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カルチャーショック 第 2部 1

キルギスのカルチャーショック (第2部)Ⅰ   2015年6月―16年1月

カルチャーショックが10になったので第一部として、少し休んで第2部を書き

始めました。新しい動きなど書いていけたらと思います。

 

1. パスポートセンターが突然スーパーに

トルストイ通りにフルンゼというスーパーマーケットがあって隣がパスポートセンターでした。居住登録をするため半年ぶりに行ったらシャッターが閉まっています。移転した?しかし、どこにも案内がない。他にも一人来ていましたがわからない様子。近くにいるタクシーに聞いたら旧空港の建物に移転したと言います。何も移転表示がないのはさすがキルギスですね。

どうも隣にあるスーパーフルンゼが売り場を拡張する様子です。パスポートセンターは一時的に借りていたのかもしれません。

 

2.マイクロバスの前転

交差点でバスを待っていたらマイクロバスがやってきて信号手前でブレーキをか

けたら、どういう加減か見事に前転、屋根で滑って停まりました。運転手は無事

に這い出してきて連絡に行ってしまいました。

映画のシーンを見ているようで車はあんなに回転するんだと感心しました。

 

3.親ばかですね

民間の日本語学校で教えている時、日本語を勉強させたいと言って3歳くらいの

男の子を親が連れてきました。他にも英語や何か、いくつも習っているようでし

たがこんな小さい子を教える方法を知らないと断りました。子供が少し覚えると

もっと習わせたいと考えてしまう、親ばかですね。

 

4.本物の紅茶はどれだ

もう15年近く前ですがベータというトルコ系会社の紅茶は美味しかった。味がわからない私でも甘みや味があって美味しいと感じました。それがいつの間にか、味がない、色素と香料だけのお茶になったのは残念です。ベータに限らず他のメーカーも似たり寄ったりで甘みがなく色は色素を加えただけのまがい物が多いです。

最近は「アクバル」というのを飲んでいますがいつまで品質がもつのか。売れると偽物が出たり質を落としたりするのでしょう。すぐひどい味になります。

昔は緑茶ばかり飲んでいたのに今は紅茶主体になってしまいました。それでなおさら美味しい紅茶はどれなんだ、教えて欲しいです。

 

5.「オタキ」と呼ばれて

来たばかりの頃、道でよく「オタキ」と呼ばれ振り返ったりしました。私の名前を知っているはずはないし・・・しかしそう言っているのです。大学で「オタキ」という言葉はあるのかと聞いたらないという返事。

だいぶ経ってからロシア語の「ボト、ターキ」だとわかりました。「ほら、こんな」という意味なので結構使います。私が聞くと「オタキ」に聞こえるので、その度に「うん?」と注意を向けることになります。

 

6.ヤポーニアとヤ・ポームニュ

ロシア語で「日本」は「ヤポーニア」または「イポーニア」です。発音が似ている表現で「ヤ・ポームニュ」があります。ロシア語で「(私は)知っている。わかる。」という意味なのでよく使います。

歩いるとき「ヤ・ポームニュ」と聞こえると、どうしても「ヤポーニア」と聞いてしまいます。「え、日本がどうした?」と注意が向きます。

 

7.一万円札で10円の買い物

マルシルートカと呼ばれる路線マイクロバスが市内を始め郊外へも運行してい

ます。運賃は市内の1回乗りで10ソム(20円)、郊外に延びる路線は高くなり

カザフ国境までは30ソムです。運賃は運転手に直接払うワンマンバス方式でしか

も両替などの料金箱はないので運転手は忙しいです。

時々、支払いに500ソム札(1000円)や1000ソム札で払うのを見かけ

ます。日本で言えば1万円札で10円の物を買うようなものです。払うのは2、

3人分なのに細かいのは持っていないのでしょうか。

 

8.マイクロバスは乗換えさせられる

路線マイクロバスの乗客が少なくなると同じ路線の別のバスに移らされる事が多

いです。自分の食事など運転手の都合によるわけですが乗客が少ないとまた移動

かと面倒になります。

 

9.マイクロバスはエアコンがない

燃費が悪くなるからでしょう、どのマイクロバスにもエアコンは付いていません。余程古いバスは別にしてエアコン仕様なので窓ははめ殺しです。天井に通風口を開けてあればまだいいですが夏には長く乗っていられません。

 

10.必要ですか、と聞かれて

日本からの郵便物を取りに行きたいから一緒に行ってほしい、と頼んだら「それは必要ですか?」という返事。必要でないのに日本から送るものか、と怒りたくなります。日本語学習者から「必要ですか」という返事を以前から何人も聞いています。どうもロシア語を訳したようです。

ロシア語の意味合いが違う、それか言い方が違うのでしょう。言葉の使い方で相手を怒らせることになります。

 

11.1日違う

「~日まで休みます」、「~曜日まで休みです」、という表現で、日本語とロシア語、キルギス語は1日違うようです。

例えば、「9月1日まで夏休みです」と言った場合、日本語では9月1日は休みになります。しかしロシア語、キルギス語では9月1日に授業や仕事があるのです。

以前から違いがあると気がついていたので、~日は休みですか、~曜日はどうですか、と聞くようにしています。

 

12.「オタキ」と呼ばれて その2

私の名字は「おおたき」ですが、「おおたき」ですと紹介しても相手は「オタキ」と呼びます。キルギス人、ロシア人ともにそうですから「おお」は言いにくいのでしょう。

 

13.真夏でもスカーフ、ロングスカート

敬虔なイスラム女性は戒律を守り、顔、手先以外は人に見せません。夏にイスラムスタイルを見ると暑くないのかと心配しますが、素材が良い物なのでしょうか涼しげな表情です。街の女性は短パンにタンクトップというのに違いは大きい。私のクラスの学生もこのスタイルが2人います。

 

14.茹でトウモロコシ

路上で茹でトウモロコシを売っています。日本と違って塩を入れないで茹でて

売るときに塩を振り掛けます。塩茹での方が全体に塩味がついておいしいのでは

ないかと思うのですが。

 

15.猫語

アパートの入り口に来たら野良猫らしき猫が寄ってきました。足の周りを回って

なにやら意思表示をしています。「何だ?」と聞いたら「ニャ-」と答えました。

理解不能。いつか猫語を習わないといけません。

 

16.ラジオ体操

ある大学で職員の希望者に簡単な指圧をしていました。私は専門家ではないので

すが少し施術料をいただきました。よく「ハンドロース」というロシア語を聞き

ました。辞書で調べたら軟骨炎らしいです。しかし軟骨とは違うようで、日本で

いえば肩こりなどの症状ではないかと思います。コンピューターなどで長時間仕

事すれば肩こりになります。

キルギスで日常の体操はしないようなのでラジオ体操を始めたらどうでしょうか。

 

17.バスの席譲り

日本と違ってバス車内ではお年寄り、妊婦、子供を抱いた人などに席を譲ります。

建物内でタバコを吸わないことと並んでソ連時代からのいい習慣です。私にも譲

ってくれてありがたいですが、そんなに年ではないぞ、このくらいは大丈夫なの

に、などと偏屈に考えてしまいます。若い人から見れば相当の年に見えるのでし

ょうね。

18.携帯電話

私が来たときには携帯電話会社が2社ありました。99年のバトケン人質事件の

ときに日本から取材陣が大挙押しかけ電話会社は繁盛したようです。

最初のころは携帯に度数を入れるのは電話会社が発行するカードからでした。カ

ードのコードを電話に入力するのです。しかし使用期限が短く2週間しかありま

せん。切れる前に次の度数を入れないと消えてしまいます。次に3ヶ月の期限に

なり今は期限なしで会社窓口やキオスク、最近は入力端末器で度数を入れられます。

最初の頃にあった会社「カテール(KATEL)」は今でもあるのか知りません。

もうひとつの会社「モバイル(MOBIL)」は2007年ころ「ビーライン」

という会社に変わりました(吸収合併か)。同じころ、新しく「メガコム(ME

GACOM)」という会社が登場し盛んに宣伝し始めました。2代目大統領が起

こしたクーデターの後なので大統領関係かも。

何年かして「オー(O!)」という会社が参入、料金が安くインターネットなど

多くの利用ができるので利用者はかなり増えています。現在はビーライン、メガ

コム、オーの3社が利用者獲得に懸命です。日本と違い1台の携帯でも別会社の

登録チップを入れれば使えます。それでバザールの街頭などでそのチップを売っ

ています。

 

19.携帯電話 その2

最初の頃は携帯電話を使っていませんでした。なくても困らないし、という訳で

す。何年かして清水市の先輩たちがビシケクを訪問するというのでそれを機会に購

入しました。その後あまり使わないので何年も気にしていなかったのですが度数

の減り方が早いのに気がつきました。度数を入れに行った店で聞いたら電話会社

の契約料金体系が古いためと言われました。それで会社の受付窓口に行って新し

い料金制に変えてもらいました。もう7年くらいそのままだったので窓口の人は

こんな古い料金契約をまだ使っていたのかと呆れていました。

日本の携帯電話との違いは、

1.電話機は買取  私が使っているのはカメラや録音などの機能がないもの

なので4000円です。

2.使用料金は後から請求されるのではない。電話機に度数(料金)が入ってい

ないと受信はできても発信できない。

3.一つの電話機に別会社の登録チップを入れて別番号で使える。

20.8年ぶりの引越し

2008年暮れにジベックジョル沿いのアパートに引っ越してからいつの間にか

7年経っていました。配達先に歩いて行けるしバザールも近いので便利です。

しかし、だんだん家賃が上がり豆腐などの収入が全部家賃に消えていく有様で

した。そんな時、国際大学で教えるとアパートを提供すると聞き早速契約しました。

早く引越ししたかったのですが留学生がまだいて5月に卒業、帰国するというの

で待つことに。しかも留学生がアパートを汚してしまったので修理、掃除をすると

いうのです。どんな使い方をしていたのか不明ですが。

キルギスのことで修理、掃除がなかなか終わらず、7月という話が8月になり・。

修理が終わったアパートを見たのですが電話線の配線がまだとか言ってゴーサインが

でません。これでは来年になると思い電話線は自分で取り付け9月下旬に引越しする

と大学担当者に伝えて勝手に引っ越しました。

8年経って体力が落ちていました。豆腐などの営業を早く始めてしまったので疲れ

て臨時休業する結果になりました。

 

20-1.8年ぶりの引越し その2

インターネットは国際電話が使える電話でないと今までのプロバイダーにつながり

ませんでした。大学に国際電話が使える契約にしてほしいと交渉しましたが首を縦

に振りません。理由は何年か前、留学生が国際電話を使って料金を払わないで帰国

したからだと言います。とんでもない留学生がいたものですが私はそんなことは

しないと言っても信用しません。

仕方がないのでインターネット契約を別のプロバイダーとしなければならず面倒

でした。とはいえ瓢箪から駒で、送受信速度が20倍くらい速くなったので楽にな

りました。

(第2部 Ⅱに続く)

カルチャーショック 第 2部 6

キルギスのカルチャーショック 第2部 6        2018年3月

このシリーズは日本にいる知人にキルギスの様子を知らせる視点で書き始めました。最近は 日本人会の方たちにも読んでいただいているので少し書き方が変化したようです。

1.オシュのイチジク

去年の夏オシュ市に行った時バザールで見たことがない物を見つけました。花だと思って聞

いたら果物でそのまま食べればいいと言うので4個か5個100ソムで買いました。食べた

らイチジク、熟していて皮は柔らかく甘く日本のより断然おいしかったです。

 

2.オシュとジャララバードの滝

オシュ州からバトケン州に向かう山中に「アブシル・アタ」という観光地があります。ここ

では岩山の中腹から水が滝になって落ちています。

どうして中腹から水が?多分ですが元々地下水が流れていた水路をそれと交差して流れる川

が何万年もかかって山を削り水路を中断させてしまったのではないかと。現在の川は滝の水

路よりずっと下を流れていますが最初はずっと上を流れていたはずです。削った岩山にたま

たま地下水路があったのでしょう。何万年もかけた自然の創造物です。

オシュ州の北隣にあるジャララバード州のアルスサンボブという所にも滝があります。低く

広がった滝と離れた所に高さ100mはありそうな滝がありここも観光地になっています。

キルギスの伝説にアルスサンボブは世界のクルミの発祥地とあります。アレキサンダー大王

がここからクルミの木を持ち帰って広がったそうです。

アルスサンボブに向かう途中には小石を積んだような小山が並んでいます。これは勝手な推

測ですが氷河が運んだ石ではないでしょうか。氷河期の終わりに山から石を含んだ氷河が移

動してきて溶け運ばれた石が積まれたのでは。

イシククリ湖にもサンタッシ(訳は数える石)という土地に石が積まれた山がありこれに

ついて昔話があります。昔、戦いに行く兵士が石を一つずつ積んで行き、帰って来た時も一

つずつ積んだ。帰って来た兵士の数は少なかったので高さが異なる山になった、というもの

です。ここも氷河が運んだ石でしょうが昔話は情緒があります。

 

3.キルギス(クルグズ)と言う由来

イシククリの昔話を書いてそういえばキルギスの名前の由来を書いてなかったと気が付きま

した。

キルギスというのはロシア語、キルギス語は「クルグズ」ですがその始まりについての伝説

があります。昔、大きな戦争があり多くの人々が死んでしまった。その時40人の若い女性

たちが残りこの女性たちからキルギスが始まったというものです。

伝説にある数字の40はキルギス語で「クルック」、若い女性を「クズ」と言います。これ

を続けて「クルック・クズ」が「クルグズ」になったと言います。どうして40という数字

なのかは民俗学的な考察が必要、とはいえ手元に資料はありません。

 

4.キルギスの昔話

昔話の一部を概略紹介します。地元で聞いたり本で読んだりしたものです。

<どうしてイシククリ湖に水が溜まったか>

昔、イシククリにある金持ちの家で働いていた女性が主人から何か疑いをかけられ悲しんで

家の井戸に身を投げた。そこから水が湧いてきて湖ができた。

別の話では、何かの原因で恋人を失った女性が悲しんで流した涙で湖ができた。涙でできた

から水は塩辛くて暖かい。(イシククリはロシア語、キルギス語はウスク・コルでウスクは

熱い、暖かい、コルは湖という意味です。)

<ナリンとアトバシー>

ナリンはキルギス語でナルン、馬肉を使った料理の名前です。アトバシーは馬の頭という意

味です。

昔遠方から来た旅人がアトバシーで少し休みました。ところが乗って来た馬が逃げ出して

しまい、怒った旅人は馬を捕まえて殺してしまった。それで頭をアトバシーに置いて肉を

ナリンに持って行き食べました。

<オシュという呼び方>

皆さんオシュと言いますがキルギス語は「オシ」です。これは馬や羊を追う時の「オシ」、

「オシ」という掛け声から来たと言います。

 

5.コムスには楽譜がない

キルギスに3弦の民族楽器コムスがあります。日本でいえば三味線ですか、しかしバチでは

なく指先で引きます。他にオズコムスという口琴やクヤークという馬の尻尾の毛を弦にした

2弦楽器もあります。

私はひょんなことからコムスを半年ほど習ったことがあります。土産物店の人にコムスを買

いたいと伝えたらコムスと一緒に教える先生も来たのです。折角だからとその先生が教えて

いる学校に行って生徒と一緒に習いました。

楽譜がないので押さえる弦と場所を先生が示してそれを少しずつ覚えていきます。調弦も大

変です。帰って来てから復習、また行って次を覚えるという繰り返しでした。結局簡単な曲

を2曲練習してギブアップしました。生徒たちはすぐ上手になりましたけど。

 

6.2010年クーデターの痕跡

2010年のクーデターでは大統領府の屋上から複数の狙撃兵が周辺にいる市民を無差別に

撃ちました。クーデター後しばらくは大統領府の鉄柵に銃弾が貫通した穴が残っていました。

いまではもう取り替えたと思いますが大統領府近くに行った時は周りを歩いて探してくださ

い。大口径の銃で撃ったので大きな穴が開いているはずです。

 

7.優秀な占い師が就職か

昔の天気予報はまるで当たらず下駄でも投げているのかと思ったくらいです。暑いと言えば

寒くなる、雨だと言えばいい天気、昨日の天気を言っていたのか。しかし今は専門家が育成

されたのか当たっています。それとも優秀な占い師を雇ったか、などと言うのは失礼ですね。

 

8.ロシア数字、文字がわからない

筆記体のロシア数字が読みにくくて困ります。「1」は頭に小さい丸が付くので「9」と似

ている。「4」は右横線が出ていないし「5」と「6」も紛らわしい。「7」は斜めに線が

入っている。ということで品物に値段が付いている時はいつも聞いて確認します。

それに筆記体の文字はどこで切れているかわからないので読むのに苦労しています。子供の

頃から使っていればわかるのでしょうけど。一方、日本語学習者は漢字の音読み、訓読みで

苦労します。

 

9.お湯は飲まないで

来たばかりの頃学生がアパートの湯は飲まないでくださいと言いました。理由は親が熱セン

ター(テツ)を見学した時お湯がとても汚れていたからだとか。どんな状況だったのか詳し

くはわからなかったです。

麺を茹でる時お湯を使っていましたがそれ以来水から沸かすことにしました。なお他の人も

お湯を飲むなと言っているのかは知りません。

 

10.テレビ放送に休暇がある

テレビのチャンネルを選んでも時々放送していない局があります。これは電波が悪いからで

はなく1か月か2か月に1日夕方くらいまで放送を休んでいるのです。どのような理由から

か知りませんが良い制度だなと思います。日本ではスポンサー収入などいろいろ課題があっ

て無理でしょうけど。1日24時間365日ずっと放送ではなく一斉に休む制度があっても

いいのでは。

 

11.日本にこんな電熱器あったかな

日本で電熱器といえばホットプレートを思い浮かべます。しかしビシケクで売っているのは

別製品でしかもかなり強力。何年か前に工事などでガスの中断が続いた時電熱器を探したら

見つけました。それまでの電熱器はニクロム線を使ったものでとても豆腐などはできません。

ホットプレートは熱源を内蔵したフライパンか鉄板といったものですがこの製品は熱源に鍋

やフライパンを乗せて使います。最初は半信半疑でしたが豆腐も納豆もできました。

何という名称なのかロシア語で「太陽光の」と言っていたようです。メーカーは何社もあっ

て大体1300ソムくらい。私の記憶にはありませんが日本で売っていますか。

 

12.クリームとプロフ

キルギス語もロシア語も「L」「R」の発音があります。私の場合この発音というか聞き取り

ができない。キルギス語を習う時も聞き取りができないので当然発音も間違え大変でした。

結局日本語の「ら」行で生活しています。

通常は変な発音と思われながらも何とかなっていますが「クリーム」「プロフ」はどうも

だめです。注文するといつも聞き返されます。発音を一生懸命練習しなければ・・・。

 

13.梅干し

10年以上も前ですがバザールで野菜のシソを見つけ嬉しくなって梅干を漬けました。シソ

は「ライハン」と言います。梅の仲間の「ウルック」を買って天日干しして漬けました。結

果は形が崩れてしまい失敗。原因はウルックが熟し過ぎていたことです。青いのは売ってい

ませんから。いつか青いウルックを買って漬けてみたいです。

 

14.ロシア大統領選挙

今月(3月)18日にロシア大統領選挙の投票が行われます。現職プーチン大統領は調査で

得票率70%弱、他の候補は1ケタ台から0.何%の予想と大きな差が出ています。このシ

リーズが送信される頃は結果が出ているでしょうが結果は予想できます。

ところで、ロシアの現首相は前大統領でした。えー!という感じですがプーチン大統領は多

選禁止の憲法規定があるため一期首相に退き仲間を大統領に就かせました。そして前回の選

挙で大統領に復帰、仲間の大統領は首相に就いたのです。驚きますね。

プーチン大統領は若いので次の多選禁止規定でも首相に退いて・・となるのでしょうか。こ

れでいいのかと思うのは私がロシア国民ではないから?プーチン大統領は人気がありますか

ら良い政治をすれば多選も許すということなのか。

 

15.バスの席譲り

バスに乗ると相当の爺さんが乗って来たと思うのでしょう、私に席を譲ってくれます。断る

のも悪いから座りますが私はなるべく立っていたい。実は足のトレーニングをしたいのです。

少し膝を曲げバスの振動に合わせ体の態勢を調整します。足が弱ると体全体が弱りますから

トレーニングは必要です。ビシケクの皆さん、私に席を譲らないで。

 

16.調音が違うのでは

オペラバレー劇場にマナスという専属オーケストラがあります。何年か前に聞く機会があっ

た時、弦楽器の音がずれている、調音が間違っているのではないかと感じました。不協和音

に聞こえるのは私の耳がおかしいのか。日本で楽器を習っていたわけではないので何とも言

えませんが他の方の意見も聞きたいです。

 

17.アルマータ2泊3日

2月、キルギスビザを取りにアルマータに行きました。12月に申請したのに移民局の許可

書類が遅れて期限が切れるので外国でビザを取ることになったのです。または罰金一万ソム

払うかの二者択一だったので罰金なぞ払うものかとアルマータ行を選択。

アルマータ行ミニバスはビシケクの西バスターミナルからも出ていますが今回はツムデパー

ト前バス停からのミニバスで出発。キルギス国境で降りて検問を通過しカザフ側に停まって

いた別のミニバスでアルマータへ。冬なのでバスの所要時間はおよそ3時間でした。

キルギス領事部は午前中の受付(水曜は休)で午後受け取れました。朝早く出て受付に間に

合えば当日ビシケクへ戻ることは可能かも。ミニバス、ゲストハウス利用で二千ソムちょっ

との格安費用で行ってきました。

キルギスのカルチャーショック第2部 7に続く

カルチャーショック 第 2部 7

キルギスのカルチャーショック 第2部 7    2018年3月

まだ頭が疲れていないようで記事は浮かんできます。カルチャーショックというよりエッセイの様相になってきましたがキルギス情報なのでいいかなと思っています。

 

1.円形交差点

ヨーロッパではよくある円形交差点ですがビシケクでは1か所(たぶん)アフンバエバ通

とアルマティンスカヤ通との交差点にあります。左回りに進みますがあまり流れは良くない。

ここしかないので慣れないのでしょう。

日本にもあるとインターネットで見ました。愛知県かどこだったか?

 

2.パノラマ台

ビシケクの円形交差点近く、少し南側に行った高台を上がると通称パノラマと呼ばれる市内

を展望できる場所があります。カフェが2軒あるだけですがお茶やビールを飲みながら町を

眺めるのもいいでしょう。カフェに駐車場はないのですが通る車が少ないので路肩駐車で問

題なし。

ここは「ダーチャ」と呼ばれる、週末を過ごす別荘地への入り口です。

3.円形街区

来たばかりの頃ビシケクの地図を見たら、あれ?丸い形の町がある。という訳で興味本位に

行ってみました。大きい街区なのでそこに立って見て道が円形に曲がっている感じはなかっ

たです。モスクワにこういう街区があるのかどうか、試行的に設計したのかもしれません。

 

4.スクランブル交差点は無理

渋谷のスクランブル交差点の話題がインターネットに出ています。外国人はこれを見たり旅

行で実際に行ってみて驚くようです。それは、

1)信号が変わるまで誰も渡らない

2)多数の人が同時に渡るのに衝突などの混乱はない  からです。

この交差点をビシケクか中央アジアに設定したらどうなるでしょう。

1)みんな信号無視して渡るから意味がない

2)一斉に渡ったらお互いにぶつかり反対側に着く前に信号が変わる

多分こうなってすぐに中止されるでしょう。

 

5.ガスを点けたまま外出

何回か目撃しましたがキルギス人は煮物の小さい火とはいえガスを点けたまま外出します。

私が一緒に帰ってきたらガスが点いていて慌てましたがキルギス人は気にしていない。小さ

い火でも何があるかわからないのに。遊牧時代にかまどで料理していた火の扱いと同じ感覚

ですね。これでよく爆発が起きないものだと感心します。

 

6.子供の旅行は大変

教師が学校の生徒を連れて飛行機に乗る、またはカザフなど外国に行く時は手続きが大変で

す。パスポートは18歳からなので、まず出かけてもいいと言う親の承諾書を作って公証人

の判をもらいます。それとキルギスで生まれた証明書(これは手帳のような形式になってい

ます)が必要でこれらを旅行会社や国境検問に持って行きます。

最初聞いたときはびっくりしました。ソ連時代は閉鎖政策だった。外国人と話すとスパイ扱

いされ警察に通報されたそうです。

 

7.突然休日に

キルギスでは突然、祝日と祝日、日曜などの間が休日になります。予めわかっているから決

めておけばいいと思うのですがいつも直前にならないとわからない。

それと休日になる会社、大学などの決め方が理解不能。週5日営業の会社などは休日になっ

て、週6日の会社などは営業となります。週5日だけ授業がある大学は休日になり6日ある

大学は授業となるわけです。どういう都合で決めたのか、ソ連式ですね。

 

8.教師は日雇い労働者

教師の給料は週、または月何時間教えているからという日給月給制です。これは学校も大学

も同じです。大学によっては教師の給料をプール制にして配分するかもしれません。しかし

上司がピンハネするかも。

給料が安いので二つの大学を教える教師もいます。日本語関係ではありませんが学生から何

かと理由をつけて金を集める教師もいるようです。出張旅費を上司が横領、教師は学生から

徴収と言う構図もあり歴史が古い大学ほどこの傾向があります。ソ連は横領、贈収賄、書類

改ざんが常態だったようです。理想に燃えどういう国を造ろうとしたのか。

警察官も給料が安いので外国人にたかり小遣いを稼ぎますがそれと同じわけです。

 

9.1年早く入学も可

学校(小中高一貫学校)には6歳で入学します。しかし、私は1年早く入学しましたと言う

学生が結構いました。子供が早く勉強したいと言っているからと入学を早くさせたとか理由

は色々でした。他に飛び級の制度があって優秀な生徒は1年早く進級します。

 

10.何と音声入力辞書変換

学生が携帯電話でインターネットを利用し音声入力の和露辞書変換をしています。日本語を

マイクに入力すると漢字・かなやカタカナで表示され同時にロシア語が表示されます。単語

だけでなく結構長い文章でも変換可能。

最初はえー!と驚きました。今はこういうこともできるのか!音声入力は昔から研究されて

いましたが特定の人の単音を入力しても単語や文の認識は難しかった。今は学生でも私の声

でも事前入力なしで音声入力変換ができるのです。思わず「あんたはえらい」と言ったら

「あんたは偉い」と変換されロシア語も正しく表示されました。コンピューター君、あんた

は偉いよ、意味は分かったかな。

後は文字を写真に撮って変換する機能もあるようで進歩が凄いです。映画スターウオーズに

出てきた通訳ロボットが現れる日も近いことでしょう。

 

11.両替レートの謎

ドルをソムにする時ビシケクの通称モス・ソビエトやマナス・モスクワ通りの私設両替所を

利用した方も多いでしょう。ここに何軒もある両替所毎のレートが異なっています。前から

不思議でしたがどうも利用客を分散する様に時間帯で交換ルートを変えているようです。近

くにある銀行も同様に時間帯で変わります。

ずっと観察していればわかりますがそんな暇人はいませんね。

 

12.ロシア語の変遷

ソ連時代、ビシケクの学校でキルギス語主体に教えるのは1校しかなくロシア語主体だった

のです。しかし地方ではキルギス語主体なので地方から来たキルギス人学生とビシケク育ち

の学生が使用言語のことで喧嘩になったと言います。「お前はどうしてキルギス語を話さな

いんだ!」という訳です。

公用語をロシア語に加えキルギス語を併用するとしたのは初代大統領時代の2000年前後でし

た。今はキルギス語だけになっているのでしょうか。

第1回クーデター(2005年)後からビシケクに地方、特にオシュ地方からの人が入って

来たのでロシア語使用率は減ってきました。ミニバスで運転手にロシア語で伝えたら、あ?

と聞き返されたりしてロシア語の肩身が狭くなっているのは確実です。やがて外国語の一つ

になっていく。

13.生放送

ロシアのテレビ放送で生放送の討論番組を始めたらキルギスでも早速パクって始めました。

しかし予算も人も少ないのでしょうロシアとは比べ物にならない簡単な番組になっています。

2,3人のゲストと司会者の対談が大した話題もなく続くというものです。

今までもロシア放送のパクリ番組はいろいろありました。俳優、歌手などがサーカスの演技

をするものや素人が自分の特技を披露するものなどです。次はどんな番組をパクるか?

ところでキルギスで連続テレビドラマがまだ登場しません。何年か前それらしいのが始まっ

たのにすぐに消えました。脚本家がいないのか?

 

14.乾燥果物

杏やブドウなどの乾燥果物を売っているので時々買っています。買った店で聞いたら水で洗

ってから2時間位ひたひた程度のお湯に入れて置くと美味しくなると教えられました。漬け

て置いたお湯はジュースのようになるので飲めばいいです。日本で乾燥果物を食べたことは

なかったのに郷に入れば、で新しい世界が広がりました。

 

15.守護霊がいるか

今まで私の身が危なかった出来事を書きましたがまとめると

その1)数秒前に立っていた場所に頭の上から街灯ランプが落ちてきた

ギシギシと嫌な音がしたので数歩移動した途端2m近くある街灯が落ちてきました。

その2)2010年クーデターの際、狙撃現場の近くにいた

まさか狙撃しているとは。大統領府近くで新聞を買っていた人などが犠牲に。

その3)トロリーバスを見ずに道を渡りバスを停めた(2回も)

モスクワ通りを配達で渡る際、反対側を見なかった。原因は疲れ。

などです。

他に何回もカフェに財布、鍵の入ったバックを忘れましたが戻ったらそのままあったり店員

が追いかけて来てくれたりして無事に戻りました。バスに落とした携帯電話も拾った人が連

絡して返してくれました。これは奇跡的!バザールに売られてしまうのが普通でしょう。

 

16.キルギス人?中国人?が搭乗拒否された

オシュからの飛行機でタラップに上がる時かなり酔ったキルギス人?中国人?が大声で喚き

ました。それで係員に搭乗拒否され車で戻されていました。近くに酔って顔を赤くした仲間

もいましたが騒がないので搭乗。

 

17.出稼ぎに出る

キルギス国内の産業が少なく仕事に就けないのでロシア、トルコ、アメリカなど出稼ぎに行

きます。その数は50万人とかニュースで聞きました。モスクワに行った時カフェなど外食

産業で働いているのはみんなキルギス人でした。市内でトルコなどでの仕事をあっせんする

宣伝をよく見かけます。

 

18.アルバイト給料は

学生はアルバイトでカフェなどのウエイター、ウエイトレスに行きます。2年くらい前です

が12時間働いて給料は300ソム(450円位)でした。最近小規模工場で働いた例では

12時間で400ソムとか。ウエイターはまだ同じ給料でしょう。

キルギスに来たばかりの頃ハイアットホテルを造っていて(既存建物の改装でした)学生が

アルバイトに行きました。聞いたら12時間で200ソム、仕事が大変なので皆辞めていく

と言っていました。人集めを担当した人間が自分の収入を増やすよう安く人を使ったのでは。

 

19.キルギスのコンサート

昔、有名なキルギス人歌手のコンサートに行きました。キルギスのこと定刻になっても始ま

らず催促の拍手が起こりようやく歌手が登場。しかし顔は真っ赤。コンサートの前にどこか

の結婚式に出て歌い(口パクですが)ウオッカを飲まされてしまったのでしょう。どうせコ

ンサートも口パクだから問題ないよと言われたかどうか。

 

キルギスのカルチャーショック第2部 8 に続く

 

 

 

カルチャーショック 第 2部 8

 

キルギスのカルチャーショック 第2部 8      2018年3月、4月

このシリーズは随筆風に書いていますが別情報でキルギスの詩や昔話などの作品を紹介できたらと思案中(日本人会 藤島さんの激励により)。しかし訳す時間がかかるしどうなるか不安ですがまずは詩人アルクル・オスモノフから(200ソム札に描かれています)。

 

1.ビシケク都市計画の間違い

ビシケクの都市計画は130年以上前、帝政ロシア時代にモスクワで設計されました。白夜

の都市から何千キロも南の国は想像できず資料もなかったのでしょう。最初の頃、土地がた

くさんあるのにどうして不便に造ったのかと不思議に思いましたが原因はこれでした。建物

は西向き、北向きなどでモスクワと同じ設計。夏は夜9時ころまで西日がきついので西向き

はだめなのに。

交通ではモスクワ通りと北隣のトクトグラ通りは反対方向の一方通行ですがなぜかモスクワ

通りに両方向のトロリーバスが走っています。一方はトクトグラ通りを走るはずではなかっ

たのか。私が2回も停めてしまったトロリーバスは計画・施行の間違いです。

アフンバエバ通りの道路で急に1車線減っている個所は拡幅されました。しかしまだ他にも

残っています。

 

2.学校のクラス替え

日本では新学年にクラス替えをしますがキルギスではしません。1年生のクラスがそのま

ま卒業まで同じです。これは私が顔を出している学校のことですが他の学校も同じでしょ

う。これには問題がありそうです。よく勉強する生徒が集まれば他の生徒も勉強しますが逆

だと足を引っ張りあってしまうことは明らかです。

 

3.地獄の沙汰も金次第

裁判官に金(賄賂)を払うと刑が軽くなると聞きました。こう言われているというのは実際

に受け取る裁判官がいるわけで判決を金で裁量している。金とコネがあれば何でもありのキ

ルギスですが裁判にも金が大手を振っているのです。

そういえばビシケクの欧米系大使館に賄賂を払うとテロ事件で取りにくくなっているビザが

取れると聞きました。本当かどうかわかりませんが実際あった?旧ソ連圏ではみんな同じか

などと考えてしまいます。

 

 

4.キルギス紙幣の人物は

キルギス紙幣に登場している人物は皆1900年代くらいの新しい時代の人たちです。50

0ソム札のマナス吟遊詩人や他の楽器演奏者も映像が残っています。日本のように千年以上

前などという人はいません。遊牧民族なので記録が残っていない。

 

5.グー・チョキ・パー

キルギスにも遊びで使うグー・チョキ・パーがあります。しかしグーの形を少し違って出す

人もいます。握った石の形から親指以外の指を少し広げます。これは井戸だと聞きました。

勝ち負けの規則 グーはチョキに、チョキはパーに、パーはグーに勝つのは日本と同じです。

インターネットのWikipediaで見たら、じゃんけんは19世紀日本の九州地方で始まり20

世紀に世界に広まったとありました。そうなんですか。もっと古いかと思ってました。そう

すると江戸時代の子供たちはじゃんけんを知らなかった?

それとグーの形で空間を作るのはフランスじゃんけんにもあると。やはり井戸と言うそうで

キルギスのグーはフランスから入った? こんなことですが疑問が次々と出てきます。

 

6.ソ連の崩壊は必然

小学校の社会科でソ連と言う国がある、労働者の国だと教えられました。その時単純に考

えたのは労働者がそれぞれ権利を主張したらどうなるのか、バラバラになるのではないかと。

その考えはずっと忘れていましたがキルギスに来て思い出し実感しました。

仕事は労働者のためにあって相手のためではなくなっていた。病院は医者、看護婦のために

あり患者のためではない、商店は経営者、売り手のためにあり客のためではない。

ソ連時代末期にアフガニスタンに侵攻したソ連軍の兵士たちが見たのは自分たちよりいい生

活をしているゲリラだった。我々はどういう国を造ったのかと帰還した兵士たちが国民に伝

え社会が動き始めたと読んだことがあります。崩壊したのは必然だった。それを引き継いで

いるキルギスはどうなのか。

変な例えですが日本で終戦後幸いにも復員することができた兵隊は学校の教員になった。運

動部を教える際に軍隊式の訓練をしてそれが先輩後輩と受け継がれいまだに幅を利かせてい

る。飯は早く食べろ!というのもありました。もう敵が来る戦場ではないのに。

つまり何十年経っても修正されないことがある。キルギスも同じでソ連時代の修正をす

るにも100年単位でしょう。

 

7.大陸は動いている

中学の頃世界地図を見ていて大陸の海岸線の形が似ているなと思いました。後になって大陸

移動説(プレート・テクトニクス理論)があり、私と同じように海岸線の形が似ていると考

えた学者がいたと知りました。さすがに学者は化石分布や地磁気の方向など様々な証拠を調

べ裏付けましたが。

大陸は動いている。エベレストに貝の化石があるし日本の太平洋岸にアメリカ大陸から何億

年もかけて着いた岩石があるそうです。人類の歴史は500万年ほどですか。人類が見たと

きエベレストはもう山でした。地球の歴史を2時間映画にしたら人類が現れるのは最後の何

秒か、宇宙のビッグバンからの映画では一秒にもならないでしょうね。

 

8.フライパン蒸し焼き

キルギス料理にデゥンダマという蒸し料理があります。カザン(肉厚大鍋)に肉、ジャガイ

モなどを入れて炒めその上からキャベツを大量にかぶせ蓋をして蒸します。これに触発され

たのかもしれませんがフライパンに野菜を入れ、蓋をして蒸し焼きで食べています。炒める

より簡単です。お試しください。

 

9.電球がまた粗悪になった

最近立て続けに電球が2個壊れました。1個はスイッチを入れた途端、ぼん!と音がしてガ

ラス球が落ち、もう1個はブチっとフィラメントが切れました。昔、電球が爆弾のように破

裂したのは前にも書きましたがもう何年もこういうことはありませんでした。中国製品の質

がまた落ちたのか、たまたま私の所に悪い電球が回って来たのか。

 

10.キルギスのコンサート

キルギスやロシアのテレビ、コンサートに登場する歌手はみんな口パクでCDが歌っています。

バックバンドもいないし体力を使わないから私が聞きに行ったコンサートは連続休憩なしで

3時間位続きました。日本では演奏者がいるし口パクではないので休憩しますけどキルギス

式では聞いている方が疲れます。

 

11.サムス(焼いた肉まん)とラグマンにご用心

 

サムスは市内のあちこちで売っています。形は三角、四角もあり熱いのはおいしいです。し

かしウズベク式は中央が盛り上がっているので持って食べると中の脂が出て手や服に付きま

す。これは皿に乗せてスプーンで食べるのが正解。オシュでは皆そうだったしビシケクのウ

ズベク人にも教えられました。サムスは脂にご用心、皿に乗せて食べましょう。

マディナバザールのラグマンは美味しいと紹介しました。しかし平皿に入って出てくるので

食べると汁が飛んで注意して食べてもシャツに付き後で気が付きます。自前の丼を持って

いきたいくらいです。ラグマンは汁にご用心。

 

12.お勧めの紅茶は

日本からの緑茶を飲んでいる方が多いと思いますが紅茶をと考えている方にお勧め銘柄は

グリーン フィールド(Green field)とアクバル( Akbar)です。どちらも紅茶、緑茶があ

ります。お試しください。少なくともベータティーは止めた方がいいかと。出がらしに色と

臭いを付けたとしか言いようがない品質です。

 

13.キルギス人は太れ、太れ

キルギス人、ロシア人は男女とも20歳代終わりからずんずん太りだします。原因は肉と脂

のようです。その証拠に肉をあまり食べない人は細いままです。が、周りから太れと言われ

るとか。太った方が金持ちや大人物に見えるのでしょうか。

警察官の行進で腹がズボンのベルトからはみ出した人たちが出ていると、仕事はできるのか

と考えてしまいます。

 

 

キルギスのカルチャーショック 第2部 その9 に続く

カルチャーショック 第 2部 10

2018年9月配信

キルギスのカルチャーショック 第2部10  2018年9月

このシリーズ配信でお世話になっている日本人会の藤嶋さんがご主人の異動に伴いキルギスを離れると聞き急いで書き始めました。今回はいつもより短いです。

 

1.キルギス映画

キルギス映画は独立プロでたくさん作っているようでDVDディスク(違法コピーですが)

を買って観ています。しかし制作予算がないのでしょう撮影場所はせいぜいカフェやショッ

ピングセンター、アパートなどです。どの映画を観ても内容に変化がない、俳優が出てきて

しゃべっているだけという感じです。

だいぶ昔に日本で紹介された「あの子と自転車に乗って(原題 ベッシ・ケンペル)」は

良かったですね。でも続編「マイムー(キルギス語で猿)」は全然面白くなかった。最近

の作品では「明かりを灯す人(原題 スベート・アケ)」が日本で上映されたと聞きました。

同じ監督作品で「馬を放つ(原題 センタウロス)」は今年のアカデミー賞外国映画部門賞

を獲ったそうで今月岩波ホールで上映するとか。

今まで観たキルギス映画で良い作品として印象に残っているのは、

「ボズ・サクルン(灰色の気配?冷気?)」・・キルギスの誘拐婚を扱った作品で誘拐の相手

を間違えられてしまうというもの。地方の村とジャイロ―(高地草原)にロケ。

「ミニステルディン・クズヌン・マハバット(大臣令嬢の恋)」・・村から出てきたカンフー

達人の若者に令嬢が恋する。場面は地方の村とビシケク市内。

「ベルギシズ・マルシルート(バスにご注意)」・・長距離ミニバスが時空を超えてしまう。

他には、キルギス5000ソム札に描かれているチョクモロフの監督・主演映画「ウラン

(ウラン、人の名前)」「クズル・アルマ(赤いリンゴ)」など面白いです。

作家チンギス・アイトマトフの作品を映画化したもの「白い船(原題 アク・ケメ)」、

「最初の教師(原題 ビリンチ・ムガリム)」、「ジャミーリャ(原題 ジャミーリャ)」

などお勧めです。

ちゃんと作れば良い作品ができるのに題名だけ大げさで・・例えば大地震が起こって地球が

滅亡か、という宣伝文句なのに内容はアパートの庭にテントを張り食料を買い込むという

ものなど。このように内容はただ会話だけという作品が多過ぎです。制作側の奮起を期待し

たい。

 

2.食い扶持減らしか

地方から出てきてビシケクに住んでいる人の家には遠い、近い親戚から人が来て居候してい

るのを目にします。生活費は払わないので余程のお金がないと大変です。遊牧時代からの習

慣でしょうか村で生活できないから食い扶持減らしに追い払われたのか。もっとも地方から

ビシケクの大学に入った学生も居候しているケースが多いですけど。

 

3.街頭のDVD売りが消えた

最近まで街頭でDVD(違法コピーです)を売っていたのにふと気が付いたらいなくなって

いました。脚立に板を付けてDVDを並べて売っていました。1枚30ソム前後でキルギス、

韓国、ロシアなどの映画やドラマが10本くらい入っています。よく利用していたんですが

どうなったのでしょう。でもバザール内の店では今でも売っています。

 

4.路上駐車は困りもの

ビシケク市内のキエフ通りは1車線と3車線の変則交互通行ですがこの1車線の車道に駐車

する馬鹿がいるので通行は混乱します。少し車線に余裕があるとすぐ路上駐車。二重駐車も

するので片側3車線が2車線や1車線になります。バス停に堂々と駐車する輩にはレッカー

車を大量に用意してすぐ撤去、罰金にするしかないでしょう。

20年前に比べ台数が10倍~15倍に増えているので少しの路上駐車で通行は混乱します。

 

5.ディーゼル油がガソリンより高い

ガソリン価格の5分の1以下だったディーゼル油が徐々に上がって今はガソリンと同じか高

くなりました。ディーゼル油の値上がりが噂されてディーゼル車がカーバザールで大量に売

られたのはもう何年前でしょうか。

 

6.道路工事を一斉にやるな

ビシケク市内のソビエト通り、マナス通りなどの幹線道路や中規模道路で区間を区切って舗

装工事をしています。しかし同時進行で実施しているので交通渋滞が絶えません。複数の年

度でもいいのではと思うものの予算や中国側の都合があるのか。

 

7.ナリン州の岩絵(サイマルタッシ)へ

10年以上前から行きたいと思っていて、しかし遠いのでずっと行かずじまいでしたがつい

に先月出発。場所はナリン州とジャララバード州との境にある山岳地帯で標高3000m

の所にあります。

まずナリン市までミニバスで4時間、それからカザルマンという町までタクシーで5時間近

く。タクシー相乗りはフランス人2人でした。

次の日はガイドの先導で馬に乗り出発。登山道を行くので途中は雪や崖があり片道2時間は

緊張の連続。岩絵の岩は何千もの細片になり帯状に広がっています。図柄はイシククリ州チ

ョルポンアタにあるものと似ていて狩りや人、動物などです。

1902年にロシア人が偶然発見したそうで、しかしどうしてこんな高地に、誰が、いつ、

と疑問は尽きません。資料には紀元前1000年位とありこのような高地にある岩絵は世界

に例がないようです。

ガイドによると第2、第3の岩絵の場所があってそこまではさらに2日か3日かかるそうで

す。転落しそうな崖を馬で登って行く気にはなりません。ヘリコプターで行かなければ。

 

8.10年越しの案がもう一つ

ついにサイマルタッシに行ってきましたが他に15年越しの案があります。それは列車でイ

シククリ湖西端にあるバルクチという町に行くことです。多分、貨客車だと思いますが車内

にエアコンがないので夏は暑くてだめと以前聞きました。

運行をビシケク駅で聞いたら6月中旬から夏、秋の間だけだそうです。ビシケク発は朝6時

半の1日1本だけ、それにバルクチまで6時間以上かかるというのもためらう理由です。復

路バルクチ発は2時頃、片道70ソムの運賃で安いのですがね。物好きな方はいますか。

 

9.サッカー選手は刺青

キルギス放送のスポーツチャンネルでイギリスやイタリアのリーグ戦を放送しています。自

国や世界各国からの選手が活躍しているのを見ていると選手たちは腕や背中に見事な刺青ば

かり。していないのは日本、韓国といったアジアから参加している少数の選手だけ。

ロシアの選手もしています。キルギスリーグの選手はしていないと思いましたが。

 

10.自転車は少ない

ビシケク市内の路上はもちろん歩道でも走っている自転車は少ないです。これは昔から変わ

らずです。自転車はバザールで売っているのに見えない。みんな市外で乗っているのかな。

11・キャッチセールスか

最近ですが知らない女性(キルギス人?)から電話があり日本人か、と聞きます。え!と思

ったもののそうだと答えると会って話したい、情報交換したいと言います。どうして会うの

かと、もちろん断りました。日本でいうキャッチセールスでしょう。

しかしどうして私の電話番号を、誰か小遣い稼ぎに教えたのか。その後電話がないので良い

ですけど。皆さんご注意を!

 

(キルギスのカルチャーショック第3部に続く)

アルマータへラーメンを食べに 

らアルマータ(アルマトイ)へラーメンを食べに               2018年9月

ビシケクには日本のラーメン店がないので中華の店を食べ歩きましたがやはり違う。アルマータに日本のラーメン店ができたと聞き行ってきました。結果は・・・

アルマータにある日本のラーメン屋
アルマータにある日本のラーメン屋

9月15日(土)晴れ

 朝9時前、333番ミニバスでキルギス国境へ。キルギス側検査を通過、次にカザフ側検査へ。入国書類で小さな紙にパスポート番号、国籍、ビシケク住所などを記入しパスポート検査へ。スタンプを押されて無事通過。今日は通過客が少ないので9時40分にはカザフ側に出た。近くに待っていたミニバスは客が集まらず11時にやっと出発。アルマータのサイラン・バスターミナルまでは300ソム(約450円)または1500テンゲ。途中いつものドライブインで休憩して14時20分バスターミナルに着。手前で高架工事や拡幅工事をしているので渋滞している。それがなければ30分は早く着いた。

 サイランから65番バスで15時にゲストハウス「ヌチャ」へ到着し主人に再会。前回は2月に2日泊まった。早速ラーメン ラボへ。歩いて15分くらい、店はアルファ銀行建物の1階にテナントで入っていた。鶏しょう油ラーメンと月桂冠純米酒を注文。酒は50ccで320ソム、さすがに高い。残念ながらラーメンは不味かった。主人は日本で修業したというので期待が大きすぎたため落胆が大きい。ラーメンと酒で合計1200ソム(約1800円)は高過ぎ。

9月16日(日)晴れ 

 朝、昨日のラーメン屋辺りまで散歩してスーパーで韓国即席ラーメンなど買った。帰って来て昨日の口直しに即席ラーメンを食べた。こちらの方が麺は美味い。12時半ころ宿を出てサイラン・バスターミナルへ。料金所でビシケク行はなぜか1800テンゲで来た時より高い。窓口で聞いたら何か言っていたが面倒なのでやめた。ミニバスは13時半発、ドライブインで休憩してカザフ国境に16時半着。カザフ側パスポート検査で昨日入国する時に書いた小さい用紙を渡した。通過者が少ないので5時前にはキルギス側に出てビシケク行ミニバスに乗れた。

サイマルタッシ旅行記 

サイマルタッシ旅行記                  2018年8月

ジャララバード州とナリン州の境にあるサイマルタッシという岩絵のある山岳地帯に行きました。もう10年以上行きたいと思ってしかし遠いので延び延びにしていました。サイマルタッシはキルギス語で「模様を描いた岩」という意味ですから岩絵ですね。1902年に地形調査チームの一員が発見したようです。岩絵としては一番高地(3200m)にあり2番目はスイスにある2900mの場所です。サイマルタッシの岩絵を書いた民族や年代はよくわかっていません。

8月6日(月)晴れ  

 朝7時、バスで西バスターミナルへ。切符は300ソム(約450円)。ナリン行512番バスで8時に出発。10時休憩、35分発。12時45分ナリン市着。運転手にカザルマンに行きたいと伝え旅行会社の前で停まってもらったがあいにく閉まっていた。ふと横を見たらCBTの看板が・・確かツアーや宿泊の案内をする事務所だったなと思い入ってみた。

 事務所でカザルマンに行きたいと伝えたらちょうど2人がタクシーを待っているのでそれに乗れると言う。一人1300ソム(約1950円)で予想より安かった。13時半過ぎ二人のフランス人とタクシー乗車。助手席のキルギス女性にカザルマンまで何時間か、ゲストハウスはあるかなど聞いた。カザルマンまでなんと5時間だと言う。道が悪いというがそれにしても時間がかかる。ゲストハウスは自分の所でやっていて部屋も空いているというので朝食付き700ソム(訳1050円)で頼んだ。一人旅は予約なし飛び込みでも何とかなるものだ。

 2時間くらい経ってナリン川を対岸に渡ってカザルマン方面へ。ここまでの道は舗装してあったが渡ると村の中以外は 未舗装の砂利道。山越えの道が延々と続きこれでは時間がかかる。18時やっとカザルマンのゲストハウス着。聞いていたより早かったが4時間半、暑いし疲れた。先客が二人いて少し経ったら5人の家族連れが車でやって来て総勢10人以上になった。夕食は皆でスープ、肉、ご飯を食べた。家族連れはベルギーからだった。フランス人とフランス語で会話していたので意味不明だが時々英語で聞いてきた。日本も出場しているワールドカップサッカーの話で盛り上がった。

 明日フランス人二人はオシュへ、ベルギー人家族はタシラバードへ行くらしい。ここまで来ているの にサイマルタッシに行かないとは理解できない。ゲストハウスの女将に明日サイマルタッシに馬で行きたいと話しタクシーと馬を予約した。

8月7日(火)晴れ 

サイマルタッシ馬乗り場18年8月
サイマルタッシ馬乗り場18年8月

 サイマルタッシには朝早く出るというので7時朝食。食べていたらベルギー人の父親が「お早う」と 声をかけてきた。まさか日本語を知っているとは思わなかった。サイマルタッシに馬で登るにはタクシー往復1500ソム、馬2頭2000ソム、ガイド料1000ソム、入場料300ソム、CBTへの手数料10%がかかると言われた。高いと言ったらガイドの馬を500ソム、手数料を5%にしてくれて合計4500ソム(約6700円)になった。

 7時半にガイドと運転手が来て出発。フランス人、ベルギー人も準備を始めているようだったが挨拶 はしなかった。帰ってきたらもういなかった。馬がいる所まで車で30分くらい、途中の道は舗装して新しくなっていてまだ先を工事中だ。ビシケク・オシュの道を造った中国の会社が担当しているそうだ。馬で8時半出発。ガイドが私の馬の綱を持って先導した。馬に乗るのはジャララバード州以来だから20年近く経っていて重心の取り方がわからない。登山道を行くので崖あり雪渓あり歩いたら5,6時間はかかる行程を2時間で行く。

途中の雪渓
途中の雪渓

10時半やっとテント場着。鞍にしがみついていたので体が強張って馬から降りるのが大変だった。組

 

サイマルタッシテント場18年8月
サイマルタッシテント場18年8月

み立て式テントが4張りあって世話をする女性がサワークリームに塩を入れた飲み物を出してくれた。ここは3000m位だろうか。周りに残雪が見える。

サイマルタッシ、散乱する岩絵18年8月
サイマルタッシ、散乱する岩絵18年8月

 テント場から上に絵を描いた岩が散乱している。出発は3時頃というのでそれまでは自由行動。岩の辺りを歩き始めたが足が痛くてよろけてしまう。運動不足は困りものだ。人や馬、鹿、川、などの手書きの絵を描いた岩が散乱している。紀元前2000年位の物と言われているが確かではない。神への祭事用だろうがこんな高地にどうしてあるのか、どんな民族が描いたのか?など疑問は広がる。

岩絵の一つ
岩絵の一つ

 ガイドの話ではここは第1サイマルタッシで第2、第3もあるらしい。そこまではさらに高地へ行くので2,3日かかる。馬で行けるというがここまでの行程を考えると乗っていく気はしない。サイマルタッシの紹介映画(4分物らしい)を撮っている人たち5,6人がテント場に下って来た。ドローン空撮をしているという。さっき岩場で聞いた音はそれだったのだ。

 3時前テント場発。途中で私の馬が先へ進まなくなった。乗り方が悪いので嫌がっているのだろう。馬に乗って道や崖下を見ると視点が高くなるので恐怖感が増す。その気持ちが伝わるのだ。5時頃馬場に着。足が痛くて降りられない。次はヘリコプターで来たいとガイドに言った。ゲストハウスに車で6時過ぎに着。昨日の人たちはいなかったがドイツから2人が来ていた。オシュから自転車で二日かけて来た。市内の水が断水していて夕食を作れないというので近くにサムスを買いに行った。足が痛くて歩くにも困った。明日も泊まろうと思っていたが水がないのでは仕方がない。明日はナリンに戻ることにした。

8月8日(水)晴れ 

 朝ドイツ人が朝食は準備できるのかと聞くので水がないから駄目だろうと答えた。しかし女将は準備 していたので私も食べた。ナリンへのタクシーを聞いたらバザールで客を乗せてから8時半ころ来るタクシーがあって1200ソムで行けると言う。タクシーはそのままビシケクに向かうらしいが疲れるから私はナリン下車だ。2日分の宿泊1400ソムと1回の夕食代350ソム計1750ソムを払って出発準備ができた。

 待っていたらドイツ人も出発準備をしている。今日はソンクール行きらしい。その後中国へ抜けフェリーで大阪へそして北海道へも行く計画とか。10月頃になるだろうという。自転車の荷物は40~50キロもあるようだ。8時半ころドイツ人たちが挨拶して出かけた。タクシーが来たので私も出かけた。タクシーは9時頃ナリンへ向け出発。足が痛いので乗り降りに苦労する。12時半ナリンCBT事務所に到着。CBTでゲストハウスを朝食付き800ソムで紹介してもらった。迎えの人が来たのでどこにあるか聞いたら歩いて行けるという。付いていったら建物のすぐ裏が入り口だった。4階なので脚が痛く問題だ。

 ゲストハウスというかアパートの部屋貸しは二人部屋二部屋になっている。私はセミダブルベッドの方に。銀行はタクシーで行った方がいいというので通りで相乗りタクシーを拾った。料金1回10ソムはミニバスと同じだ。通りを行ったり来たりしているので安くてもいいのだろう。銀行がある場所は5行ほどが並んでいた。近くに市役所もあってここがセンターなのだ。夜寝ていたら大家がキルギス人客を連れてきた。

8月9日(木)晴れ

 朝8時に大家がオムレツ、サラダ、パンの朝食をトレイに載せて持って来た。後でわかったが大家は隣に住んでいたのだ。タクシーで市役所近くに行きバザールに寄った。売り子が「ありがとう」と日本語で言うのでどうして知っているのかと聞いたらアニメか何かで覚えたらしい。

 帰って来たらCBT近くにBB550ソム、ホステル400ソムと案内が出ている店を見つけた。「クバットツアー」という名前で食料品店の隣に小さい案内所を併設している。だいぶ安いので明日はそこに泊まろうと思ったが電話連絡がとれずダメだ。それで明日はビシケクに帰ることにした。昼過ぎにスペイン女性が隣部屋に来た。自転車で旅行しているという。スペインにある病院で事務をしているらしい。

8月10日(金)晴れ 

 朝食を食べているとスペイン人が出かけると声をかけてきた。10日後にビシケクに行くというから会いましょうと答えた。8時過ぎ大家にカギを渡し歩いてバスターミナルへ。昨日散歩していたら見つけた。料金所でビシケクへの料金300ソムを払った。乗合タクシーから声をかけられたが400ソムなのでやめた。

 ミニバス8時40分出発。9時30分には3,030mのドロン峠通過。10時40分来た時と同じカフェ ボズサルクンで休憩。11時20分発。ビシケクの西バスターミナルへ13時20分着。涼しいナリンから暑いビシケク(38度C)に着いた。

タシラバード旅行記 

タシラバード旅行記         2016年8月

 ナリン州のタシラバード(シルクロード時代の石造り宿)に行きました。ここは前から行きたかったのですが結構遠いので何年も行かずじまい。一人旅なので宿の予約などしませんでした。

8月5日(金)晴れ      

 急に思いついてアルマータかどこかに行きたくなったが国境を越えるよりナリン州に行くことにした。西バスターミナルでナリン行切符を300ソム(約450円)で買ってミニバスに乗った。バスのお客がいっぱいになったのが13時、ようやく出発。ビシケクの北側の広い道路をイシククリ湖に向かい湖の手前を南に折れナリンへ。ナリン市には17時ころ着。乗っていたバスの乗客は私が外国人らしいとわかりどこへ行くのかと聞く。明日タシラバードに行くと言ったらもう少し先のアト・バシ-という町まで行った方がいいという。私の切符はナリンまでだが運転手に追加料金を払えばいいらしい。

 アト・バシ-に着いたのは19時過ぎ、運転手に安いホテルはないか聞いたらそのまま寄ってくれた。しかし満杯なのでタクシー乗り場に寄って聞いた。宿を知っているという運転手がいたので(アルパ25)というゲストハウスへ連れて行ってもらった。案内されたのは20畳くらいある客間でここのソファーベッドで休んだ。明日のタシラバードは今日の運転手と行くことにした。片道80k、往復で1500ソム。

8月6日(土)雨のち晴れ 

 朝食は煮たそば粒と卵焼き。食堂でオーストリアから来た2人とフランス?からの2人と一緒に食べた。オーストラリアの人はタシラバードに行き2日泊まるらしい。フランス人はイシククリ方面に移動。 9時ころ私のタクシーが来てタシラバードへ。地図で見たらここは標高2300mあるので寒い。雨が降って持って来た服では寒いのでバザールに寄って防寒着を買ってから出かけた。タジキスタンに通じる幹線道路を80K南へ、途中脇道に入り東へ15k、タシラバード(シルクロードの宿泊所)に着いたのは11時ころ。観光客用に4人のキルギス人が4か所でボズイ(丸屋根テント)を10棟ほどずつ建てている。 

  

タシラバード外16年8月
タシラバード外16年8月

     

 タシラバードは平石を積み上げた施設でその内部に広い場所(台所兼休憩所か)があって周囲に10以上の部屋が区画されていた。それぞれの部屋の天井は明かり窓が開いていた。ここの標高は3000M以上だろうか。歩くと息が切れる。近くにチャトルコルという標高3500Mにある湖がある。タシラバードから馬で行くツアーは3時間かかるそうだ。幹線道路に出てタジキスタン方面に行けば途中の道から1キロくらいで湖に行けるという。その案がいいと思ったが途中コルゴンタッシというところに軍隊の検問所があって通行ビザを持っていないと通過できないと言われた。ナリンやアト・バシーで取れるが戻ることになるし今日は土曜日でだめ。今回は見送ることにした。

  

タシラバード内16年8月
タシラバード内16年8月

 13時ころボズイでプロフ、サラダで昼食。どうもこのプロフが古いようでずっと腹に溜まっていて困った。こういう場所でプロフは食べないほうがいい。スープなどのほうが安全だ。昼食後運転手が登山ザックを持った4人組と話している。何かと思ったらアト・バシーに行く人たちなので一緒に連れていきたいという。その代わり私のタクシー代1500ソムを1000ソムにするというので旅行者の助けにもなるし相乗りを承知した。彼らはフランスに住んでいるフランス人とスペイン人の4人組。今夜の宿を決めていないので私がいるゲストハウスに泊まることになった。ゲストハウスには15時ころ着。 ゲストハウスの近くに巨大な馬頭の銅像がある。アト・バシーという地名は馬の頭という意味なので造ったのだ。

   

8月7日(日)晴れ 

 7時半朝食は茹でジャガイモ他。フランス人たちは2人ビシケクへ、2人は近くの山へ行くようだ。今日は日曜でバザールが開いているというので家の子供に案内され出かけた。子供に聞いたら冬は雪が50センチくらい積もるとか、意外に少ない。今でも朝は寒くて冬の上着が必要なくらいなのに。

 近くと思っていたがバザールは結構遠い。町のはずれに大きいが整理されていない雑踏したバザールがあった。外にナリンに行く客待ちタクシーが何台かいたのでいくらか聞いたら100ソムという。ゲストハウスに寄ってもらい荷物を取って9時半ころナリンへ出発。途中何か所も拡幅工事中だった。11時ころ着いて運転手にゲストハウスを聞いたらここにあると教えられ降りた。しかし主人がいなくて留守番の人は受付できないと言われた。30分くらいで戻るというがこれは当てにならないのでタクシーでセンターのモスクワ通りに向かった。タクシー料金は10ソムと聞いていたが20ソムと言われ払った。しかし外国人料金だった。せこいおじさんタクシーだ。

アト・バシ町、馬頭の像、16年8月

 案内されたところは新しく改装したホテル形式の宿だ。ホテル形式と言っても6人分、4人分のベッドの部屋があり1500ソム払えば1部屋を借りきられるという。高いのでもっと安い所を教えてもらって大家が迎えに来た。そこはアパートを改装した2部屋だけの宿でWIFIも風呂、トイレもあった。食事なしだが800ソムなら了解。アト・バシーでは朝食付き700ソムだがWIFIなし、シャワーとトイレは外だったし夕食代はペリメニスープだけで300ソムと高かった。

 あと2人の客が来る予定だったがキャンセルになって私だけになった。なぜか大家は自分の家に帰ってしまい誰もいなくなった。大家は明日仕事があるので帰るときに電話してくれという。カギを誰か取りに来るらしい。外の店でサンドイッチやカップラーメンを買って食べた。

8月8日(月)晴れ

 朝大家に電話したら昨日の人ではなく母親が来た。昨日の人はイシククリに遊びに行っているという。それで昨日は帰ったのだ。カギを返して8時半ころタクシーでバスターミナルへ。料金窓口ではなく運転手に直接払って乗った。8時50分頃ターミナル発。隣に座ったキルギス人お爺さんのキルギス語がわからない。方言の違いか本人の歯が抜けているのでそのせいか。11時から30分ドライブインで休憩、ビシケクには13時半ころ着いた。ナリンから来るとだいぶ暑い。

バルクチ旅行記19年5月

バルクチという町に行きました                       2019年5月

 

 キルギスの東方標高1600mにあるイシク・クリ湖。この名前はロシア語でキルギス語はウスク・クル(熱い湖という意味)です。塩水湖なので冬季も凍らないため名付けられたのです。東西160k、南北70kあり琵琶湖の約10倍の広さ、最深部の深さは700m、水は流れ込んでも出ていく川がありません。今回は湖の西端にあるバルクチという町に行きました。ソ連時代はルイバチカと呼ばれ今の名称バルクチはキルギス語、どちらも漁師という意味です。

5月24日(金)晴れ

 13時40分 ビシケクの西バスターミナルからミニバス508番で出発。バルクチまでは230ソム(約350円)。まず北に向かいカザフとの国境チュー川沿いを東へ。トクモク、ケミンを過ぎバルクチが近くなるとビシケクから延びている鉄道線路(単線ディーゼル機関車で運行)と合流する。16時20分バルクチのバスターミナル到着。タクシーに乗ってアパートの部屋貸しをしている「ベック」という宿へ。タクシー代は100ソムと言われて払ったが宿で聞いたら50ソムが普通らしい。観光客に高く請求するから注意しよう。言われた半分に値切る方が良い。宿は予約なしで飛び込みだがまだ寒くシーズン前なので客は私だけ。2人部屋素泊まりで300ソム(約450円)シャワー、トイレは共同。近くのカフェに入ったらアルコール類を置いてないのですぐ出た。次のカフェも同様なのでアルコールなしで食べることになった。

バルクチ バスターミナル
バルクチ バスターミナル
宿, バルクチ
宿, バルクチ

5月25日(土)曇り、一時雨

 朝9時宿を出てタクシーでバルクチ駅へ9時半着。客車の運行は6月中旬からなので人も車もいない。閑散として駅舎の前で羊が草を食べているのどかな風景。風が冷たかった。

バルクチ駅
バルクチ駅
バルクチ駅, 内部
バルクチ駅, 内部

  

 タクシーがいないので来た時のタクシーに言って来てもらった。湖近くの宿を探したが夏に向け修理中、シャワーがないなどで保留。ゲストハウスに寄ったら700ソムと高い、別の宿は900ソムだったので昨日の宿へ逆戻り。

 荷物を置いて湖へ歩いて出かけ写真を撮っていたら家族連れがいたので撮らせてもらった。船着き場の方へ行ったら子供たちが話しかけてきたので写真を撮った。バルクチは長袖で上着を着ても寒い。気温は20度以下。

       

バルクチ, 湖に来ていた家族
バルクチ, 湖に来ていた家族
  宿の近く公園で
宿の近く公園で
マナス吟遊詩人像と子供たち
マナス吟遊詩人像と子供たち

5月26日(日)朝雨 曇り

 朝、昨日のタクシーに来てもらってバスターミナルへ。料金所がないそうでバス代は直接ミニバス運転手に払った。来た時は230ソムだが帰りは200ソムなのはどういうわけか。9時半508番ミニバス発。途中休憩なしでビシケク西バスターミナルに11時40分過ぎに着。帰ってきたら暑くて大変。

 

Kyrgyz 856 の紹介文 (post)

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Kyrgyz 856 の紹介文

1999年にキルギスに来て、気が付いたら20年経っていました。記念にという訳で気が向いたのでホームページを作りました。キルギスの写真や私が今まで書いてきた随筆みたいな文章やキルギスの昔話、キルギス詩人の作品など載せていきます。旅行記ではなく生活している情報です。キルギスや中央アジアに関心のある方にご覧いただければ幸いです。

ビシケク市在住 キルギスの旅人        2019年5月

このホームページの 開設日 2019年6月4日