務省貿易統計によると輸入57.6億円(機械類及び輸送用機器、自動車、建設用・鉱山用機械)、輸出0.8億円(アルミニウム及び、同合金)となっている。

キルギスに対する2000年における主要援助国(団体)は、日本アジア開発銀行世界銀行アメリカ合衆国国際通貨基金の順である。日本の援助額は5500万米ドル。

通貨はキルギス・ソムである。

交通[編集]

国内にはバス航空網が敷かれている。外国との間にはフラッグキャリアキルギスタン航空が、ビシュケクのマナス国際空港からアジアヨーロッパ各国に就航しているほか、同空港には各国の航空会社が乗り入れている。

鉄道は首都ビシュケクからバルクチまでの国内線の他、ビシュケクとロシアカザフスタンとの間に国際列車が運行されている。

またマルシュルというバスがありそれが国民の足となっている。ビシュケク市内では10ソム(約16円)で乗ることができ、遠距離移動の際には便利となる一面を持つ。タクシーも走っており、日本と比較すると安価で乗ることが出来るため利便性は高めである。

なお、キルギス国内で走行している車両の70%は中古の日本車である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/キルギス#歴史

 

カルチャーショック 第 1部 1

キルギスのカルチャーショックⅠ           2013年5月

キルギスに来たばかりの頃、七不思議として様々な驚きを書きました。十数年経って慣れて驚きが薄れてきたので、今までの驚きを思い出しながら改訂、加筆し、続編を書きました。生活や習慣は住んでいないと知り得ません。そんな内容を書いてみました。

 

1.時間を守らない

キルギス人と待ち合わせを約束して待っていてもその時間に相手は来ない。来ても1時間くらい遅れてくる。今ではだいぶ良くなってきたように感じますが何千年も半日単位で生活してきたキルギス人だからまだ変わりそうにないでしょう。反面、日本は時間に細かすぎるとは思いますが。

 

2.キルギス料理は5つだけ

キルギスの家庭料理は、ベッシ・バルマック、オロモ、マンティ、ラグマン、プロフ、ショルポ(肉スープ)の六つ。ベッシ・バルマックはお祝いなど特別な時だけなので、いつもは五つ。メニューを考える必要がない。キルギス人の家に1日いれば同じ料理が出てきます。

2-1.キルギス人の食生活は

キルギス人が定住化したのはスターリン時代の1930年代。今はたまたま家に住んでいるだけで生活は遊牧時代と同じ。外で使う大鍋(カザン)を使ってガスで料理を作ります。鍋の底が丸いためガスの火が回りを伝って不経済この上ない。それには全く気がついていないようです。ガスは炎を大きくしてヤカンや鍋からはみ出すほど大きくして使っています。これも野外で薪を使った料理の使い方と思います。

調理器具は少なく、包丁には食事用ナイフを使い、フォークも色々に使っている。まな板は小さく、キャンプに持っていくミニサイズ。調味料はほとんど塩だけ。まれに塩漬け唐辛子を使うだけで、コショウもほとんど使わない。日本はキャンプでもこんなに少なくはないでしょう。

ゴミ箱も鍋も一緒扱いで、普段の料理に使っている鍋に野菜クズや紙などのごみを入れている。他国の文化などを入れようとしないので、いつまで経ってもこのままではないでしょうか。

 

2-2.野菜を食べない

キルギス人が食べる野菜は、ジャガイモ、にんじん、玉ねぎだけといっても過言ではないです。知り合いにキャベツを食べるように言ったら、食べたらお腹がおかしいとかで続きません。あとトマトは食べます。野菜以外に食べるのは羊肉。骨付きで売っているのでそれを長く茹でて柔らかくします。

ロシア人は、きのこ、野菜をたくさん食べますがキルギス人はきのこ類も怖がって食べません。

 

3.先生、答えを教えて

大学で教え始めた頃、テストの時に学生が「この答えは何ですか」と聞いた。どういうことなんだ、これには驚きました。それと答えがわからない学生に教え合う、それにカンニングはするわ。小学校時代からわからない人には教えなさい、と言われているらしいのでこうなってしまう。それにしてもテストの時に教えなさい、はないでしょ。

 

4.紅茶、コーヒーに砂糖を4,5杯

学生が来たりお客に行ったりしてびっくり。みんな紅茶などに砂糖をたくさん入れます。体を悪くするのではと心配するほどでした。これには訳があって、料理に砂糖を使わないので、その分を飲み物で摂るようです。

 

5.気温の差が大きい

大陸なので前線が通過すると雨や雪になり気温が15度、20度下がる。反対に晴れると急に上がる。フライパンの上で生活しているようだと常々感じています。熱すればすぐ暑くなり、冷めればすぐ寒くなる。

キルギスは天山山脈の盆地にあるので、通常、風はないです。しかし前線の端が来ると突風が吹き、その後天気が変わります。風が吹けば桶屋が、という落語がありますけど、風が吹けば天気が、はキルギスです。

 

5-1.風呂から出ると寒い

これは湿度が高い日本ではわからない感覚です。出るとき体を拭いていると寒くなります。温度が低いのではなく、乾燥しているので水分がすぐに蒸発して気化熱を奪うので寒くなるのです。体はさっぱりしていいですが、風邪などに注意しないといけません。日本では出ても汗だくになり、もう一度入りたくなります。

 

6.警察官はゆすり、たかり屋

来たばかりの頃、自分が外国人だという自覚を忘れて繁華街(といっても当時は静かなもの)を散歩しました。すると警察官にパスポートは、と聞かれ、大学にあるので持っていないと答えた。そうしたら近くの詰所に連れて行かれ所持品を調べられた。

私は教師でパスポートは大学だと言っても承知せず、開放してやるからと言って財布の中にあった金を要求された。なぜ金をと言うと本当ならもっと多く必要だと、多分そう言ったと思います。大学にパスポートを預ける時、コピーを取るように言ってくれれば良かったがもう遅かった。

金を払って?開放されたがいろいろな意味でショック。金を払えば何でも許されると知ったのは後のこと。

 

7.交通警察も賄賂要求

道路に警察官らしき人が立って車を停止して調べています。車内に定められた書類や器具などがあるかを調べて、ないと金を要求します。これはロシアやカザフでも同じ事で、日銭が入るから希望者が多いとか。

賄賂は以前20ソム、次に30ソムになり、今はいくら?

 

7-1.電気、ガスメーターの改ざんは当たり前

アパートの電気、ガスメーターはなぜか部屋の中にあり、毎月の使用量はドアの前に書いて貼り出します。水道、熱水は頭割りの請求なので書きません。このメーターを該当会社の検針員や技術者が賄賂をもらって逆回しさせるのです。アパートでは少ないようですが、一戸建てでたくさん使う家ほど悪事をします。これを毎月やっているので会社に入る料金は少なく、経営が悪化します。

 

7-2.私腹を肥やしたバキエフ前大統領

2010年4月のクーデターで国外逃亡したバキエフの政権時代、ダムの貯水量が少なく発電量が足りなくなったと言って計画停電をしました。曜日、時刻で停電になり、豆腐、納豆の製造であたふたでした。しかし、これは関係者が賄賂をもらいウズベキスタンに電気を売ったために生じたことだったのです。

政権末期に電気料金を2倍以上にするとしていました。アパート代は電気料込みだったので大家は値上げすると言いました。その直後クーデターがあり政権が代わり、電気料金は値上がりせず却って安くなりました。バキエフは何らかの私腹を肥やすつもりだったのでしょう。追放して良かった。

 

7-3.就職にも賄賂

就職は、試験があるわけでなく知人がそこにいるか紹介する人がいないとだめです。そして、いざ就職となったら上司に賄賂を払います。これは日本や外国系の会社、組織では関係ありませんが。

収入が多い仕事は賄賂も当然高くなります。警察や官公庁も同じで、ホワイトハウスの就職は6000ドルとか聞きました。

8.期限を過ぎても返さず雲隠れ

大学にいた頃から金額の多少はあるものの金貸しを頼まれました。学生や卒業生の顔見知りからですが、心配なので借用書を書かせました。しかし返さないのが多い。個人的な借用書は全く気にしないようで、請求されれば、今はない、と平気な顔です。

三井先生から何百ドルか借りていたスルガク(人文大)は、先生が帰国する直前に呼び出して請求したらアパートの電話を切りどこかへ雲隠れ。何年か経って町でひょっこり顔を合わせましたが、三井先生のことはもう終わったと言う訳かすっかり忘れていました。

日本人はいつか帰国するから、それまで引き伸ばしていれば返済しなくていい、という意識なのです。そんなことですから、金を貸す時はくれるつもりで、返ればもうけものと思うのがいいでしょう。

日本人に顔が似ていて日本語を話していると、私もそうですが、どうしても日本的な感覚を持っていると思ってしまいます。歴史や生活環境が違う別の人種と理解するのは時間がかかります。

 

9.信号のない道路を渡るな

来たばかりの頃、車は年式が古く量は少ないし、道路はでこぼこで早く走る車は少なかったです。そうはいっても、道路を所構わず渡るのは危ない。母親が子供の手を引いて渡るのを見ると、どういう感覚をしているのか、それとも心中かと思ったものです。

慣れとは怖いもので、今では私も横断するようになってしまいました。運転手は人が横断するのを承知しているので事故は少ないようです。上手に渡らないとクラクションを鳴らされますけど。赤信号、皆で渡れば・・ですが日本ではすぐ病院行きです。

9-1.信号はどう渡る

最近は赤信号の間隔が伸びたものの、以前は道が広い割には信号の間隔が短く10秒くらいしかなかったです。信号が黄色になった時に渡り始めないと向こう側に着かないため青でも構わず渡るので、最初は渡るタイミングがわかりませんでした。仕方がないので他の人と一緒に渡るのですが、青なのに渡っていて車が来たりするので何も参考にならなかったです。

車は右、人は左の逆転思考に適応するにも時間がかかりました。日本が特別なのですけど、最初に左を次に右を見る習慣は難しい。今は日本でつい逆を見てしまい慌てます。

ところで、市内モスクワ通りは、車は一方通行でもトロリーバスが交互通行になっています。あるとき車に気を取られ道を渡ったら、反対方向からトロリーバスが来て私の前で急停止。女性運転手が大きく手を広げ叫んでいました。トロリーバスを2回も止めてしまいました。モスクワ通りは道路計画の間違い、一つ北側は反対方向の一方通行なのでこちらをトロリーバスが通るはずだったのでしょう。

 

9-2.バスの運転は運転手の都合で

市内の公共交通機関は、トロリーバス、大型バス、マイクロバスです。トロリーバスはバスに架線が付いたもので線路は無し。マイクロバスは路線が決められている乗合いワンボックスカーです。

困るのはバス、マイクロバスの運転手が運転中にタバコを吸う、バスを停め途中で自分の飲み物など買い物をする、携帯電話で話すことです。それとマイクロバスで乗車客が少なくなると近くに来ている同じ系統のバスに移らされます。休憩か食事をするのでしょう。こういうのはお互い様になっているようで別運賃は取られません。労働者はソ連時代の慣行で自分の都合優先で仕事するのでこうなります。

反面、便利なところもあります。マイクロバスは停留所以外でもどこでも止まりますが、トロリーバス、バスでも信号で止まっている時に運転手に「降りてもいいか」と言えばドアを開けてくれます。日本はバス停だけですからね。

10.間違い電話が毎日

最近は減ったものの以前は毎日。原因は番号の押し間違いか電話局の接続ミスらしい。最初はロシア語で「もしもし」と出ていたものの、相手が早く話すので意味がわからず、日本語で「もしもし」と言うことにしました。

知らない、変な言葉が聞こえれば相手が切るだろうとの計算。「電話番号が違います」という言葉が最初に覚えたロシア語です。しかし、同じ人からすぐにまた間違い電話がかかって来るのはどうしてでしょうか。

 

11.歌手は口パク

来て少し経ってからテレビで歌手の口と言葉が合わないことに気がつきました。口は「あ」なのに「う」と声が出たり、口を開けていないのに声が出たりしている。おかしいなと思っていたらロシア、カザフの番組もそうでした。

しばらくして、昔は録音テープ、今はCDで曲を流しているからと判明。いつからこんなことになっているのかは不明です。独立後、ヨーロッパから入ってきたと言う話を聞きましたが。

 

12.生徒はウルトラマン

学校で生徒が手を挙げる格好は、ウルトラマンがスペシューム光線を出す時にそっくり(例が古いですが)。挙げる反対の手は机につけ、挙げる手の肘を机から離さず手先を左右に動かしている。はい、はい、と上に挙げる日本とは、随分違う。

 

13.車を止める時は手を横に

バスやタクシーを止める合図は、手の甲を上にして自分の横か車に向かって手を伸ばします。最初はどうも違和感があって、つい上に挙げたくなりましたが、今は慣れて普通になりました。

 

14.お金のジェスチャーは

お金の話をする時は、親指と人差し指をこすり合わせて数える仕草をする。ロシア人も同じ動作をするのでロシア式かも。

自分のほほに人差し指を当てて下に動かすのは「恥ずかしい」意味。日本では「悪い奴」ですが。

首の横に手を持っていき水平に動かすのは「もう満杯で要らない」ということ。首切りの動作ですね。

手の甲を上にして相手の方に向けて伸ばし、親指以外の指で握る動作を繰り返すのは「さようなら」。どうしても「こっちに来て」と間違えます。

所変わればジェスチャー変わる。

 

15.お元気ですか、を何回も

これはショックではありませんが。大学にいた頃、同じ学生が何回も「お元気ですか」と声をかけてきます。さっき会っただろうと思いつつ返事をしていました。これはキルギス語、ロシア語も「お元気ですか」に相当する言葉は同じ人に何回でも使っていいからです。

母語に訳しただけで使っているとこうなってしまいます。日本では1回だけだぞ、と注意してもなかなか直りませんでした。

それと祝日のお祝いに「おめでとう」を言います。「ノールズ(春分の日)おめでとうございます。」といった調子です。これもロシア式、キルギス式です。日本は言わないといってもなかなか直りません。

 

16.道につばを吐くな

キルギス人、ロシア人とも外でよくつばを吐きます。誰かを待っている人の周りには、つばの池ができそうです。つばを飲み込めないのでしょうか。私と話していて、人の顔を見ながらつばを吐かれた時は、「俺に何か文句あるのか」と言いたくなりました。相手はいつもやっているので何も感じていませんが、日本人からは「おいおい!」と閉口します。

 

17.ガスが、電気が止まる

最近はなくなりましたが、以前はガスが年に1,2回、2週間ほど止まりました。輸入先のカザフ、ウズベクに輸入代金を払えないと元を止められて、払えば復活。電気はカザフ、ウズベクに売っているので、使用量を減らすため村では夜中の停電が今でも続いています。

最初に住んでいたアパートでは、前の道路で熱水管の敷設工事を半年ほどやっていました。当然お湯は出ず、そのうちガスが止まり、さらに地区で何日か停電になった三重苦のときがありました。料理ができないのでサラダとパンを買って暗くなる前に食べて、あとは何もできないのですぐ寝ました。

 

17-1.熱水も止まる

市内のアパートは集中暖房を兼ねた集中給湯式になっています。これが毎年5月に1ヶ月間止まります。経費節約なのか会社の休暇なのかわかりませんが、モスクワも止まるとかでソ連時代からの行事です。

もう暑くなっている時期なので不便です。仕方なく鍋やヤカンでお湯を沸かして行水します。

18.海産物がない

日本では毎日刺身など食べていたのにキルギスでは何も手に入らない。キルギスに来て何ヶ月かして体中の海産物エキスがなくなりストレスが溜まりました。ニシンの塩漬けを塩抜きすると刺身風になると教えられ作ってみたら、刺身に飢えていたのでこれでも結構満足。冷凍シシャモを3枚に下ろして酢漬けで食べたり、いろいろやってみました。

7,8年前、韓国の店でマグロのブロックや蛸、鯖を見つけたときは感激しました。高すぎて手が出ませんでしたが今では昆布、わかめなど韓国店で手に入ります。まだカツオだしは売っていないもののいい生活環境になりました。

 

19.野菜、果物、乳・肉製品は美味しい

海産物は高価ですが乳・肉製品は日本よりずっと安くて美味しいです。それに野菜・果物が豊富で甘い。

牛や豚、馬、鴨の燻製ハムはバザールでキロ600~1000円くらいです。随分高くなりましたが日本のとは段違いに美味しい。これは伝統技術の違いでしょう。日本の製品は化学薬品の味です。他に自家製チーズ、プレーンヨーグルトも売っていて美味しいです。

蛇足ですが、日本で牛乳を飲むといつも腹を下したのに、こちらの牛乳は問題ないです。何が違うのかわかりません。

野菜・果物は気候が乾燥していて土がいいので甘くて美味しいです。日本の子供たちが食べればピーマン、にんじん嫌いが直ります。ピーマン、にんじんはこんなに甘かったの?と。

出回っている野菜・果物は、国内産だけではありません。きゅうり、トマトなど中国、ウズベク、パキスタンなど、オレンジは中国、イラン、モロッコから、その他陸続きの国から入ります。

スイカ、メロンも甘くて美味しい。キルギスには果物が豊富な夏に来るのがいいでしょう。

20. 町は暗闇の中

以前は街灯があっても切れているか故障していて、店も営業しているかわからないほど明かりを小さくしているので夜になると町は真っ暗に。夜出歩くときはよほど注意しないと水溜りなどに入ります。マンホールの蓋がない所が多いのも困りものです。外出には勇気が必要で、下を向いて歩こう、でした。

 

(カルチャーショックⅡに続く) 大滝

 

カルチャーショック 第 1部 2

キルギスのカルチャーショックⅡ     2013年5月

カルチャーショックとして書き始めたらたくさん出てきました。本当に驚いたというものから日本にはないちょっと面白いものまで、いろいろ書きました。

書くきっかけは日本語の授業で学生に「キルギスのカルチャーショックは何でしたか」と聞かれたことです。いろいろあるけど、と思いながらなかなか出てきませんでした。生活に慣れてしまったのでしょう。これではいけないと書き始めました。(Ⅲを執筆中)

 

1.日本は特殊な国

日本との習慣や考え方が大きく違うので、来たばかりの頃はショックでした。どうしてこんなに違うのか、と悩んだりしました。そのうち、日本が特殊な国でキルギスなど中央アジアは世界的には一般的な国だ、と考え始めたのです。

日本人は親切、嘘を言わない、時間を守るなどいい所がたくさんあります。しかし、世界からみるとこれは一般的ではない。どうしても日本の感覚で考えてしまうので、相手の国を疑問視している。これは見方が逆なのです。

逆転の発想まで何年かかかりましたが、「あーそうか」と眼から鱗でした。

この発想が最大のカルチャーショックだったかもしれません。

 

2.クーデターが2回も

2005年と2010年に大統領追放クーデターがあったことは、ショックとしてもっと早く書かなければいけませんでした。2005年は初代大統領アカーエフをバキエフが追放。2010年はバキエフをアタンバエフ(現大統領)が追放。アカーエフは、政治について何もしない私腹を肥やす無能な大統領で、2代目は初代のように私腹を肥やしたいと出てきました。2005年は無血で終了したのに、2010年は大統領側がいきなり発砲、狙撃手が20人近くいて群集を狙い撃ちし、500人以上の死傷者が出ました。

2005年のクーデターを知っている人は、まさか発砲するとは思わず大統領府の近くにいました。デモ隊ではなく単なる通行人も撃ったのです。大統領一族は国家財産を盗み海外に逃亡。逃亡までの時間稼ぎに地元で民族紛争に見せかけた騒ぎを起こしました。

2回ともクーデターの夜に市内で略奪、放火がありました。高価な商品を略奪、中国人経営の商店などは放火されました。

 

3.大家は泥棒だった

これもショックでした。2軒目のアパートでは大家(ロシア人女性)が泥棒に入ったのです。疑うことなく大家とドアの鍵を共有していたのが間違いでした。大学に行って帰ってきたらドアが開いています。大家が来ているのかと入ったら誰もいなくて、バッグなど荷物が散らばっています。

それからが大変でした。ちょうど学生が来たので警察を呼んでもらいました。警察にはどういう人間が部屋に出入りしていたかと聞かれ、大家と他に2人ほどあげると、室内の指紋を取ってから主な3人を警察に同行し取調べが始まりました。

翌朝、調べられていたキルギス語の先生から電話があり警察に来てくれといいます。昨日からまだ調べていたとは思いませんでした。

警察に行ってみると担当者が(なんかニヤニヤして)「誰かを犯人にしなければならないが、誰を告発するのか」と聞きます。その時はもう誰をという気にはならず、わからないと答えました。担当者はまたニヤニヤしながら、相手がいなければなくなった金は自分で使ったという書類を書いてくれと言います。自分では書けないので一緒にいた学生に書いてもらいました。これで取調べ中の3人が解放されたわけです。

後で考えてみると、大家は何回か理由をつけては部屋に来ていました。その時に金がどこにあるのか目星を着けていたのでしょう。部屋の鍵は壊されていたわけではなく、犯人は決まっていますが告発することは止めました。

これも後でわかったのですが、大家が犯人だと警察はわかったが大家は賄賂を払ったので、警察は告発されないよう私に書類を書かせたのです。

キルギス語の先生と学生には、苦労をかけたお詫びに慰労金を渡しました。その後すぐ引っ越したのは言うまでもありません。このこと以来、引っ越したらドアの鍵を交換しています。

 

4.女性は皆ジーンズ、パンツルック

女性はジーンズ姿ばかり、スカートは全然見ませんでした。何年かしてからもスカートはたまに見る程度。今は多くなったとはいうものの、ほとんどがジーンズなどで日本に比べればはるかに少ないです。

ただし、以上のことは若い女性で、中年(というより30過ぎ)になると急に太るのでスカートになります。

5.小学生からピアス、マニキュア

女の子は幼稚園くらいで耳にピアスを付けます。全員が幼稚園からではありませんが、耳に開けるのはイスラムの風習のようです。それにマニキュアをして、学校に行くので先生に怒られます。指輪や手首にする飾りも学校にしていきます。

化粧はもちろん、付けまつげやマスカラなどもしている子供がいます。私の日本語の生徒(小学生)はマスカラをしてました。日本では小学生でマニキュアなどしない、祭りの時くらいだというと驚かれます。

 

6.花嫁は誘拐して

花嫁は盗む、これが忌まわしい伝統です。全く相手の同意なしに車などを使って複数の人間で誘拐します。その後、花婿の家に連れて行き初めて対面。逃げ出すことはできず、そのまま生活することになります。オシュ方面では村の女性以外でも誘拐するとか。地方の村だけではなく都会のビシケクでも行われます。しかし、その後共同生活が続くかというとそうではなく、別れて別の人という話はよく聞きます

これは立派な犯罪です。しかし、キルギスだけでなく中央アジア遊牧民の風習のようです。このような略奪婚がどう始まったのか、まだ調べたことはありません。

 

7.生徒が突然消えてしまう

アパートで日本語を教えていますが、生徒が突然来なくなるのにはびっくりしました。勉強が嫌で来なくなったのではなく、学校や仕事が忙しくなったなどの理由。「次は何日に来ます」と言って帰ったのに待っていても現れない。今日は都合が悪くなったのだろう、と次の予定日に待っていても来ない。電話番号を教えてあるのに連絡が無く辞めてしまいます。そうかと思うと半年くらい経って電話が来て、「また勉強したいです」という。

休む時は電話しろ、と言ってあるのに、小学生から社会人までどの生徒も皆同じ。伝統的に親が子供に教育していないのでしょう。

 

8.肉はキロ単位

来たばかりの頃、バザールに行って肉を買いました。そんなには要らないので、300グラムと言ったら変な顔をされました。その時はわからなかったのですが、肉はキロ単位で買うのが普通でした。骨付きで売っているので、実質は半分くらいになります。それと骨付き肉を切るのも一苦労、日本では親切に細切れですから切ったことなどありません。

馬肉の新しいのを薄く切って馬刺しで食べたこともあります。しかしこれは、血抜きや病気の関係で危険でした。肉は黒くなるくらいよく焼く、時間をかけてよく煮るのが原則です。

 

9.焼き肉は石炭焼き

カフェやレストランの串焼き肉(シャシリク)は石炭で焼いています。低温で燃える石炭があるので、木炭ではなく石炭焼きです。店の外で足の付いた細長い箱に鉄串を並べて焼いているのがそうです。

 

10.バックします

向かいの店に肉か何か納入に来た車から「バックします」という声がします。車体に「~肉屋」と書いてある日本からの中古輸入車からです。突然の日本語で、ここは日本かと一瞬錯覚します。しかし、車からの声は誰も理解できませんね。「いつも出るけど何の音か」と思っていることでしょう。

パキスタン人が日本からたくさん輸入販売しているので、車体に「~神社」「~販売」などと貼ってある車が目に付きます。

 

11.電気もガスも強力

電気の電圧は220V、ガスは天然ガスなので日本よりずっと強力です。電気ポットの湯はすぐ沸くし、ガスにかけた水もすぐ熱湯になります。とはいってもガスの自動点火がないのは不便です。マッチか電池式の火花を出す点火器かチャッカマンを使うしかないです。しかし中国製チャッカマンはすぐ壊れます。早いのは2日、2週間以上もったのはありません。

デパートやバザールで探しても自動点火式のガス台は売っていません。ソ連時代は宇宙ロケットを打ち上げても自動点火は考えなかった?

 

12.挨拶は、ほっぺにチュ

来て大学で教え初めた頃、女子学生同士がほっぺにキスし合っているのを一日何回も見ました。こちらの習慣を知らないので、二人はレズじゃないか、と他の学生に言ったりしました。それにしては多い。

お互いにほほをすり合わせて軽くキス。相手に向かって左側または右側にキス。観察していると左側が多いようです。ダブルで左と右に、さらにはトリプルの場合、よほど親しいか懐かしい相手でしょう。

この挨拶はロシア人もキルギス人も同様で、年齢に関係なく女同士や男と女でもします。しかし、男同士は握手してから相手の背中を叩きあいます。

そういえば、最初のアパートの大家(男)からほっぺたの挨拶をされた時は、慣れていないので身構えて体が硬くなりました。

 

13.信号手前でグッズ販売

幹線道路の信号少し手前で道路中央に人が立っていて、停止した車から小銭を無心します。大体、身障者やフーテンぽい人が立ってます。事故にならないのが不思議。もう見慣れてしまったので風景の一つになりました。最近は何か小物を売ってる人がいます。

 

14.中央アジアはバザール経済

日本にはない販売様式バザールの、ごちゃごちゃした雰囲気が好きです。大きいバザールが市内に3つ、郊外に1つ、小さいバザールはたくさんあります。売り場がごったなので、慣れないとどこに何が売っているかわかりません。

だいぶ前、中心部にあったバザールや幹線道路から見えるバザールが撤去されて公園などになりました。モスクワ通りとソビエト通り角にあった深夜営業のバザールが撤去されたのは10年位前でしょうか。景観の問題からなのか、わかりません。

それと最近は、幹線道路近くにあるプレハブの店「キオスク」も撤去されています。アパート近くにあったキオスクがかなり減りました。何日か行かないと「あれ!」なくなっています。

 

15.トロリーバス、マイクロバス

大型バスに架線を付けたようなトロリーバスは日本にはありません。タイヤで走るので線路なしです。架線は昆虫の角のように長く伸びて電線と接触しているので、時々外れて運転手が屋根に上って戻しています。

市内を網の目のように多くの路線で走っている乗り合いマイクロバス。これも日本にはありません。系統番号は100番から始まって市内は300番未満、近くの市町やイシククリ方面へも出ている長距離は300番以上の番号です。

面白いのは料金を乗車するとき払いますが、乗車してから人伝いに渡して払う方法があるのです。お釣りは逆方向で渡ります。最初の頃、金を渡されたとき何かわからずとまどいました。面白いことにバス停以外でも止まる場所を言えば停まります。

車内のマナーは良く、老人や妊婦など弱者にはすぐ席を譲ります。これは日本で見習って欲しい。反面、つり革に両手でつかまり通路をふさぐキルギス人、まだ降りないのに出口に陣取る人には閉口します。村から出てきたばかりの人間かなと思われます。

 

16.タバコは外で吸え

タバコを吸わない人にとって近くで吸われるのは困ります。その点、ソ連時代は建物の外で吸ういい習慣を徹底していたようです。ただし、大型バス、マイクロバスの運転手が運転中に吸っているのはどういうことなのでしょうか。携帯で話をするし、ラジオの音楽を大きくかけたりして、聞きたければ客がいないときにしてほしい。

 

17.成績が悪ければ賄賂

成績が悪く留年になりそうな場合、教師や学部長に賄賂を払えば解決できます。大学で教えていた時、留年の成績を付けた学生がそのまま進級していたのは、学部長に払ったからでしょう。卒業も同様で、こんな調子で人材を育てていたらキルギスはどうなる。

 

18.キルギス伝説

キルギスに昔二人の兄弟がいて、魚が好きな方は日本へ行き、肉が好きな方がキルギスに住んだ、という伝説があります。伝説なのか比較的新しい話なのか不明ですが、日本に親近感を持っている訳です。相手が日本人だと聞くとこの話をよくします。

 

19.バカ、はキルギス語で

キルギス語に「バカー」と言うのがあって、「カエル」のことです。「タシバカー」は、「タシ」が「石」で「カメ」のことです。「カイダン」は「どこから」という質問です。

20.テレビ放送が半日休み

ロシアのテレビ局では何ヶ月かに一度、放送を半日休みます。放送局の維持管理のためですが、日本もやったらどうでしょう。それと番組と番組のつなぎ時間が空くと画面に時計が出てきて5~10秒くらい待ちます。これはキルギスの放送局もやってます。日本も見習ったらいいのでは。でもコマーシャル単価が高いからだめでしょう。

 

21.近くにあります

日本からお客さんが来て、学生の案内で旅行した時です。目的の場所は近いから歩いて行きましょう、と言うので出かけたら、30分歩いてもまだ着かない。まだか遠いな、というともう近いです、という返事。結局1時間近く歩きました。キルギスの広い草原や畑を見ていると30分くらいなら歩いても近くだ、ということになるのでしょう。

 

 

 

(カルチャーショックⅢに続く)

カルチャーショック 第 1部 3

キルギスのカルチャーショックⅢ     2013年5月

ショックな話と住んでいないとわからない興味深い話を併せて書きました。

 

1.お札で商品をパタパタ

朝早くバザールで買い物をしたとき、渡したお札で売り手が他の商品の上をパタパタ叩きました。「ん!」と思って聞いたら、最初の売上金でこうして、あとでたくさん売れるようにとの縁起かつぎでした。

商売の縁起かつぎでは、最初の売上金にプップッ、とつばを吐く真似をする動作があります。中近東からロシアで見られるそうで、韓国で見たとインターネットサイトにありました。

 

2.「パトーム」と「ザーフトラ」

「パトーム(後で)」・・・買い物をして手持ち金が足りないと言うと、店の人が言います。後で持って来ればいい、と思ったのですが、どうも言い方が違います。足りない分は要らない、負けるから買ってくれ、という意味でした。日本でも「あとでいいよ」と言いますが、やはり持ってくるのが前提でしょう。辞書だけではわかりません。

「ザーフトラ(明日)」・・・何かするべきことがあってもできない時、わからない時に言います。店に欲しいものがなくて「いつあるか」と聞くと「ザーフトラ」。「明日に」ですが、明日になってもあるかわかりません。明日の明日は、その明日は、となっていつになるかわからない、ということで、「いつかわからない」ということになります。

貸した金を請求すると「ザーフトラ」と返事します。明日また請求すると「ザーフトラ」、これで1ヶ月、1年、やがて相手は諦めます。

学生はこれを日本語に訳して「明日、明日」と言うのですが、意味はまったく違いますね。

 

3.酒は密造酒が横行

店で売っているウオッカは、蒸留酒ではなく工業用アルコールをブレンドしたものがほとんどです。しかも同じラベルでビンに入っていても、質の悪いアルコールで作った自家製密造酒が横行しています。公認印紙を貼ってあるのですが、収入印紙は本物をバザールで売っているそうで中身は粗悪品。普通の店で正常なウオッカと一緒に売っているので、飲んでみるまでわかりません。

サマゴンという名前の砂糖から作る蒸留酒があります。個人で作るのはいいのですが売るのは違法です。ソ連時代、身障者に収入を与えるため特例で製造販売を許可していました。2年ほど前までは街頭で売っていましたが、突然街頭から消えました。吟醸酒の味がしておいしいのでよく買っていたのに。販売禁止になったのでしょう、あちこち探してもありません。ロシア人は自家用に作るので、個人的に分けてもらうしかないです。

 

4.電球爆弾

アパートに帰ってきて電気のスイッチを押したら、ボンと音がして何か下に落ちました。電球のねじ込む部分の線がショートし、ガラスが割れて落ちたのです。これは何回かありました。最近は中国製蛍光電球(らせん状に丸い型)を使っているので爆発はありません。

 

5.おからの保冷剤

豆腐のおからを冷凍して保冷剤にしたら、なかなか優れ物です。夏の配達に保冷剤が欲しいとあちこち探しましたがありません。ふと、何年か前にお客さんがおからを冷凍しておくと話していたのを思い出しました。それで、冷凍して保冷剤にしました。

水と違って溶けてもぐちゃっとならないし、形を色々変えられて便利です。買う必要なし、古くなれば交換、廃物利用になって一石三丁。

 

6.中国のゴミ箱か

中国にある外国企業の工場や自国会社の電化製品などが陸路を通って大量に流れてきます。しかし、製品の質は良くありません。年式落ち、在庫、検査落ちなどが持ち込まれています。中央アジアは在庫処分地かゴミ箱扱いです。キルギスには工業製品の会社がないので不良品でも買うしかありません。

チャッカマンは2日で壊れ、電気ポットは分解してしまう、と言った調子でした。最近はだんだん良くなり、ゴム手は長持ち、液晶テレビ、DVDデッキは使えます。

 

6-2.拡大する郊外大型バザール

市の北部郊外にドルドイと言う大型バザールがあります。衣料品から家庭用品、電気製品など多品種の商品を安価で売っているので、安いものを求めて1時間くらいバスに乗って買いに行きます。

しばらく行かないと新しい販売区域ができています。どこも貨車のコンテナーを利用した店舗で売っていて、売り場番号をメモしていないと同じ場所には戻れません。それほど広いのです。中央アジアで一番大きい規模とかで、中国から大型トラックで大量に商品が運ばれています。

 

7.授業は生徒が移動

第一学校では授業毎に生徒が移動します。日本語教室で待っていると生徒がやってくるわけです。しかし、授業と授業の間が5分なので、生徒は移動に忙しいです。授業以外で生徒はどこにいるかというと、学年の教室があってそこにいます。

生徒の成績は5段階評価、学期ごとに生徒の手帳に記入します。授業後、生徒が書いている学科のノートにその日の評価を記入したりします。1クラスで生徒の数が5,6人なのでいいですが、それでも面倒です。

大学で学生が教室を移動するのは日本も同じですね。大学では毎月月例テストがあり、成績は学期ごと手帳に記入するのは生徒と同じ。卒業証書は、見開きになった厚い表紙の冊子で成績が記入してあります。

 

8.「はい」は1回だけにしろ

大学にいた頃、学生が「はい、はい、はい」と続けて返事をします。日本でも言いますが、単なる同意の「はい」と意味が違ってきます。これはロシア語の影響でした。ロシア語は同意・承諾の意味でも「ダー(はい)」を3,4回繰り返してもいいのです。

 

9.パンが美味しい

日本のパンは小麦粉を漂白しているので、小麦粉の味がしません。それでジャムやクリームなどを入れないと美味しくないのです。こちらのパンは薄い茶色、焼いた小麦粉の色です。外国人が日本のパンを見たら驚くでしょう。どうして白いんだ、と。

こちらのパンは、小麦粉の味がして美味しいのでよく食べています。丸いパン、四角いパン、もちろんリンゴやイチゴなどのジャムパンもあります。パンを始め、野菜、果物、ハムなど美味しい物を食べに来て欲しいです。

 

9-2.笑顔がない売り手

店やカフェなどどこでも売り手は笑顔なし、無表情です。最初は売りたくないのかと思いました。買っても無表情、おつりは手渡しではなくカウンターに置くだけ。日本のマニュアルを読ませてあげたい。レストランではハイアットホテルのウエイトレスだけ笑顔を見せます。

 

10.傘がない、帽子がない

雨が降っても傘をささないで歩いている人が多いです。日本と違ってあまり降らないし、降っても小雨で長くは降らない、というので持ち歩かないのでしょう。買う余裕が無いのもあるでしょうけど。それで、たまに強く降った時は、ずぶ濡れになりながら歩いています。

傘をしまう時には干さないで、たたんだままです。それで布がくっついて

すぐ悪くなります。

それと、夏の強い日差しでも帽子をかぶりません。日本人なら、病気になるぞ、と注意されるところです。「カルパック」という民族帽子があるのに、かぶらないのは何故でしょうか。来たばかりの頃、普通の帽子が売っていなくて探すのに苦労しました。

 

11.キルギスは夫婦別姓

キルギスでは、結婚しても夫の姓になるかは選択できる夫婦別姓の制度です。夫の姓になる人がほとんどのようですが、最近は別姓の人も多いとか。別姓でも子供の姓は父親の姓になります。

 

11-1.結婚式は交通事故の元

アメリカ式、ロシア式でしょう、結婚して登録署名を済ますと新郎新婦を乗せた車が町へ繰り出します。飾りを付けた仲間の車が隋送してクラクションを鳴らしながら走ります。しかしスピード違反や信号無視をするので、一般の車と事故を起こした現場をよく見ます。車が少なかった昔と違い、今では危ない行為です。

新郎新婦用の車は、アメリカ製の長ロングボディーの車が使われています。

 

11-2.蒙古班

実際に見たことは無いですが、キルギス人の乳児にも蒙古班があるそうです。モンゴル系の遺伝子があるわけで、チンギスハン以後モンゴル人がウズベキスタンやロシア方面に進行していますから、その辺の関係でしょうか。

 

12.子守は男の仕事?

キルギス人でもロシア人でも若い男性が一人で乳母車を引いて散歩しているのをよく見かけます。夫婦の場合も男が引いています。日本では見ないでしょう。

そうかと思うと、小さい子が赤ちゃんをお守しているのもよく見ます。自分と同じ大きさくらいの赤ちゃんを抱っこしたりしています。感心しますが危なくないの?

 

13.ドルが消えた

10年以上前ですが、アパートからドルが消えてしまいました。消えたと言う表現がぴったりします。誰もいなかった、何も異常は無かったのに、1回に何千ドルが消えたのです。当時、銀行は毎年倒産するところがあって危なかったので、現金でアパートに置いてありました。寝る前に確認して、朝にはなくなっている、ということが何回かあって、合計一万ドル以上が消えました。それも子供の誕生日に、です。

全く訳がわからずショックでしたが最近になって思うに、あれは運命の神様が一時預かりしてくれたのではないか、ということ。金を持っていれば使ってしまう私の性格を知っていて預かった。そして、近年になって豆腐、納豆などの注文が増え、預かり金を還元しているのです。

神様の配慮は有難いことだ、そう考えているこの頃です。

 

14.静岡のビニール袋が

だいぶ前ですが、バザールで買い物をしたらビニール袋をくれました。ふと見ると「生活倉庫」と書いてあります。静岡センター近くにあったデパートのもので、はるばるキルギスまで運ばれて来たのです。

これに限らず、時々日本の袋を見かけます。ひらがな、カタカナはどの国の文字か誰もわからなないでしょう。

 

15.引越しは10回近く

これはショックではないものの、少し関係します。

  • 最初のアパートで何千ドルか消えたので引っ越しました。
  • 引越し先で大家が泥棒をしてまた引越し。
  • 次のアパートは大家夫妻が離婚してアパートを売ることになり、2ヶ月でまた引越しに。泥棒大家と離婚大家のアパートは、ダミーラに探してもらった場所です。また頼むと良くないことになりそうなので止めました。

次は、④ちょうど三井先生が一時帰国するというので留守番を兼ねて同居しました。次のアパートを探していたら、

  • たまたま人文大学の先生から紹介があり引越し。そこは半年の約束だったので⑥次はアスカルの母親が持っているアパートに行きました。2年位してアスカルの両親が離婚、母親と娘たちが住むことになり突然の引越しになりました。当時、民間日本語学校で教えていたので、
  • 学校で探してもらい市の東端地区のアパートに引越し。1年位して、日本へアルバイトに行くためアパートを引き払い、荷物を彼女の家に頼みました。

⑧帰ってきて人文大学の教師用アパートに引越し。そこは氏原氏が入居していることになっていたのですが、大学に又貸しがばれ、移転を余儀なくされました。

次を探しているところで、

⑨たまたま今のアパートが空いていたのです。日本人教師が住んでいたのですが、一時帰国中に発病して国外には出られなくなりました。在住日本人からの情報で滑り込みセーフ、いい所が見つかりました。神様が用意してくれた気がします。

交通や生活に便利な場所なので、もう4年住んでいます。これは今までで居住の最長記録です。

 

16.逮捕者や裁判風景を放送

逮捕された人物を取調べる様子や裁判が行われている様子をテレビニュースでよく放送しています。手錠をかけての写真撮影やインタビュー、調書作成風景などです。ソ連時代からの慣習なのでしょうが、日本ではあり得ません。

 

16-1.変に長く映す

テレビニュースの記者会見では変な撮り方をしています。会見している人より取材に来ている関係者をよく撮っているのです。美人系の取材者が多く、たまに撮影している他局のカメラマンを撮ったりします。しかも時間が変に長い。

ロシアのニュースもそうなので、ソ連時代に教えられてそうなったのでしょう。時間が余ったからと思ってしまいます。ニュースの違和感は未だに消えません。

 

17.キルギスにあって日本にないもの

日本にあってキルギスにないものはたくさんありますが、キルギスにあって日本にないものは。

1.トロリーバス(バスの天井に架線を付けた型式の電車)

2.マルシルートカ(乗合の路線マイクロバス)。バス停以外でも停車

3.バザール         4.ボズイ(移動式テント)

5.プレハブのキオスク

6.カイマック(ロシア語はスメタナ)、(サワークリーム)

7.セミチカ(ひまわりの種を炒った物。ペットではなく人が食べます。)

8.密造酒(ウオッカ等)、密造薬    9.氷河を抱く高山

10.東西180kmの湖や標高3000mにある湖

11.交通警察(賄賂徴収)

12.市内のアパートに熱水を送る熱供給センター

13.路上でタバコ一本、ガム1個売り

14.路上で木樽に入れた飲料水のコップ売り(ショロ社)

15.料金メーターがない個人タクシー

16.石炭で焼いて売る串焼き肉

17.美味しい生ハム、乳製品、釜焼き丸パン

18.通常湿度50%前後の気候

19.10カ国以上の人種が居住する町(キルギス、ロシア、カザフ、ウズベク、

トルコ、中国、韓国、ドゥンガン、ウイグル、タジク、パキスタン等)

20.国内ニュースでも2カ国語(キルギス語版、ロシア語)のニュース。

21.いつも口パクで歌う歌手

22.冷たいのを飲んでも腹を下さない牛乳

23.音程がずれている国立オーケストラ

(2015年2月、12~追加)

 

18.アパートは北向きが良か

ビシケク市は130年ほど前、帝政ロシア時代に都市計画決定されました。公共施設、アパートなど実際の建設は1950年代になってからです。設計は白夜の都市モスクワで行ったので、何千キロも離れた暑い国の様子はわからなかったのでしょう。アパートの向きは東向き、西向きなど様々。北向きもあります。土地は十分にあるのに、南向きではなくわざわざ西向きにして西日が当たるようにしてあるのは何とも不便です。今でも新しく建設するアパートを西向きにしているのを見かけますが理解できません。

19.頭上注意

これはショックな出来事です。大きな交差点で人を待っていた時、広い道をトロリーバスが通り天井の架線が外れて止まりました。その振動が道の向こうから電線に伝わり私が立っている方にやってきて、頭上の街路灯がギシギシと揺れました。何となく危険を感じて数歩移動した途端、つい数秒前に私が立っていた場所に街路灯の大きなランプとカバーがドスンと落ちました。あの場所に立っていたらどうなったことか。

他に人がいなかったのは幸いでした。帰りにカフェでウオッカを飲んで厄払いしました。

 

20.新築アパートは自分で内装を

最近まで日本語の勉強に来ていた生徒(主婦)がアパートを買いました。それで毎日修理に行っていると言います。新築なのになぜ、と思ったら、内装は自分たちで行うというのです。設備のあるアパートは高いので、内装も何もないアパートを買って、電気、ガス、水道も自分たちで設置すると聞いてびっくり。これが一般的な売買のようで、今まで知りませんでした。

生徒が買ったのは12階のアパート、しかもまだエレベーターが動かず毎日階段を上がっているそうです。

 

21.豆腐、納豆作りは「石の上にも4年半」

私の豆腐、納豆作りについて書きます。

キルギスに来た当初から日本の食べ物が欲しくなって何かを作ろうと考えました。今のように日本のカフェはなかったですから。それで豆腐、納豆がいい、と決めました。

まず、作る方法と材料、道具探しから始めてバザールをあちこちしました。当時働いていた人文大学の春休み、夏休みなど長期の休みだけに作ったので、豆腐が固まるまで、納豆が糸を引くまで4年以上かかってしまい、途中何度もやめようと思いました。

できなかった最大の原因は大豆です。バザールで一般的に大豆として売っているのは大豆と何かの掛け合わせなので大豆成分が少なく、韓国大豆という種類でないとだめだったのです。

失敗の原因は他にもいろいろあって、豆腐では大豆の粉砕が弱かったり、納豆では大豆が乾燥しすぎたりでした。豆腐が固まった時と納豆が糸を引いた時は本当に喜びました。

その後、これは売れるかな、と思い、知り合いに声をかけ売り始めてからもう10年です。初期の製品はあまり良いものではなかったものの、珍しさから買ってもらえました。といっても日本人が少なかったので(当時は20名以内)、注文は細々でした。今は150人くらいになって、日本食カフェができたりしているので注文は多くなりました。

常に作り方や容器を改良し、より良いものをと心がけています。カザフやロシアにも売っている人はいないようで、お土産に買っていく人もいます。試行錯誤で悩みましたが途中で止めなくて良かったです。

 

22.エンジンを止めろ

ガソリンスタンドで燃料を入れる際でもエンジンを止めません。爆発でもしないかと心配になりますが、事故はないようです。それより水が混入したガソリンを売っている方が困るかも。タンクの防水が悪く水が混ざっているガソリンを売っていたりします。今はないでしょうが。(2014年3月追加)

 

23.薬を量り売り

薬局に風邪薬の錠剤を買いに行ったらいくつ買うかと聞きます。いくつだって?と聞き返したら薬が入った新しいビンを見せて錠剤をいくつ買うのかと言います。それでビンを開けてから袋に分けてもらいました。何回か買っている薬局ですがこういう売り方は知りませんでした。タバコを一本ずつ売っているのは知っているけど何年いても驚くことは出てくるものです。(2014年10月追加)

 

(カルチャーショックⅣ に続く) 大滝